咲夜の夢逢瀬

□【act.2】
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江戸遠征中の新選組。
しかし、一日の動きは京都に居た時と何ら変わらない。


午後七時。

日もとうに落ち、各々が思い思いの自由時間を過ごしている中。


「あれ?沖田さんは?」

一人の隊士がキョロキョロと辺りを見回しながら同僚にそう訊ねた。

「…そういえば見ないな。
珍しい、沖田さんが自主練に来てないなんて」


いつもこの時間に見かける筈の姿が今日は見当たらない。

二人は顔を見合わせ首を捻った。






ーーーーその頃、吉原ーーーー




今夜も吉原の夜は眠らない。
夜の暗闇を感じさせない煌々とした灯り。
軒並み建つ遊廓からは客引きの声が絶えず掛かる。

華やかな空気の漂うそんな中、
吉原一と謳われる上流遊廓の…しかも裏手側に一つの人影があった。


(さて……どこか手頃な所はないかな、と)


それは常に身に付けている隊服を脱ぎ、極力目立たない着物を着た総司である。

深色の布地が宵闇に上手く溶け込んでいる。
何より顔が世間に知られている為に笠を目深に被り、パッと見は誰も彼を愛獲とは思わないだろう。

一見したら一介の侍に見えるだろうか。

しかしやはり隠しきれない雰囲気は滲み出てしまうもの。
それは自覚している為、総司は人気のない裏手に回ったのだった。




ーーーーそう、総司が桜乃に逢う為の秘策。


ズバリ、遊廓へ忍び込み彼女と密会する…!




屋敷に忍び込むなんぞ、誇りたくはないのだが雑作もない。
思い出したくもない幼い頃に嫌でも身に付けた術(ワザ)が、まさかこんな形で活かせるとは思わなんだ。


総司はぐるりと遊廓の周りを一周した。
そして頃合いの良い裏手で足を止めると、聳える塀を仰いだ。


流石は上流遊廓。
塀は高く、建物自体がそもそも大きい。


しかし…ーーーー


「…よし」


総司は軽く助走を付けると力強く踏み切り、身軽にも高々と跳躍した。
そして塀に飛び乗ると着地の勢いを利用して更に高い屋根へ上がる。

この間で耳につくような騒音は立てていない。
まさに忍の如き隠密さ。

…まぁ、誉められた事ではないのだが。
賞賛された所で嬉しくもない。


そんなこんなあっという間に島原全体を見下ろせる位置に着くと、総司は遊廓をぐるりと見渡した。


割と広い敷地。
そのほぼ中央、四角く切り抜かれたあれは…中庭だろうか。


総司はそちらに向かって屋根伝いに歩き出した。




* * * * * * * * * *




下に人が居ないのを確認し総司は中庭に降り立った。
辺りを素早く見回して確信する。
やはり此処はあの晩、桜乃と一緒に居た中庭である。


そういうことで、総司は見事に遊郭への侵入を果たしたのだった。


とはいえ…


「問題はこれからだよね」


彼女が今何処で何をしているのか、だ。


まして遊廓の内部はまさしく迷宮。
一度来たきりの総司には到底攻略出来ない。

どうしたものかと総司は唸った。

迂闊に動き回っては迷うのがオチ。
誰かと鉢合えば騒ぎになるのが必至だろう。
かといって此処でジッとしているのでは、わざわざ変装して忍び込んだ意味がない。

いずれにせよ、何か手を打たねばなるまい。

ここはやはり……危険承知で彷徨いてみるか……


総司は中庭に面する渡り廊下に近付いた。

しかし、不意に沖田はハッとすると身を翻した。

(誰か来る…!)

近付いてくる足音に気付き、総司は素早く草陰に身を隠した。

動き出そうとした瞬間にこれである。
果たして構図も解らぬ遊廓内で桜乃を見付けられるのだろうか。
いよいよ不安を感じ始めた時だった。

渡り廊下の方から話し声が聞こえ始めた。


「――――桃乃、桜乃の具合はどう?」


落ち着いた女性の声。
沖田は息を詰めた。

“桜乃”

