咲夜の夢逢瀬

□【act.3】
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翼を折られ廓に閉じ込められた雛鳥は、
四角く切り取られた空を見上げ大空に憧れていた。


いつか…外の世界へ……


叶わない夢語りだとしても、
夢見る事は自由でしょう?




それに信じていたら、きっと…―――






【act.3】





此処に来る以前の記憶を私は持たない。
ただ、唯一覚えているのは…


『…“  ”…――』


舞い散る桜吹雪の中で私を呼ぶ女性の朧な面影と、私の“誠の名前”。

けれどその名は今やもう誰にも呼ばれる事はない。

私は吉原に生きる“桜乃”。
それ以前の記憶を持たない私にとって、此処が私の在るべき場所。
…それにたとえ此処を出たとしても、私には此処以外の居場所がないのだから。


それでも…


“外の世界”への憧れは強い。
未だ見ぬ景色、私の知らない事。
それらが沢山溢れている外の世界へこの足で行き、五感全てで感じてみたい。



もし、叶うのなら…―――






* * * * * * * * *




昼下がりの吉原はとても静かである。
この時間帯も遊廓は昼見世といって客入りを行っている。
しかし、夜に比べてこの昼見世は来る客が極端に少ない。
なので遊女達は多方指名が来ない限りは個人個人の時間を楽しんでいるのだ。

此処、吉原一と謳われる遊郭も例に違わない。
殆どの遊女が自室にてのんびりと寛いでいる。


そんな中、吹き抜けのある中庭に降りキョロキョロと辺りを見回す影が一つ…
この遊廓の新造である桃乃である。


「…沖田さーん…?」

桃乃は草陰に近寄ると、まるで探し猫の名を呼ぶかのように小声でそう声を掛ける。

…すぐに返答はない。

少しの間を空けもう一度呼び掛けようと唇を開きかけたその時、草陰からではなく頭上から返事が返ってきて桃乃は弾かれたように顔を上げた。

「こんにちは、モモちゃん」

「っ!沖田さん!!――」
「しぃっ」

思わず声を上げた桃乃に、総司は唇に人差し指を充て静かにするよう示す。
ハッと口を塞ぐ桃乃。
そしてキョロキョロと辺りに人が居ないのを確認して総司に頷いた。
それを見て総司が屋根上から華麗に飛び降りた。

「…本当にこんな所から侵入してたんですね…!」

「ここ以外思い付かなくてさ。
それにしても意外と警備が手薄だよね、ここ。
まぁ、そのおかげで侵入出来てるんだけど」

「…まさか上から侵入するなんて思いませんよ、普通」

そもそも遊廓に身一つで侵入してこようとは考え付かないものである。
しかし現にこうして忍び込んでいるのは紛れもない事実。

(という事は何、僕は普通じゃないってこと?)

そりゃあ…少なくとも一般人とは違うのは認めるが。

総司は澄まし顔で肩を竦めた。

「それよりも、サクラちゃんの具合はどうなの?」

「もうすっかり大丈夫ですよ。
むしろ今日の事を楽しみにしているみたいで」

「そう、よかった」

安堵に顔を緩めると、不意に桃乃の表情が曇った。

「沖田さんは本当に桜乃の事が…」

「ん?」

その呟きはあまりに小さく、聞き取れなかった総司は首を傾げた。
桃乃はハッとすると慌てて首を振り、きまり悪そうに苦笑した。

「いえ!ただ……そう、桜乃が羨ましいなって…」

「モモちゃん?」

「は、早く桜乃の所へ行きましょう!ずっとここにいては見つかるかもしれませんし」

言うやそそくさと歩き出す桃乃の背を不思議に思いながら総司は追いかけた。

桃乃の様子に確かな違和感。
しかしこの時の総司はあまり気には留めようとしなかった。

それよりも今は一刻も早く桜乃に会いたかったのだ。




『二人で一緒に寛永寺の桜を観に行こう』


それは一昨日の事、彼女をお見舞いした時に交わした約束。


午後からオフを貰った総司は、今日この約束を果たしに来たのである。




細心の注意を払い遊廓の最奥へと廊下を進む。
途中何度か人と出くわしそうになったが、桃乃の機転で紙一重に回避する事が出来た。

そうしていよいよ桜乃の居る部屋の前まで来ると、僅かな戸の隙間から二つの翠眼が垣間見えて総司は思わずプッと吹き出してしまった。
すると戸がスラリと開く。
その先には瞳をキラキラと輝かせた桜乃が待ち侘びた様子で立っており、総司と桃乃を部屋へと招き入れた。

