咲夜の夢逢瀬

□【act.3】
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「―――じゃあちょっとゴメンねー」

総司は一言断りを入れると桜乃をヒョイと横抱きに抱え上げた。

そして驚く。

(軽い…)

ありきたりな表現かもしれないが、まるで羽毛のように軽い。

「…ねぇ、君ちゃんとご飯食べてる?」

思わずそう訊ねてしまった位である。


「さぁ、お早く!人が来ますわ」

「二人とも気を付けていってらっしゃい!」

侵入口である中庭へは花君と桃乃も一緒に来て二人を見送った。

「それじゃ、」
『行ってきます!』

総司は助走を付けると屋根上に向かって跳び上がった。
跳ぶ瞬間、首にすがりつく桜乃の腕に力が込められる。
総司は安心させるように抱く力を強めると一気に屋根上へと登った。

「…ほら、」

目をギュッと固く瞑る桜乃にそう呼び掛ける。
ソロソロと目を開ける桜乃に眼下の中庭を示した。
庭先には此方に手を振る桃乃と花君。
桜乃はホッと肩の力を抜くと二人へ手を振り返した。
そしてグルリと遊郭を見渡し、空を仰いだ。

澄み渡る快晴の空。

いつも中庭の吹き抜けから見た空が今は近く感じる。
ほぅと嘆息を洩らす。

空に見蕩れる桜乃を総司は眩しそうに見つめた。
もう少し見守っていたい所だが、如何せん時間は限られている。

「…行こっか、落ちないよう掴まっててね」

言うや彼女を抱え直すと屋根伝いに歩き出した。


屋根から塀、塀から地上へと軽やかに飛び降りる。
幸いにも辺りに人の気配はない。
桜乃を地に下ろしてやると、彼女はキョロキョロと物珍しそうに周囲を見回した。

桜乃にとっては幼少以来の外の世界である。
未知にも近い感覚に不安はあるがそれ以上にワクワクと気持ちが高揚してくる。

総司は後ろに下げた笠を被ると、彼女にも被せてあげた。

「いい?絶対にコレ取っちゃ駄目だからね」

念を押す総司。

街中にはもしかしたら桜乃と顔見知りの人がいるかもしれない。
そんな相手と出くわし彼女の顔を見られようものなら一大事である。

それに彼女の容姿は異性を惹き付ける魅力があるのだ。
変な虫が付かないように……そんな総司の独占の表れでもあった。

笠を被り顔が隠れた事により、一見すれば流浪の少年侍にも見えるのではないだろうか。
まさか彼女が吉原一の遊廓に身を置く新造とは思わないだろう。

これで自分達の逢瀬を邪魔される事はないだろう。
満足気に頷いた総司は先頭を切って歩き出した。




――しかし、そんな総司の期待は直ぐにも翻される事となる。






吉原から寛永寺は遠くはない。
与えられた時間はまだまだある。
道中まったりと街を散策するのも良いだろう。

街中に入ると頻りに桜乃は足を止め総司の袂を引いてはアレは何だと問うた。
その度に総司は歩みを中断し簡潔に答える。
おかげで全然前へ進めないのだが総司は苛立つ事はなく、むしろ穏やかな気持ちで彼女の一挙一動を眺めた。
まるで幼子のように目に入ったものに興味津々にしている様は見ていて飽きない。

今度は野菜売りの説明を終えて歩みを再開させると、不意に黄色い声が耳に入ってきた。


「きゃっ!あれ新選組じゃない!?」

「!!」

ピクリ。
総司の足が止まる。

「わぁホントだぁ!見回り中かな!?」

「…」

総司は無言で桜乃の手を引くと踵を返した。

「?」

「ごめん…そういえばあっちの道に美味しいって噂のお菓子屋さんがあるんだって。
寄ってこ?」

キョトンと目を丸める桜乃を別方向に誘導する。

このまま新選組のいる方向へ突っ切るのは避けたい。
変装しているとはいえ、その変装が如何にも身を隠してますと云わんばかりの風体なもので、声を掛けられる事必至だろう。
そうなれば一発でバレる。
此処で自分が沖田総司とバレてみろ―――きっと…否、絶対に辺りは騒然とする。
何なら賭けたっていい。
そうなればせっかくの彼女との逢い引きが台無しになるではないか。

(それに何より…)


愛獲と知って彼女の自分に対する態度が変わったら嫌だと思ったのだ。




* * * * * * * * * * 




方向転換をしたとはいえ歩く距離としてはあまり変わらないだろう。
それに美味しいお菓子屋さんも見付けた。
誤魔化す為の言い訳だったのだが、まさか本当にあるとは思わなんだ。
言ってみるものである。


