咲夜の夢逢瀬
□【act.2】
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お座敷から離れた遊廓の外れ、その更に奥まった部屋に総司は案内された。
少女ーーーー桃乃曰く、この辺りは所謂遊女達の生活圏との事。
しかし今の時間帯は、遊女達のほぼ皆がお座敷に出ている為に人の気配は無くシン…としている。
つくづく自分は運が良いと思う。
忍び込んだは良いものの途方に暮れていた時に、たまたま桜乃の所へ行くという桃乃に出会い、更には案内もしてもらっている。
その上此処までの廊下では誰とも遭遇していないときた。
まったくもって最高愛獲ともなると、持っている運気も高いようであると思わずにいられないだろう。
兎にも角にも、やっと彼女に逢えるのだ……
そう思うと妙に緊張してしまうのは何故だろう。
本当に…こんな気持ちにさせるのは桜乃だけである。
逸る気持ちを抑え総司は桃乃に続いて戸の前に来た。
部屋の中からは微かに乾いた咳が漏れ聞こえる。
桃乃が部屋の中へ控え目に声を掛けた。
「…桜乃、入るよ?」
一言置いて桃乃は静かに戸を開けた。
そして入る前に総司に目配せをする。
少し待ってろとの事だ。
総司は頷くと戸の陰に身を潜ませた。
「具合はどう?」
そう言って桃乃は部屋の中へと入っていった。
戸は開けたままである。
総司は自然と息を潜ませ了承が出るのを待つ。
少しして僅かな衣擦れの音と小さな咳が聞こえてきた。
「だいぶ良い?どれ……んー、でも熱はまだ高いね」
桜乃の熱を計ったのだろう、桃乃がそう言う。
総司は僅かに眉根を下げた。
彼女の具合が悪いという事実を再認識したのだ。
すると不意にオホンッ!とわざとらしい咳払いがし、総司は俯きかけた顔を上げた。
「…えっとね実は……桜乃にお客様来てるんだけど…」
「?」
少女の言葉を合図に総司はヒョコッと戸から顔を覗かせた。
「やぁ、サクラちゃん」
「!」
総司はそう言うと部屋の中にするりと入り、後ろ手に戸を閉めた。
そうして改めて少女を見つめた。
桜乃は敷かれた布団に横になっていた。
先日逢った時とは違い、長い銀糸の髪は解かれ緩い波を打って敷布の上に広がっている。
薄く開いた唇からは微かに荒い呼吸、潤む瞳は驚きに見開かれ総司を凝視している。
そして極めつけは、少し乱れた夜着から覗く熱で上気した肌…
(…ヤバイね)
うん、色々とヤバイ。
思わず二の足を踏みかける。
しかし直ぐに気を取り直すと再度彼女に歩み寄った。
『総司さん』
桜乃の唇がそう動く。
総司は淡く微笑むと枕元に座った。
「っ」
「あ、楽にしてて。具合悪いんでしょ?」
起き上がろうと緩慢に身じろぐ桜乃を総司がやんわりと制する。
しかし桜乃はフルフルと首を振り、構わず上体を起こした。
そういうわけにはいかないと言いたいのだろう。
そんな彼女がいじらしくて、総司は彼女の背を支えてやりながら俯き呟いた。
「…ごめん、僕のせいだよね」
「?」
「寒い中で長居させちゃったから」
「!」
慌てて彼女が頭を振る。
自身の体調不良は総司のせいなどではないのだと必死に訴えているのだ。
しかし如何せん、体調を崩しているのに首を振りすぎた。
目眩からうずくまった彼女がケホケホと咳き込む。
「サクラちゃんっ」
総司は桜乃の背を摩り咳が治まるよう宥める。
苦悶を浮かべる桜乃の表情につられ総司の顔も歪む。
懸命に背をさすっていると幾分落ち着いてきたようだ。
桜乃は再び上体を起こすと申し訳なさそうに微笑んだ。