女性は確かに彼女の名を口にした。

なんという絶妙なタイミングだろうか。
喜びに高揚しかける気を、しかし総司は押し止めた。

彼女の具合がどうとか…って。

途端に高揚が一抹の焦りとなる。
沖田は自然と聞き耳を立てる態勢に入った。


「それが変わらずです」

女性の声に答えるのは少女と思しき声。
その返答に女性が「そう…」と気の毒そうに息を吐いた。

「…ごめんなさいね、看病を任せてしまって」

「いいえ!姐様はお勤めに集中してください!
だって今夜は…」

「えぇ……だから悪いけど桜乃の事はよろしくね」

「勿論です!」

「それじゃあ」

会話を終え遠ざかっていく足音。
それを耳にしながら総司は肩を落とした。

どうやら彼女は体調を崩しているらしい。

総司には思い当たる節があった。
あの晩、寒い外に長居をさせてしまった事である。

だとしたら、自分のせいで彼女が床に伏せている事になる訳で……

いてもたってもいられず、総司は草陰から出ると急いで渡り廊下に上がった。
そして、今まさに廊下の角を曲がろうとする少女の背を追い駆けた。


「君!ちょっといい?」

「えっ?」

総司の発した呼び掛けに少女が肩を揺らし振り返った。
年の頃は桜乃と同じか少し上くらいに思われる。

少女は目をぱちくりとさせ駆けて来る総司を凝視した。
が、総司が近付くにつれその丸い瞳が大きく見開かれていき、とうとう彼女は口をカパッと開けると絶叫したのだった。

「ああぁああ!!?」

「しぃぃー!!」

すかさず総司が少女の口を塞ぐ。
そして辺りを忙しなく見回した。

……幸い周囲には誰もいない。

ホッと息を吐いた総司は、フガフガとする少女をニッコリ笑顔で見下ろした。

「ごめんね、ちょっと静かにしてくれる?」

「んっ!んんっ!」

赤面しながら激しく頷く少女。
総司はパッと手を離し彼女の口を開放させた。
ゼェゼェと少女が懸命に深呼吸を繰り返す。

そういえば、咄嗟の事で口だけでなく鼻も塞いでしまったようだ。

悪い事をしたと思いつつも詫びる気はない。
叫ばれまいとした結果であって故意ではないのだから。

総司は少女に気付かれぬよう、ちゃっかり彼女の口を押さえた手を袴に擦り付けた。
汚れた訳ではないのだが、何となくだ。

「手荒にしてごめんね」

仕上げに手をパンパンと打ち払いながら総司が言う。
すると少女はハッと息を呑み、今度は首をブンブン横に振った。

「い、いいえ!むしろありがとうございますっ!!ぁ、じゃなくてっ――― 」
「ところで君、これからサクラちゃんの…桜乃ちゃんの所に行くんだよね?」

一人訳の分からぬ事を言っては慌てている少女に、総司は内心で「面倒臭いなぁ」と毒突きながら言葉を遮った。

今は一刻も早く彼女に逢いたいのだ。

総司の言葉に少女は一旦口を噤み、戸惑い気味に頷いた。

「え、ええ。そのつもり、ですけど…―――」
「連れてってくれる?」

間髪入れずにそう切り出す。
少女は再び口を噤むと目を忙しなく瞬いた。
必死に言葉の意味を理解しようとしているようだ。

そんな難しい事を言っているつもりはないのだが…まぁ、登場の仕方といい発言といい中々にブッ飛んでいる事は認めるが。

「ねぇ…」

「だ、駄目に決まってるじゃないですか!!
急に何を言うんです!?」

漸く思考が追い付いた少女が、目をつり上げ総司の申し出を却下する。

そりゃそうか、と納得するもここで引き下がる気は毛頭ない。

総司は肩を竦めるとわざと至極しょんぼりとしてみせた。

「だって彼女具合悪いんでしょ?
それ多分僕のせいだし…もともと彼女に逢いに忍び込んだんだし」

「し、忍び込んだ!?えっ何処から…!」

(おっと…)