『総司さんっ』

唇が総司の名を呼び動く。
嬉しそうに笑む桜乃に総司も微笑み返した。

(なんか…ワンコみたいだなぁ)

まさに帰宅した主人を出迎える仔犬のよう。
もし彼女に尻尾があったとしたなら間違いなく千切れんばかりに振っている事だろう。
だから自分も忠犬を褒めるように、よしよしと頭を撫でてあげた。

「ごめんね、待たせて。お迎えにきたよ」

すると気持ちよさそうに目を細め桜乃は頭を小さく頷いた。
その仕草の可愛いらしいことといったら。
無性に甘やかしたくなる衝動に駆られ、総司は更に笑みを深くさせた。

「体調は大丈夫?」

そう問うと桜乃はしっかりと頷いてみせる
そして沖田の手を取ると指を滑らせた。

『好調です。今日の為にちゃんと養生しましたから。
ただ今日が楽しみで昨晩はなかなか寝付けなくて…』

「ぷっ!なにそれ、子どもじゃないんだからさ」

『だって…なかなかこんな機会ありませんもの…』

目に見えてシュンとする桜乃。

彼女は次期花魁候補。
それ故この遊廓に入って以来、滅多に遊廓外へは出してもらえないのだ。

総司は自分の言葉が過ぎた事に気付く。
他人に対してならまだしも、彼女を傷つけるのは全く持って不本意である。
詫びといたわりを込めて総司はもう一度彼女の頭を撫でた。

「そうだね、ごめん。
じゃあ今日はいっぱい楽しも?」

そう言うと桜乃の表情がパッと明るさを取り戻す。
そて元気よく頷いたのだった。


――丁度その時である。
訪問を告げる声が不意に戸の向こうから掛かった。

「桜乃?、」

沖田はハッと入り口を振り返り身構える。
しかし直ぐに桜乃は沖田の袖を引くと首を振った。
唇が『大丈夫です』と動く。
沖田はキョトンと瞬いた。

そうこうする内に桃乃が戸を開き、一人の女性が部屋に入ってきた。

「よかった、間に合ったわね」

「えっと…」

どういう事だ?
というかこの人、どこかで見た事あるような……?

怪訝に窺っていると、女性が総司に視線を移してふわりと笑った。

「お久しぶりですわ、沖田様」

にっこりと笑む彼女に沖田は曖昧に会釈する。
そしてふと思い出した。

「…あの夜の?」

「はい、花君です。またお会い出来て光栄ですわ」

「それはどうも…それで?」

何故此処に、しかも総司が居るというのに慌てないのだろう。

全く状況が掴めない。
些か困惑していると桃乃が事情を口にし出した。

「実は花君姐様には沖田さんの事も今日の事も話してあったんです。
すみません、勝手な事をして。
でも君姐様は私達の姐分で、とても信頼出来ますし力にもなってくれますから」

