咲夜の夢逢瀬

□【act.1】
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手入れが行き届いた中庭に案内された。

四方は遊郭の建物。
仰げば四角く切り取られた吹き抜けで、そこから夜空を見上げる事が出来る。

そよそよと冷たい風が総司と少女の髪を揺らした。


そこへ何処から舞い込んだのだろう、桜の花弁が飛んできて少女の頭にちょこんと止まった。


「…そういえば君、桜乃って名前だっけ」

桜の花弁と少女を見比べながら言えば、少女はコクりと頷いた。

総司は少女の髪に手を伸ばすと、ソっと桜の花弁を取ってやり彼女の前に差し出した。

「付いてたよ」

少女はそれを受け取るとふにゃりと笑った。
花が綻んだような笑顔。
総司も自然とつられて笑みを浮かべる。

「桜好き?」

総司の言葉に少女はコクコクと頷いた。

笑顔の少女。
本当に好きなんだなと分かる。

座敷に居た時は無表情で何処かお人形のような印象を抱いたが、
実際の彼女は表情豊かで、それが彼女の心情を雄弁に表している。


ーーーーたとえ声が出ないのだとしても。


「…生まれつきなの?」

「?」

「…声…」

「っ、」


考える前につい口をついた疑問。
少女は一瞬だけ表情を強ばらせたが、直ぐにフッと苦笑を洩らすとフルフルと力なく首を振った。
少女が総司を仰ぐ。
何となく、総司は手を差し出してみた。
案の定少女は総司の掌に文字を綴りはじめた。


『此処に禿として入って、一年位経った時に急に出なくなったんです。
お医者様は心労からだろうって…』

「そう…」


つまり、心労が募る程にこの遊廓の暮らしは多難という事か。
彼女を見ているとそんな苦労など感じられないのだが…いや、感じさせないようにしているのかもしれない。

総司は少し、彼女に同情をした。
それと同時に残念にも思った。

以前は出ていたという声。
それが未だ失われているのは残念である。
きっと容姿に違わず可愛らしい声なのだろうなと、総司は想像してハタと首を傾げた。


ーーーー“可愛らしい”?


常々自分を応援してくれる煌の声ですら耳障りに感じてしまう自分が、女性に対して可愛らしいって…

(…変なの)

総司は自分の事ながらそう思わずにはいられなかった。
しかし違和感は感じれど深くは気にしなかった。

彼女の声を聞いてみたいというのは本当だから。
けれど彼女は声が出せない。
残念ではあるが、けれどもそれは然したる問題ではないように総司は思った。


「君コロコロ表情が変わって分かり易いから、声が出なくても問題はないよ」

フォローというには補いきれていないような言葉であるが、総司は素直にそう口にした。


声など所詮、己の言葉を相手に伝えるにおいては一つの手段でしかない。
己の言葉や気持ちを伝える手段なんて他にもあるではないか。
それこそ先程彼女がやったように筆談とか。

まぁ声が出なければ歌を歌うことが出来ないから、万一自分が声を出せない立場になったとしたら流石に困るけれども。


「声が出ないからって死ぬ訳じゃないし、大丈夫だよ」

「っ!」

そう総司が言うや、少女が弾かれたように彼を見上げた。
そして驚いたような表情でまじまじと顔を見つめ、不意にクシャっと顔を歪めた。


え…あれ、泣かせちゃった?


ウルウルと瞳を揺らす少女に総司はたじろぐ。


言葉が気に障ったか…?
そういえば、あまり考えず思ったままを口にしていたっけ。


「…ごめん」

とりあえず謝罪する。
けれど少女は直ぐに首を振り、指を空中に彷徨わせた。
すかさず総司が手を出せば其処に指を乗せた。


段々このやり取りに慣れてきた。


『声が出なくても大丈夫って、そう言ってくれたの貴方で三人目です』

「三人目…」

なんだ、一番目ではないのか。
…面白くないな。

自分以前の誰とも知らぬ二人に少し悔しさを覚え、総司はふーんと気のないような相槌を打つ。

そうとは知らず少女は続けた。


『ありがとうございます』


そう記し終えた少女は総司の手を両手で包み破顔した。

「…」

そう屈託なく笑みを向けられると順番とか関係なくなってくるではないか。

どういたしましてと総司も微笑んだ。


『そういえば、』

少女がふと何かに気付いたようで、再び文字を綴る。

『お名前伺ってませんでした』

そう記されたのを見、総司はキョトンと目を丸めた。

「あれ、君…僕の事知らないの?」

『はい。以前いつかの機会にお会いしましたか?』

少女は首を傾げた。


驚いた。
新選組を知らないとは。


まるで希少な物を見るかのように少女を見る。
いや、本当に希少である。

総司は思案した。

愛獲と明かしてもいいが…なんかそれでは面白くない。
ここは名乗るだけにしよう。


「僕は沖田総司。よろしく」

『おきた、そうじさん…』

少女は唇を動かした。
それを数回繰り返す。

総司は少女の手を取ると彼女の真似をしてそこに指を滑らせた。

『沖田総司』

少女は総司の顔と手を交互に見、パッと笑みを浮かべた。
総司は頷いた。

「総司って呼んで」

『総司さん』

「うーん、さんはいらないけど…まぁいっか。
君の事は…そうだ、サクラちゃん。そう呼んでいい?」

桜が好きだという少女。
名前も桜乃と桜に由来しているしピッタリだ。

少女を伺えば、何故か目を瞠って固まっている。

あれ?