ついバカ正直にも忍び込んだと言ってしまった。
勿論、何処からと問われてまたバカ正直に答える訳がない。

「…ヒ・ミ・ツ」

必殺・目映いばかりの愛獲笑顔。
という名の笑って誤魔化せ作戦である。

大抵の煌はこれで悩殺に出来るのだが………

見れば例に違う事なく、少女もまた顔をこれでもかと真っ赤にさせ仰け反った。

「ほぉああ!!///…ハッ!じゃなくてっ!!」

しかし、はぐらかせはしなかったようだ。
少女は気を取り直すと総司に詰め寄る。

「貴方、新選組の沖田様ですよね!?
そんな愛獲の方が忍び込むなんて…しかも此処に…」

「あ、君は僕の事知ってるんだ」

桜乃が知らなかった事もあり、この少女も知らないものとばかり勝手に思い込んでいた。

しかし思い返すと、お座敷でも数多の遊女が自分を愛獲と囃していたではないか。

「勿論知ってますよ!新選組は有名ですからっ!!
二日前も軽く皆盛り上がってたし……あれ?でも“君は”って…」

やや興奮気味の少女が総司の言葉に首を傾げた。
が、何やら思い当たる事があったようで「あぁ…」と呟いた。

「そういえば二日前沖田様に附いたのは桜乃でしたね!
そっか、桜乃は新選組知らないわよね…だって“特別”だもの。
…あっ!だから姐様は桜乃を沖田様に附けたのか…」

一人フムフムと納得する少女に総司が怪訝な顔を向ける。

「特別?」

何が特別なのか。
確かに自分からして見たら桜乃は特別な存在なのだが…

訝る総司に少女は頷いた。

「えぇ、桜乃はお店に重宝されてますから…あまり外の世界に触れさせてもらえないんですよ」

「…なにそれ、つまり外に出して貰えてないって事?
遊女ってそんなに拘束されてるわけ?」

「そんな事ないですよ?
あたし達だってお休みの時は外へだって行きます!
ただ桜乃は特別なんです…」

少女は俯くと続けた。

「桜乃は次期花魁候補だから…お店は桜乃を大切に……ううん、必要以上に縛り過ぎてるんです。
それこそ入った時から…だからあの子の声も…」

「……」


桜乃が次期花魁候補。

初耳なそれに…しかし、沖田は合点がいった。

確かに彼女の容姿は周りの遊女に抜きん出て秀麗である。
器量だって(少し抜けてはいるが)それなりにあるし、花魁候補と言われても違和感はない。


だが……―――

総司は拳を握った。


大切にされている…?
嘘だ。
ならば何故彼女は声を失った。

少女の言うように、必要以上に束縛しているんじゃないか。


あの晩、声が出ないのを訊いた時に強張った桜乃の顔を思い出した。

そして…

『楽しくない時でも口角を上げると楽しくなるんだそうです』

そう言って笑った顔も。

彼女はそうして今までも笑ってきたのだろうか…?


桜乃の抱える憂愁は想像以上に深いのかもしれない。
その憐憫に触れ総司の胸に激情が込み上げた。


それは憤りか、はたまた悲しみか…


「……」

表情や纏う空気に総司の感情が表れていたのだろう。
少女は総司をジッと見つめると呟いた。

「桜乃に、同情してくれてるんですね…」

「え?」

思い掛けない少女の言葉に総司は目を見開いた。

「あの子目当てのお客様は沢山いますけど…貴方みたいにそうやって桜乃に同情したり、まして忍び込んだりする人はいなかったから…」

そう語る少女の表情は優しく、まるで姉が妹を想っているかのようで。

あぁそうか、と総司は不意に確信した。

桜乃が教えてくれた『声が出なくても大丈夫』と総司以前に言ってくれたという人物。

ーーーーその一人がきっと彼女だ。


「君は、あの子を大切に想ってるんだね」

「勿論です!あたし達一緒の時期に此処に入ったので…あたしは桜乃の親友ですから!」

「そっか…」

胸を張り断言する少女に、総司は微笑を浮かべた。
すると少女はまるで豆鉄砲を受けた鳩のように面食らった表情を浮かべた。

「…貴方……」

「ん?」

「……いえ!流石は愛獲だなって!笑顔が眩しい///」

「……」

頭を振った少女はキャッと顔を赤らめると照れてみせる。
それに総司は先とは打って変わって半眼を浮かべた。

なんか疲れるなぁ…

総司は小さく溜め息を吐いたのだった。


「…案内します!」

「……えっ?」

突然の少女の発言。
総司は思わず頓狂な声を上げた。

少女はカラリと笑うと言った。


「桜乃の所に!親友特権で特別に案内します♪」


沖田さんだけに、特別ですからね!


そう言った少女の笑顔は、何故だろうか……清々しく晴れやかだった。











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