今江戸では“どーなつ”なる物が流行りなのだとか。
その上、このお店ではどーなつの上に“ちょこら”とかいう茶黒いものがまぶしてあるのが人気なのだという。

得体の知れない……茶黒いちょこら…

食わず嫌いは良くないだろうが総司はそのちょこらはやめ、中に餡子の入った物を選んだ。

「サクラちゃんは何がいい?」

そう総司が尋ねると桜乃はジッとお品書きを見つめ、ちょこらを指差した。

「え」

本気?
吃驚して目で問うと、桜乃はニコニコと頷いた。
…本気である。

「……じゃあ、ちょこらと餡子のと一つずつください」

「あいよ!」


――そして出てきたどーなつ。

総司のは丸い形状をしているが、桜乃のはその真ん中にポッカリと穴のあいた環状であった。

「ちょこら食べた事あるの?」

桜乃はううんと首を振った。
食べた事無いのに選ぶとは、なかなか好奇心が旺盛というか勇気があるというか。

総司は餡子どーなつを食べてみた。

「あ、美味しい」

中の餡子もだが、この揚げられた生地も香ばしくて美味しい。
総司が口を付けたのを見て桜乃もパクリとちょこらどーなつを食べた。

「どう?美味しい?」

「!」

桜乃は目を輝かせコクコクと頷いた。
マジか…!?
総司はまじまじと桜乃とちょこらを見比べる。

「…」

すると桜乃は何を思ったのか、口を付けてない部分をちぎり取り総司の口元に差し出した。

「えっ!?」

目を丸め瞬かせると桜乃はニッコリ笑った。
あげる、という事か。

「…あ、りがと」

総司は素直に口を開くと、差し出されたそれを食べた。

何やら照れる…
普段の自分が今の自分を見たら、らしくないと呆れるだろうか?

しかしその恥じらいはちょこらを食べて薄れた。

「…美味しい」

口に広がる甘さに総司は目を瞠った。
桜乃が嬉しそうに頷く。

(…食わず嫌いはよくないね、うん)

そう再確認させられた。
それに、彼女の手から食べさせて貰えたのだから甘さが倍増しているのではないだろうか。

勿論されてばかりの総司ではない。

「はい、じゃあお返し」

そう言って総司は餡子どーなつをちぎり差し出した。
口元に運ばれたそれを桜乃はキョトンと見る。
総司はニッコリと笑った。

「どーぞ」

僅かに染まる彼女の頬を見て総司は思った。
自分が感じた照れくささを彼女も感じればいいと。

桜乃は小さく口を開くとおずおずかじり付いた。
何やら小動物に餌付けしているような、なんか無性に庇護欲が沸いてくる。

桜乃は口に含んだそれを噛み締めふにゃりと笑み綻んだ。
それに総司も笑みを浮かべた。




* * * * * * * * * * 




どーなつを食べ終え歩き始めると、寛永寺の門前町では屋台が立ち並んでいた。
今日は市か何かあるのだろうか。
人も沢山賑わっている。

人混みはなるべく避けたいのだが、しかし此処まで来たのだから致し方ないだろう。

不意にキュッと袂を引かれた。
見れば桜乃が少し不安そうに総司を仰いでいる。

彼女にとってこの人混みは初めてみるもので怖いのだろう。
総司は袂を掴む手を取ると指を絡め合わせた。

「大丈夫。
離れないように、あと笠も取れないようにね」

そう言って総司は桜乃の手を引き進んだ。


人混みといっても、そんな押せや引けやのギュウギュウなものではない。
進んでみると案外移動しやすいもので安心した。


――しかし、その油断がいけなかった。


「さぁさ!これより次回開催の新選組最終雷舞チケットを先行販売するよ!
数量限定!!今をときめく最高愛獲を生で見る機会を得るかは早い者勝ちだぁ!!」

「は!?」

此処で!?しかも今!?

ギョッとして総司は声の方向を振り向いた。
メガホン片手に威勢良く呼び掛ける男性。
屋台には“新選組”の文字がデカデカと、しかもあろう事か自分の姿が描かれたパネルが掲げられていて…

マズい。
早くこの場を立ち去らないと…

総司は焦り桜乃の手を引いた。
その時だった。

キャアアァァと歓声が上がり、その屋台目指して沢山の人波が押し寄せてきたのだ。
屋台近くに居た総司と桜乃にもその余波が直撃する。

「っ!?ちょっ!」
「!?!?」

衝撃に離れる手。
ハッとするも瞬く間に人混みに紛れる桜乃に総司は手を伸ばした。
しかし届かない。

「サクラちゃんっ!」

総司は歯噛みした。

キャアキャアと押し寄せるのは新選組の煌達なのだが。
その中に紛れ、この時ばかりはこの煌を斬り伏せたいと物騒にも思わずにはいられなかった。




総司とはぐれてしまった。
人混みに揉まれ、それでも必死に笠が取れぬよう掴みながら桜乃は自分の意思とは関係なく人の波に流されていた。

先ほどから何度も人とぶつかり身体中が痛い。
しかしそれよりも総司が傍に居ない不安に桜乃は泣きそうになった。

やっとこさ人混みを抜けた。
ヨタヨタとしながら人垣から離れる。
すると足をもつれさせよろめいてしまった。
更にドンっと何かに勢い良くぶつかってしまい、桜乃は尻餅をついた。

