咲夜の夢逢瀬
□【act.4】
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廊下を歩いていると一人の隊士が総司に駆け寄ってきた。
「ああ沖田さん!丁度よいところにっ」
「なに?」
「沖田さんにって、手紙を預かってます」
「誰から?」
隊士から手紙を受け取り裏表と手紙を見る。
宛名はなし。
煌からの手紙は日常茶飯事のごとく送られてくる。
きっとこれもその一つか、と沖田は関心なく手紙を隊士へ返そうと差し出した。
が、
「“桃”と名乗る“少年”でしたよ?
沖田さんのよく知る友人だとか…」
「え!?」
総司はギョッと目を剥くと差し出した手を引き、やや乱雑に封を切った。
中には一枚の紙。
ザッと目を通すと、それにはただ刻限と場所――つまり其処で待っているという事か。
「お、沖田さん?」
総司の様子におずおずと隊士が声を掛ける。
このように急(セ)いた総司の姿を今まで見たことがないからだ。
総司はしばし無言のまま手紙を凝視する。
そして不意に手紙を握り締めると言った。
「……ごめん、僕具合悪いから医者に行ってくる」
「は!?ち、ちょっ!」
呼び止めようとする隊士には目もくれず、総司は口から出任せを残し急いで歩き出した。
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人気(ヒトケ)のない路地。
見覚えのある着物を身に纏い、笠を目深に被った人物を見つけ総司は声を掛けた。
「モモちゃんっ」
「っ!沖田さん…!」
直ぐにその人物――桃乃は反応した。
そう言えばあの日、桜乃に着せた変装一式は遊廓に置いてきたのだ。
それを着た桃乃は総司を振り返ると勢い良く駆け寄ってきた。
「沖田さんお願いします!!」
「何?急に…――」
「桜乃を…桜乃を助けてあげてっ」
「っ!?サクラちゃんがどうしたの?」
息巻く桃乃の言葉に総司の表情が強張る。
揺れる桃乃の瞳が物語る、急を要する事態。
――桜乃に、何かあったのか?
すると桃乃が真剣な表情を浮かべ声を落として言葉を紡いだ。
「ついに決まったの…」
「だから何が…――」
「あたし達の水揚げが!!」
「………は?…」
じれったく先を促す総司に、桃乃は語気強く言い放つ。
“水揚げ”
その単語に総司はまるで金縛りにでも合ったかのように固まり目を見開いた。
「あの日、桜乃が帰ってきた後におかみさんから言われたの!
それで……っ、水揚げは明後日に決まりました」
「……」
「あたしは花君姐様のお使いで沖田さんにこの事を伝えにきました。
でも、あたしも…あたしの思いも一緒です!
水揚げをしたらあたし達は本格的に遊女になります・・・・・・
毎日、毎日……男の人に夢を見せる遊女に…!」
唇を噛みしめ俯く桃乃。
“水揚げ”――それは新造が一人前の遊女となる為の通過儀礼。
つまり、新造が一人で初めて客を寝所にて“接待”する事である。
総司は目の前が真っ暗になる錯覚を覚えた。
桜乃が……客をとる……――?
呆然とする総司に桃乃は訥々と続ける。
「今まで沢山の姐様達の勤めを見てきました。
だから経験が無くとも分かるんです………あんな愛のない行為……得るものなんて無いって」
「……」
「あたしはっ……あたしは、桜乃にそうなってほしくないんです…!」
「モモちゃん…」
「沖田さん分かるでしょ?
あの子は……あそこには不似合いな位にまっ白な子なんです。
今まで散々苦しい思いをしてきたのに、これからもっと苦しい思いをしなきゃいけないなんて…!!」
畳み掛ける桃乃に、ふと総司は純粋な疑問を持った。
自分だって水揚げが決まり不安であろうに、どうしてこんなにも桜乃の心配をする?
