咲夜の夢逢瀬

□【act.3】
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「…ここまで来れば大丈夫かな」

彼女を抱えたまま駆け抜けると、しばらくして広い所に出た。
総司は立ち止まると周囲を見回した。
追手はおろか辺りに人の気配はない。

それどころか、

「僕達いつの間にか寛永寺に来ちゃったみたいだね」

見覚えのある建物が目の前に建っている。
数日前握手会を開いた、寛永寺の講堂である。

辺りの安全を確認し総司はソッと彼女を下ろした。
その途端に桜乃は膝から崩れ落ちるとへたり込んでしまった。
総司はギョッとすると自分も同じように屈み込むと彼女を覗き込んだ。

「どうしたの?まさかアイツ等に何かされ…―――」

言葉を言い終える前に総司は口を噤んだ。
突然桜乃が勢い良く抱き付いてきたのだ。
被っていた笠が乾いた音を立てて地に落ちる。

「っ、サクラちゃん…?」

「…」

何とか態勢を崩さずに桜乃を受け止める。
首に腕を回されているので彼女の表情は伺えない。
しかし震えているその身体が何よりも彼女の心情を如実に訴えた。

「…大丈夫。ここにはアイツ等はいないよ」

総司はそう言うと彼女の背に腕を回して抱き締め返した。
すると耳元でヒクリと嗚咽が洩れる気配。
そして次第に肩口が濡れていくのが分かった。

総司は胸が締め付けられるような苦しさを覚え、更に腕に込める力を強めた。

「ごめんね…!離れないようにって言ったのに手を離して…君を怖い目に合わせた」

「っ…!」

総司の謝罪に桜乃がブンブンと頭を振った。

違う!貴方のせいなんかじゃない!

桜乃はそう総司に訴えた。
いつだって彼女は人のせいにしたりしない。
そうして彼女は非を背追うのだ。
それが彼女の優しさであるのだが、今この時は総司を切ない気持ちにさせた。

総司は彼女の頭をやんわりと抑えるとそのまま髪を梳くように撫でた。

「どこか痛くしたところはない?
っていうかアイツ等にヤバい事とかされてない?」

そう案じる総司に桜乃は小さく頷いた。
外傷も特に見られない。
総司はとりあえずホッとすると、暫く抱き締め続けてから彼女から身を離した。

しゃくりあげる彼女の涙を指で拭う。
赤くなった目尻をソッと指で撫でてやりながら総司は口を開いた。

「怖かったんだよね?」

「…っ」

おずおずと頷く桜乃。

いきなり息苦しい人混みにもみくちゃにされ、
知らない男達に取り囲まれて…孤独と恐怖を感じた。

新たに溢れる涙をまた拭いながら総司は敢えて朗らかに言った。

「君を怖がらせた悪者はもっと怖ーい役人が役所に連れてったから。
今頃君に合わせた以上の怖い目に…じゃないか、それ相応の罰を受けるよ」

「……」

「むしろ僕が痛めつけたい位だ…」

「っ、」

総司が駆け付けた時、厳つい男性達に取り囲まれて彼等の親分格であろう男に迫られている彼女の姿があった。
しかも周りで事の成り行きを見守る人々の誰も彼女を助けようとしない。
その光景を目にして、総司の中で殺意に近い怒りが込み上げた。
今日は運悪く帯刀していなかったのだが、もし刀を佩いていたなら抜刀していただろう。

あの時の激情がぶり返し総司の表情が険しくなる。

すると桜乃はシュンと哀しげに眉を下げた。
そして徐に総司の手を取り字を書き出す。

『そんな物騒な事言わないでください…元はと言えば私からぶつかったんですもの。
悪いのは私なんです』

「…けれどそれを口実に君を脅したのは向こうでしょ?立派な恐喝だよ、あれ」

『でも………』

「………ほんと君は優しいというか、ある種お人好しというか…」

尚言い募ろうとする彼女の唇に人差し指を充てる。
口を噤む彼女に総司は続けた。

「…君に免じて、アイツ等の罪を軽くする事は出来るかもよ?」

「!……?」

「僕にはその手の伝手があるから…というか、どちらかというとそちら側の人間だし、」

そこで一旦口を閉ざした総司は一瞬だけ瞳を揺らし静かに呟いた。

「…驚いたでしょ?」

「?」

何を?と首を傾げる桜乃。
総司は苦笑を浮かべた。

「聞いたでしょ?
僕が新選組の沖田だって…愛獲、だって…」

そうして総司は気まずげに視線を落とした。

「隠すつもりは…全くなかったとは言わないけど、偽る気はなかったんだ。
ただ………いや、何でもない。
とにかくごめん、今まで黙ってて」

ただ知られたくなかったんだ。
君の態度が変わるんじゃないかと恐れて…

そう言いそうになり言い繕う。
今更そんの事言い訳にしか聞こえない。

まるで怒られるのを待つ子供のようにだんまりする。
が、一向に彼女が反応しないのを見て総司はソロソロと顔を上げた。

見ると、困惑した彼女の表情。
そして彼女は総司の手に何やら記し出す。

『あの総司さん、』

「…ん?」

『大変お訊ねしにくいのですが、』

「………」

おや?まさか……

そんな総司の予感は当たった。

『あいどる、とは…何ですか?』

(マジで!?)