「およしな桃乃。そんな褒めても休みはあげられないわよ?」

桃乃の半ば讃辞の混ざった説明に花君は微苦笑を浮かべる。
そして改めて総司に向き直ると徐に頭を下げた。

「この子達から貴方様の事は伺ってます。
そして桜乃の姐分として…ありがとうございます、沖田様。
今日は桜乃の事、よろしくお願いします」

「もちろんです」

お願いされずともそのつもりである。
しっかりと頷く総司に花君は嬉しそうに目を細めた。

「ここには誰も近付けませんから、桜乃が留守の事も悟らせません。
なので目一杯楽しんできてくださいな」

「ありがとうございます」

なんと頼もしいことだろう。
桜乃と桃乃の様子からも彼女が信頼に足る存在であるのが分かる。
これならば気兼ねなく出掛けられそうだ。

「夜見世の始まる前には戻ると約束頂けますか?」

「わかりました、ちゃんと送りますよ。
あ、それからこれ…」

そう言うと沖田はずっと手にしていた包みを桜乃に差し出した。
受け取りながら桜乃が不思議そうに首を傾げる。

「着物と笠だよ。まさかその格好では出られないでしょ?
着物は男物だけど小さめなの持ってきたから」

「わぁ!本格的ですねっ」

「どれ桜乃、袴は初めてでしょう。
着付けてあげるわ」

桜乃はコクリと頷くと物言いたそうに総司を仰いだ。

「ん、なに?どうかした?」

総司も彼女を見つめ返しながら首を傾げた。
すると桜乃に代わり桃乃が「あー…うーん」と唸りながら言った。
気まずそうなのは何故だ?

「あのですね………ちょっと入り口の方、向いててもらえます?」

「は?」

何で、と目で桃乃に問う。
桃乃は明後日の方を見ながら頬を掻き、そしてついと部屋の隅を指し示した。
部屋の隅には折り畳まれた衝立が立て掛けてある。
総司はパチクリと目を瞬かせた。
すると今度は花君が苦笑を洩らした。

「すみません、沖田様。
別室で着替えられたら一番なのですが、これから変装するのでしたらあまり出歩かぬ方がよろしいでしょ?
ましてこの部屋は他の部屋と少し離れてるので、見付かる危険は極力避けませんと」

「………つまり?」

「此処で着替えます」

キッパリ、つまりはそういう事である。
遠回しに言われるより分かりやすく、いっそ清々しいのだが…

「………マジ?」

まさか直ぐ近くでお着替えされるとは思っていなかった総司はポカンと呆けてしまった。
そんな彼にはお構いなしに花君は衝立を広げる。
そして景気良く手をパンパンと叩いた。
何処かやる気満々に見えるのは気のせいではあるい。

「さぁさ、時間が惜しいですわ!桃乃、」

「はいっ!
沖田様、失礼します!」

問答無用に総司は身体ごと入り口を向かされる。
そして総司の正面に桃乃は回り込むと、腕組み仁王立ちをすると総司をガン見するのだった。

きっと覗き見防止の見張りなのだろう。

(いや、そんな事しなくても見ないしっ)

総司はハァと溜め息を吐くと、仕方なしに目を閉じた。


―――が、


見ずとも後ろの方でゴソゴソと身支度する気配は伝わってくるもの。
普段なら気にも留めない衣擦れの音、
花君が桜乃に「後ろ向いて」だの「ここを押さえていなさい」だの指示する囁き声。

むしろ目に出来ない分、聴力が無意識に研ぎ澄まされ総司は居たたまれないような情けないような………あまつ衝立の向こうの桜乃を想像してしまいそうになり眉間に皺寄せた。

(…なんか僕が変態みたいじゃないか)

断じて違う。
これは不可抗力である。

そんな葛藤を内心で繰り広げ、挙げ句苛立ち始めたその時、漸く花君の声が掛けられた。

「お待たせしました、用意整いました」

…やっとか。
総司はイライラを落ち着かせる為に息を吐き出す。
しかし、そうせずとも振り返った瞬間それまでの苛立ちは綺麗に褪せてしまったのだった。

「わぁ!!」
「……へぇ…!」

桃乃と一緒になって嘆美を上げる。

深色の着物と袴を見に纏った彼女は、先程とはガラリと印象が変わった。
しかし似合っていないという訳ではなく、また違った魅力がある。
長い髪は一つに纏められている。
装いは男性だが顔立ちも含め少年とは呼び難いだろうが、そこは笠を被り隠せば許容出来よう。

着慣れぬ着物に桜乃はソワソワと落ち着きない。
しげしげと己を見下ろし、最後に窺うような上目で総司を窺い見た。

「似合ってるよ、大丈夫」

勿論お世辞なんかではない。
素直な感想を伝えると桜乃はホッと表情を緩めた。

先程の不機嫌は何処へやら、総司は満足気に笑うと桜乃の手を取った。

「じゃあ行こ、サクラちゃん」

『はいっ!』

早く出掛けたい。
それは総司も桜乃も同じ気持ちであった。


仲良く手を繋いだ二人を、花君と桃乃は微笑ましそうに………しかし、その中に僅かな愁いを含ませ見守っていた。










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