すると桃乃は哀しげに笑った。
「あたしにとって桜乃はかけがえのない親友であり、……あたしの希望だから」
「希望…?」
「あたしは遊廓にいる理由がちゃんとしています。
あたしの家は貧乏だったから、お金と引き換えにあたしは身売りされたんです。
――でも桜乃は違う…」
「え…」
「……あの子は花君姐様が拾ってきた、孤児だったんです」
「!」
総司は言葉を失った。
そして不意に脳裏に過ぎる、遊廓に入る以前の記憶を失ったという桜乃の言葉。
「詳しい事はあたしも知りません。
でもこれだけは分かります・・・あの子には“帰る場所”がないという事………だから、逃れようにも逃れられない…――」
桃乃はそこで言葉を切ると、総司を縋るように見上げ請うた。
「お願いします総司さん!!
桜乃を…彼処から出してあげて…!
桜乃の……帰る場所になってあげてくださいっ」
「っ!そ、れは…――」
言葉に詰まり視線を臥せる総司。
そんな彼に何かを察したのか、桃乃の表情がスッと顰められる。
「・・・もしや、愛獲だから出来ないと思ってるんですか?
――・・・っなら!!桜乃が見ず知らずの色欲にまみれた輩に犯され獲られても良いというのですか!?」
「っ!!」
桃乃の啖呵にハッと総司は息を呑み、弾かれたように桃乃に視線を戻した。
眉をつり上げ一件は怒りの表情を浮かべる桃乃だが、
その瞳には薄い涙の膜が張られ、至極真剣な視線が一心に総司を見つめていた。
「・・・モモちゃ――」
「ねぇ沖田さん、
愛獲だから恋愛が出来ないって、
沖田さんの桜乃に対する想いってその程度なんですか?」
「っ!?違う!!」
桃乃の言葉に総司は即座に強く否定を示す。
こんなにも恋い慕う相手、桜乃が最初で最後の存在なのだ。
そんな彼女への想いを「その程度」と言われるなんて、聞き捨てならない。
しかし桃乃にとっても桜乃は特別な存在なのだ。
自分はどうあろうとも、彼女には幸せになってもらいたい、そう思える存在が桜乃なのである。
桜乃を任せられるのは、今目の前にいる総司ただ一人。
だからこそ、立場に埋もれている総司の気持ちを引き出すようにあえて鎌をかけるような言い方をしたのだ。
暫し無言で見つめ合う二人。
総司は桜乃に対する想いが誠である事を示し、
桃乃はそんな彼の真意を確かめるように。
「――沖田さん、
沖田さんは桜乃の事、好きなんでしょう?」
いやに静かな沈黙を桃乃の静かな声が破る。
確信をついた言葉。
改めてそう声に出して言われ、総司の瞳に強い光が差す。
すると桃乃はフッと肩の力を抜くと微苦笑を浮かべた。
「だったら、その気持ちに素直に従ってみてはどうですか?
“愛獲”とか“遊女”とか以前に、総司さんは一人の男で桜乃も一人の女なんです。
確かに二人には枷が沢山ありますけど、でも・・・失ってから後悔するのじゃ遅いんじゃありません?」
「っ!モモちゃん・・・!」
そうだ。
枷を解く事は確かに困難な事。
けれど、失ったものを取り戻す事は不可能に近く更に困難な事なのだ。
自身が納得し、後悔しない方法。
それは・・・――
「・・・モモちゃん、」
「はい」
「ありがとう」
総司はそう言うと踵を返した。
悩むのは後だ。
まずは結果を成してから、その先の事を考えよう。
駆けていく総司の背に「どういたしまして」と返し見送る。
その姿が見えなくなると、桃乃は近くの壁に背を預け上を仰いだ。
「ありがとう」といった総司の柔らかな微笑は、
憑き物がとれたようにスッキリとし柔らかくて・・・
その笑顔を向けられた事に嬉しさ反面寂しさを覚え、
と同時に桜乃がちょっぴりだけ羨ましいと感じてしまった。
桜乃を遊廓という名の狭い鳥籠から解き放ちたい。
しかし自分にはそれが出来ないから、総司にそれを託したのだ。
でも、――
「・・・あーあ、」
空が、遠い・・・――
軒と軒の間から見える、狭い青空。
自分にはあまりにも眩しすぎる、碧。
「沖田さんにはああ言ったけど、」
人の事は言えない。
むしろもっと意気地がないだろう・・・自分はとうに、“自由”になる事を諦めてしまった。
「だから、あたしの分も幸せになって欲しいのよ、桜乃・・・」
――あんたには狭い箱庭の空よりも、広い青空の下で笑って欲しいから。