新選組を知らないのは知っていた。
しかしこのご時世、流石に愛獲の事は知っているだろうと思い込んでた。
幼い子ですら知っている事なだけに、だ。

まさか…そもそも根本の愛獲自体を知らないとは……

(外の世界を知らないにもほどがあるんじゃ……)

総司は目許を手で押さえた。
無垢なのにも程がある。
というかいっそ心配にすら感じられる。

総司は息を吐くと口を開いた。

「愛獲はね、」

もう、隠さずに正直に教えよう。
手短に愛獲とはを説いた。


『―――…つまり愛獲とは、歌を歌って世の中を安泰させる人達の事なのですね?』

「うー…ん、安泰とかなんか仰々しい気がするけど、そうだね」

『凄いじゃありませんか!
ああ、それで先程皆さん総司さんにあれほどの歓声を送っていたんですね』

どうやら正体がバレた時に驚いていたのは彼が愛獲だったのを知ったからではなく、周りの黄色い声援に吃驚していたという事か。

純粋に感心を向けられ総司は困惑した。

「…何とも思わないの?」

「?」

「今まで黙ってた事を怒るとか…
自分で言うのもアレだけど、有名人に会えて恐縮するとか興奮するとかさ」

少なくとも今まで周りにいた一般人はそういう輩ばかりであった。
だから自分の正体を知った彼女もそうなるのではないかと危惧したのだが、

――しかし彼女は総司が“特別”と見出した少女である。
それをすっかり総司自身当たり前となりすぎて忘れていた。

『何故怒る必要があるのです?私は気にしていませんよ。
確かに愛獲と聴いてびっくりしましたし、私なんか足元にも及ばぬくらい凄い方だなと思いましたけけど…』

桜乃は泣きはらした目を細め笑った。

『総司さんは、総司さんでしょう?』

「!!」

総司は息を呑むと目を瞠った。

思いがけない言葉。
しかし総司はフッと肩の力を抜くとゆっくりと息を吐き出した。

(…ああ、そうだ…)

彼女は見た目や肩書き等で相手を判断する人ではないのだ。
どんなに仮面を貼り付けても、
どんなに周りが虚像の沖田総司を持て囃しても、彼女は本当の総司を見失わず向き合ってくれるのだろう。


そんな桜乃だから自分はきっと…――


「サクラちゃん、」

「?」

「ありがとう」

堪らなく目の前の存在が愛おしい。
愛獲笑顔ではない、心からの笑顔を桜乃へ向けた。

虚を突かれた桜乃は目をパチパチとさせる。
けれど直ぐにはにかんだ笑顔を返すと『こちらこそ』と唇を動かした。




「…さて、桜観に行こ?」

ここまでの道中色々な事が起こりすぎてだいぶ時間が掛かってしまった。
残された時間はそう多くはない。
折角寛永寺まで来れたのだから、今日の目的である彼女との花見をしたい。

総司は桜乃の手を取ると立ち上がらせる。
と、不意に頭の中にある考えが浮かび総司は桜乃の後ろに回るとソっと彼女の両目を手で覆って塞いだ。

「!?」

突然暗転する視界に桜乃は慌てて総司を振り返ろうと身を捩った。
しかし総司がそれを阻む。

「しばらくこの状態で我慢して?
大丈夫、変な事はしないから」

すぐ耳元で囁かれ桜乃はピクリと身体を震わせた。
言う通り大人しくなった彼女に総司は小さく笑みを零すと、後ろから腕を回す形で彼女の目を片手で覆いゆっくりと歩み出した。


桜の樹が立ち並ぶ小道は直ぐ其処である。


目的の場所まで彼女を誘導した総司は彼女を止まらせるとソっと手を除けた。

「開けてご覧?」

総司の声に桜乃は瞼を震わせソっと目を開ける。
そして眼前に広がる景色に目を一杯に見開いた。

淡い薄紅の世界が目の前にあった。
道沿いに咲き誇る桜が、二人を歓迎し誘うように花弁を風に遊ばせている。

舞い散る桜吹雪のなんと幻想的なこと。

「綺麗だね…」

先日来た時よりも広く視界を占める薄紅色。
総司は感嘆を洩らした。

それは桜乃も一緒である。
遊廓では到底観たことのない桜の世界にただただ見蕩れた。
景色に惹き寄せられるように数歩足を踏み出す。
両腕を大きく広げ掌に花弁を受け止めた。