「いてっ!!」
「!?」

頭上から低い声が掛かり桜乃は弾かれたように顔を上げた。

見るからにガラの悪そうな強面の男性が桜乃をギロリと睨み付けた。
後ろにはその子分らしき何人かを従えている。

「おいガキ!!親分に何突っかかってんだよ!!」
「!」

桜乃は慌てて立ち上がりペコペコ頭を下げた。
しかし、声を発さぬ桜乃に彼等は更に激昂した。

「おい詫びはねぇのか小僧!」
「っっ」

子分達が桜乃の周りを取り囲む。
桜乃は恐怖に身を竦め涙を零した。
いつの間にかこの諍いに人々は彼女を気の毒そうに桜乃を見守っているが、助けようという人はいない。

「何とか言えや!」
「っ!!」

親分と言われた男が桜乃の胸倉を掴みグンッ引き寄せた。
そして間近に彼女の顔を覗き込み目を見張った。

「お前…女か?」
「っ」

男の呟きに桜乃はハッとするとジタバタ身を捩った。
が、男は構わず彼女の顎を掴み値踏みするかのように顔を見つめると、舌なめずりをしニタリと嗤った。
桜乃に戦慄が走る。

「かなりの上玉だがその身なり、訳ありか?まぁどうでもいいか。
俺に突っかかった代償払ってもらおうか…躯でな」
「っ!!」

囁かれた言葉、耳を突く不快な声に桜乃はブンブン首を振りもがいた。
涙が散る。
しかしその嫌がり抵抗する様子は男を更に高ぶらせてしまうもので、男は子分に呼び掛けると桜乃を取り押さえるよう命じた。


その時、


「その子に触らないでくれる」
「はぁ?…ガハッ」

不意に掛かる静かな声と刹那一人の子分の呻き声。
男達はピタリと動きを止めた。

「何だテメェ…」
「……っ!」

声に振り向いた桜乃は息を呑んだ。
其処には総司が立っていたのだ

『総司さんっ!!』

桜乃は唇を動かした。
懸命に手を彼に伸ばす。
涙で濡れる彼女の顔を目にし、総司の顔が悲痛に歪んだ。
そして足早に彼女に足を進めた。

「おいっ…――」
「邪魔!」

突っかかろうとする子分に強烈な蹴りを食らわせる。
グエッと潰れた呻きを洩らしうずくまる子分。
それを見て怯んだ他の子分は動きを止める。
総司は構わず桜乃に近付くと、彼女を捕まえる男の手から強引に引き剥がした。

『総司さん…』

「ごめんね、怖かったでしょ?
とりあえず早く離れよう」

『…は、いっ』

震える彼女の肩を優しく抱きながら総司は男に見向きもせず身を翻す。
呆気に取られていた男はハッとすると帯刀していた刀を抜いて総司に振りかぶった。

「この野郎っ!」
「っ」

刹那気配に気付き彼女を押しやった総司は寸前で刀を避けた。
しかしその拍子に笠が割れパラリととれてしまった。

曝される総司の素顔。

それに男達はおろか周りを取り囲む野次馬達も驚愕する。

「お、お前…!」

「あれ…沖田様?」
「新選組の沖田様よ!!」
「キャアア嘘!!」
「まさか愛獲に会えるなんてっ」

(チッ)

総司は舌打ちをした。
更にややこしくなってしまった。
桜乃にチラと目を遣ると戸惑いに辺りを忙しなく見回し、総司を驚いたように仰いだ。

ああ………知られてしまった。

総司は桜乃の瞳から逃れるようフイッと目を逸らすと息を吐いた。

落ち着け………
自分を宥める。

とりあえずこの場を何とかせねばなるまい。
冷静に努め総司は男を見据え声を上げた。

「…まさか単身見回り中に恐喝現場に遭遇するとは思わなかったけど、バレちゃあ仕方ない…」

「単身見回り!?」
「すごい!じゃあ他の新選組の方も…!?」
「キャアア沖田様ぁ!!」

「この方はさる大名の“ご子息”。
だから事を穏便にと思ったんだけど……――」

そこへ不意にピィーとけたたましい呼び子の音が。
丁度いい。
総司は男達を指差し声を張り上げた。

「僕に斬り掛かった罪は重いよ!
恐喝及び斬殺未遂でひっとらえる!」

「な、なにっ…―――」
「恐喝に殺人未遂はお前か!!神妙にせいっ」

逃げようにも周りは人垣。
そうこうする内に総司の上げた声に駆け付けた役人達がドッと男達を取り押さえた。

その一連の騒ぎの中、野次馬の意識が自分から逸れたその一瞬の隙に笠を被り直し桜乃を横抱きに抱え上げると脱兎のごとく走り出した。

その俊敏さと目立たない出で立ちのおかげで直ぐに人混みに紛れられた。

「あれ沖田様は!?」
「沖田様ぁ!!」

そんな声を背に総司は上手い具合に人を避け路地に入っていった。










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