「気に入らない?」

「!」

ブンブンブンブン。
少女は激しく首を振ってそうじゃない事を示す。
そして今まで見た中で一番の満面な笑顔を浮かべて大きく頷いたのだった。


「………」


つくづく…不思議だ。
彼女が嬉しそうなのを見ると自分も胸が温かくなるのだから。

近藤さんと土方さん以外の人なんかどうでもいいと思ってた。
まして自分の周りで女性といったら煌くらいなもので、その煌も自分にとってはどれも同じ、くだらない生き物。


なのに、彼女は違うんだ。


彼女は総司を前にしてもうるさく騒いだりしない。
それは彼を愛獲と知らないが故からかもしれないが、そんな少し抜けていて不思議な所にも妙に惹かれる。
それに小動物みたいで可愛いし。


ーーーーそう、近藤さんと土方さん以外の…しかも初めて女性で関心を抱いた人と言ってもいいだろう。


「………何でだろうね」

「?」

「…いや、独り言だから気にしないで………くしゅっ」

総司の呟きに首を傾げる少女に総司は頭を振った。
同時に急に鼻がムズムズとして小さくくしゃみをしてしまった。


春といってもまだまだ夜は冷え込む。
少しどころか随分頭を…だけじゃないな、身体を冷やしてしまったようだ。

このままだと風邪を引くかもしれない。
けれど…ーーーー


『段々冷えてきましたし、お座敷に戻りましょうか?』

桜乃は総司の手を取るとそう提案を書いた。

『風邪を引かれては大変です』

そう心配してくれる彼女に、罰当たりかもしれないが少し嬉しくなる。


ーーーーけれども。


「やだ」

「!」

総司はきっぱりと桜乃の提案を断った。
 

座敷に居た時は彼女と二人きりに気乗りしなかったのだが、今ではそうは思わない。
むしろ不思議とこんなにも居心地が良い。

こんな穏やかな気持ちになれたのに、またあのうるさい場所に戻って心荒ませるのかと思うと嫌気がする。

だから出来るだけ、座敷に戻るのを少しでも遅くしたい。

そういう意味で彼女の申し出を断ったのだが。
すると桜乃は少し物憂げな表情を浮かべた。


『楽しくありませんか?』


桜乃は指を走らせる。
唐突な言葉に総司は軽く目を瞠った。

なんで?

そう目で問う総司に彼女は先を綴った。


『お座敷に居た時、なんとなくですけど表情が憂いていらしたので』

「……」


なんと、桜乃は総司の内心を薄々感じていたのだ。
自分では綺麗に仮面を被っていたつもりなのだが。

意外と目聡いのかもしれない。
…ますます興味が湧いてくる。


不意に総司の中で悪戯心とも言おうか、
面白い遊びを発見した子供のような、そんな気持ちが芽生えた。


「ふーん………そうだね、じゃあ…」

「っ?」

そう言うや突然、総司は桜乃の手を引いて腕の内に引き込んだ。
瞳をパチパチと瞬く彼女に構わず手を頬に添える。
そして頬から下へ指を滑らせるとクイッと軽く顎を持ち上げた。


(…やっぱり、飲みすぎたかな)


こんな事、自分からしたいと思うなんて。
誰かに見られでもしたら怒られるだけじゃ済まされないだろうに…


けれど、最早止められない。


総司は顔を近付けると吐息を吹き掛けるように囁いた。


「君が僕を楽しませてよ」


そして距離をゆっくりと縮める。


ーーーーしかし、


「…」
「…」


拳一つ分というところで総司は動きを止めた。
否、止めざるを得なかったと言おうか。


「……なに?」

沖田が怪訝そうに呟く。
己の行動を邪魔された事にも勿論だが、それ以上に彼女の行動に総司は眉を顰める。


桜乃は突然総司の頬に手を伸ばしたかと思いきや、その頬を軽く抓りあげたのだ。


痛くはないのだが意味が分からない。


すると彼女は手を離し顎に添えられた総司の手を取ると文字をなぞりだした。
仕方なく身を離し、指の動きを黙って見る総司。


『楽しくない時は、無理にでも口角を上げると次第に楽しくなるんだそうです』

「…は?」

『楽しくなりました?』

「……」


総司は唖然とした。
そんな彼に桜乃は綺麗に笑ってみせる。

「…」


暫く無言を通した総司だが、不意にプッと吹き出すと声を立てて笑い出した。


「ははは!楽しいかって、だからって普通あの状況でこれをする?
本当にもう、君って面白い子だね…ふふ」

キョトリと目を瞬く桜乃の頭を総司はよしよしと撫でた。
無性に撫でてあげたくなったのだ。
彼女は未だ問いたげな表情を浮かべている。


“楽しくなりましたか?”、か…


「…そうだね、まあまあかな」

『では戻りましょう?風邪を引かれては大変です』

そう綴り終えて桜乃は総司の袖を引くと、中へと促した。

気遣ってくれるのは嬉しいのだが、そこまで自分はヤワじゃないのに。

総司は再びクスクスと笑み零しながら、ふとまた一つ悪戯を思いついて足を止めた。
当然、急に抵抗を感じて桜乃は立ち止まる総司を振り向く。

その瞬間を総司は逃さなかった。

サッと彼女に近付くと柔らかな頬に唇を押し付けたのだ。
そしてチュッと音を立てさせながら直ぐに離れる。


「…」

桜乃は文字通り振り向こうとしたその体勢のまま見事に固まってしまった。
それが可笑しくて、総司はまた声を立てて笑うと今度は彼女の手を引き歩き出した。


楽しい気分にさせてくれた彼女に免じて、座敷に戻ろうじゃないか。











ある初春の夜のこと。


それが二人の出逢いであった…ーーーー












【To be continued】

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