「どう?サクラちゃん」

静かに掛けられる総司の声。

桜乃はそれに答える為振り返った。
しかし次の瞬間ハッと息を呑んだ。


総司の周りを舞うかのように風に遊ばれる薄紅の花弁。
そんな数多の桜越しに見える総司の姿が、


幼い頃の唯一の記憶に残る姿と重なった。




“イカナイデ…”―――




言いようのない衝動に駆られ、桜乃は総司に駆け寄ると総司の腕にしがみついた。


「サクラちゃん!?」

「!」

急な彼女の変化に総司は戸惑いを表情に浮かべる。
するとその声にハッとした桜乃は慌てて離れると首を振った。

しかし総司の顔は晴れず、真剣な眼差しを向けた。

「どうかした?何かあるなら隠さないで」

『総司さん…』

揺れる桜乃の瞳が総司を凝視する。
桜乃は次いで桜を見上げると切なげに目を細めた。

今、何があったという訳ではない。
ただ…不意に思い出しただけ。

桜乃は総司に向き直ると手を取った。
そしてゆっくりと文字を綴りはじめ、総司も黙ってそれを見守る。

『私、本当に桜が大好きなんです』

桜乃が記す言葉に沖田は頷いた。
それは出逢ったあの晩から知っている事である。
桜乃は続けた。

『実は私、遊廓に入る以前の記憶がないんです』

「えっ…」

それは初耳である。
驚いて彼女の顔を見ると、桜乃の瞳が僅かに翳りをみせた。

『…ただ、唯一ぼんやりと覚えてる記憶があって……それが桜の景色と、私の真名を呼ぶ女の人の面影…』

「っ!サクラちゃんの…本当の名前?」

では“桜乃”というのは…?

桜乃はゆっくりと頷くと微笑った。
その微笑は儚く悲しげで総司の胸が痛んだ。

『桜乃は花君姐様が付けて下さった名です。
その日から私は桜乃であり、以前の名はその時に捨てました』

「そんな…」

『………総司さん』


(でも、貴方にならば私の名を……)


そう言いかけて桜乃は止めた。
これ以上はたとえ総司にでも許されない。


桜乃は唇を固く引き結ぶと顔を上げた。
戸惑いを隠さず表情に浮かべる総司。
そんな彼の肩には綺麗に五枚の型を成している桜の花弁が留まっていた。
桜乃はそれを徐に取ると、懐から懐紙を取り出し大切に挟め込んだ。

「サクラちゃん…」

『今日の記念に、です!』

しんみりとした空気を払拭するかのようにニコッと笑った桜乃は総司の手を引いた。

『もっと先へ行ってみましょう?』

そう促され、何か言いたげに眉を下げつつも総司は微笑い頷いた。


やんわりと言及を拒む桜乃に、
総司もこれ以上何も訊けなかった。




この時、総司は改めて気付かされた事に愕然とした。




近くにいるのに、


彼女がこんなに遠いと感じるなんて……―――






* * * * * * * * *






「――どうだった桜乃?楽しかった?」

総司は約束通り定刻に桜乃を遊廓へ送り届けた。
そして総司は帰り、夜見世の支度をしながら桃乃がそう訊ねてきた。

桜乃は満面に笑みながら頷くと、懐から取り出した懐紙を広げた。
現れた桜の花弁に桃乃が目を瞬く。

「それは?」

『寛永寺の桜よ。可愛いでしょ?』

手を差し出せばその掌に記された文字を読み、桃乃は微笑みながら「そっか、」と相槌を打った。
至極嬉しそうな桜乃が見れて、桃乃にも喜びが込み上げる。


「――桜乃、桃乃…ちょっといいかい?」

不意に戸の向こうから声を掛けられ、2人は顔を見合わせた。

「おかみさん?」
「?」

どうぞ、と返事をすると開かれた戸の向こう。
真剣な表情を浮かべる内儀に、途端に2人の間で緊張が走る。

まさか今日の事がバレたのか…?

そう危惧するが直ぐに思い直す。
そうだとしたらもっと大事になっているだろうし、そもそも今頃になって?である。


じゃあ……ーー


そこまで考え、不意に2人はハッと息を呑んだ。
内儀が頷く。




「…その心づもりでいなさい」










廓の中の雛鳥は大空を夢見ていた。


未熟な翼では、今はまだ羽ばたけないのだとしても…




いつかきっと夢は叶うと信じていた。




けれど気付いてしまった。




夢を見ようとも、運命からは逃れられないのだと………










【To be continued】

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