強張った頬を無理に持ち上げた微笑。
それはとても痛々しく……儚く見えて、
ツキンッと総司の胸を痛ませた。
「…あたし水換えてきますね。
沖田さん、少し桜乃の事看ててくれます?」
気を利かせてか桃乃がそう切り出した。
「分かった」
「お願いします」
桃乃は総司に、それから桜乃に微笑みを向けると水桶を手にして部屋を出て行った。
「…」
遠のいて行く足音が完全に聞こえなくなるのを確認し、総司は突然桜乃を抱き込んだ。
「!?」
息を呑む桜乃。
それでも構わず腕に力を込めると、耳元で囁いた。
「急にごめん…なんだかこうしたくなった」
力任せに抱き締めたら折れてしまいそうな華奢な身体は、熱のせいもあり熱い。
総司は頬に触れる桜乃のこめかみに擦り寄った。
彼女からは桜花に似た甘い薫りがする。
鼻腔いっぱいに広がるそれに軽く眩暈を覚えて、総司は更に抱き込む力を入れた。
「……」
桜乃は為されるがまま、大人しく総司の腕の中に収まっていた。
しかし少ししてモゾモゾと身じろぐと、やっとこさ腕を総司の背に回し優しく撫で摩る。
まるで先程彼からされたように。
総司は腕の力を緩め身を少し離すと彼女の顔を覗き込んだ。
物言いたげに向けられる瞳。
合点のいった総司は手を差し出した。
案の定桜乃は直ぐにその掌の上に何事かを綴り始める。
『総司さん、何故ここへ?』
当然とも言うべき疑問。
総司はよしよしと頭を撫でてやりながら答えた。
「また逢いにくるって約束したでしょ?
だからサクラちゃんに逢いに忍び込んできた」
「!」
ギョッとする桜乃。
しかし直ぐにクスッと笑みを零すと肩を揺らしてクスクス笑いだした。
総司もつられて笑う。
我ながらすごい事をしたと今更だが思ったのだ。
「具合はどんなカンジ?熱は高いようだけど…」
総司はそう言うと額に触れた。
それから頬へと手を移せば、桜乃が充てがわれたその手に擦り寄る。
おそらく総司の手が自分の熱より低くひんやりとして気持ちいいのだろう。
まるで小動物に甘えられたような心地である。
それにしても可愛い。
こんなに素直で純粋に見える彼女は、しかし次期花魁候補…-―――
その事実を唐突に思い出し総司の表情に険が差す。
重宝されるが故に自由を、そして声を奪われた少女。
-―――それはまるで、鳥籠の中に閉じ込められ大空を羽ばたく事の叶わなくなった小鳥のようではないか。
自由を縛られる苦しみ、そこから生まれる虚無感は自分も痛いくらいに知っている。
だから、
「―――今、寛永寺の桜が丁度見頃なんだ」
考える前にそんな事を口にしていた。
桜乃を見れば瞳を輝かせている。
あの寛永寺で見た桜の大樹。
あれを彼女に…いや、彼女と一緒に見たい。
桜だけじゃない。
もっと沢山の物を彼女に見て、聴いて、感じて欲しいのだ。
彼女を、この鳥籠の中から出してあげたい…――――
「元気になったら見に行こう?」
「っ…」
思いもかけない総司の誘い。
しかし桜乃の表情が途端に陰る。
知っている。
普通は外に出して貰えないのだという事は。
だから、
「僕が連れてってあげるよ。
周りには内緒で、ね」
「!!」
弾かれたように顔を上げ桜乃は総司を見つめる。
総司はそれに笑顔で応えた。
「……」
少女の瞳が熱とは別に潤みだす。
溢れる涙が頬を伝うと同時に少女は泣き笑いを浮かべると大きく頷いたのだった。
自分の自由を、他者に奪われて良いわけがない。
もし自力でその鳥籠から出られないのなら、
――僕が手伝ってあげるよ。
【To be continued】