○BSR○
□小さな頃から。10
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【Scene.10 知的BEAUTY】
幸村のしっぽがしょげていた。
手にしたのは夏休み明けの、一学期の復習を兼ねた算数のテスト。ほとんど赤丸で彩られているのに、一カ所だけバツがついていた。
担任が上手いことヒネリを加えた応用問題で、正解した生徒はクラスのなかでも三人いたのかというほど。
夏休みは宿題以外にも勉強はしていたから全問正解の自信はあったのに、途中計算でミスをしており、満点が取れなかった。
テストで良い点をもらえると、おじいさまも佐助も褒めてくれる。けれど、出来る問題をしっかりと解けなかった自分に腹が立った。
答案用紙を穴が空くほどに見つめながら歩いていたせいで、幸村はぶつかるまで気付かなかった。
「!」
…痛い。鼻の頭をぶった。何にぶつかったのかと目を上げて、幸村は凍り付いた。
すっと通った切れ長の目は涼しいをとっくに通り越して、冬の吹雪よりなお冷たい。顔は女の人みたいに綺麗なのに。
「…もっ、もも、申し訳ございません、元就さん!」
幸村が詫びると、意に介さないと言わんばかりに視線が外された。
元就は地区ではいちばん偏差値の高い高校に通っている。佐助より一つ年上だ。
“触らぬ毛利元就に祟りなし”――兄の佐助が言っていたものだが、やっぱり怖い人なんだろうか。謝ったのに、何の反応もない。聞こえていなかったのか。
「…申し訳、ございませ……」
「…一度で結構だ。聞こえている」
感情のこもらない声が降ったと思ったら、手にしていた答案用紙を取られた。用紙を隅から隅まで、余白にまで文字が書いてあるかのように元就はじっと見ていく。
「……つまらん間違いをしたな」
目が止まったのは案の定、最後の応用問題だった。
「たったひとつの計算違いが結果を左右するのだぞ。全て問題が解けても油断せず見直すことだな」
元就の言葉は厳しいには厳しいが、悪いことを言っているのではないのはわかった。普段、祖父から言われることに似ているから。
「…はい!」
「わかったならいい」
やはり感情の乗らない言い方をして、元就は幸村の手に答案用紙を返した。その顔を見上げると、なんとなく微笑んでいるように思えた。
「…おまえのような頭の良い子は嫌いじゃない」
「?」
幸村の頭を優しく撫でると、元就は背を向けた。…なんだ、恐いなんてウソだ。恐くないよ、佐助兄ちゃん。
「…ゆきむるあぁーッ!!」
元就の背中を見送る幸村の耳に、元親の大音声が入ってきた。なんだか巻き舌だ。
「ちかちゃん…」
到着して早々、元親はまくし立てる。
「おいっ、今の、元就サンだろっ!!」
「う…、うん…」
鼻息が荒い。元親の異常な興奮ぶりの方が恐いと幸村は思った。
「だああッ!!なんで引き止めておかねーんだよ!!使えね………でっ!!」
「年下に当たるな、馬鹿者め」
いつの間にか元就が引き返して来ていて、元親の頭に遠慮なく鉄拳を加えた。
「…受け取れ」
幸村の鼻先に、冷たい缶が当たった。ずるいぞと声をあげる元親は無視して、今度こそ元就は行ってしまった。
佐助と同じ高校生にしては線のほそい背中を熱っぽく見つめながら、元親は幸村にはまだよく意味のわからないことを言ってきた。
「見てろよ。…いつか絶対つかまえてやるからな」
幸村がこの時の元親の言葉の意味を理解できたのは、自分も同じような感情を抱いてから。
そして、元親の言の葉がどうなったのか。