咲夜の夢逢瀬
□【act.1】
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部屋を出た二人は会話も無くただただ無言で廊下を進んでいた。
前を少女が、その後ろを少し遅れて総司が歩く。
男性の言ったように遊廓の中は非常に複雑だった。
おまけに似たような装飾のされた部屋が廊下にずらりと並び方向感覚がおかしくなりそうである。
確かに一人ではぶらぶらとは出歩けないだろう。
総司は前を歩く少女の背を眺めた。
立った事により彼女の小柄さを実感する。
総司との身長差もそこそこである。
彼女の決して大きくはない歩調に合わせて歩けば、総司には随分とゆっくりに感じられた。
かと言って別段イライラとはしない。
なんとはなしに少女の後ろ姿を、それこそ上から下までを眺め観察する。
背筋がスッとしてて姿勢がいいなぁー、とか。
それにしても動きづらそうな服だなぁー、とか、そんなとりとめない感想を挙げていく。
華奢な身体だけどちゃんと食べているのだろうか…?
そして、歩く動きに合わせて揺れる髪の柔らかそうなこと…
----無意識に総司は彼女に手を伸ばしていた。
しかしその手が髪に触れる瞬間、彼女が不意に歩みを止め総司を振り向いたのだった。
「!」
ハッとして総司は手を引っ込めた。
今、自分は何をしようとした?
またしても心臓に違和感。
まさか病気とか…なわけないか。
少女が総司を見上げてくる。
気まずいながらも総司も少女を見返した。
「どうしたの?」
総司が問う。
すると少女は無言のまま腕を上げ、示した方向に顔を向けた。
それにつられ総司も彼女の示す方向を見る。
“厠”
「……え?」
何で?
総司はポカンと口を開けた。
再度少女を見る。
少女も総司に視線を戻した。
そして総司が唖然としているのを見てキョトンと目を丸めた。
「「……」」
暫し無言のまま見つめ合う二人。
相手が何を考えているのか。
探ろうにも初対面な二人には、相手の考えを推し量るのは困難な事である。
沈黙に耐えかね先に口を開いたのは総司だった。
「どうして厠なの?
あ、お花摘みたい?」
少女がブンブンと首を横に振る。
どうやら彼女が用を足したいわけではないようだ。
かといって自分も別に今は行かなくていい。
というか厠に行きたいとは一言も言っていない。
じゃあどういう事なのか?
再び総司が黙り込む。
すると徐に少女は総司の右手を両手で掴んだではないか。
「っ、ちょ…なに?」
柄にもなくビクッと驚いてしまった。
かといって振り放す事はせず、総司は怪訝に少女の行動を見守る。
少女は総司の掌を上に向け、そこに人指し指を滑らせた。
何をしているのか…最初は分からなかったが次第にハッとした。
字を、書いているのだ。
(この子…もしかして…)
総司の胸に先程とは違う、チクリとした痛みが走った。
そうこうする内に書き終えた少女が総司を仰ぐ。
当然、意識を向けていなかった為に何を書いたのか分からない。
「…ごめん、もう一回」
眉根を下げて言えば少女は再び…今度は更にゆっくりと指を滑らせていく。
総司はそれを声に出した。
「『酔われて、気持ち悪いなら、吐いた方が、楽になると思ったので、お連れしました』…」
少女はコクコクと頷いた。
何処か達成感を漂わせているように見えるのは気のせいではないだろう。
やっと伝えたい事が相手に伝わって嬉しいのだ、きっと。
しかし、直ぐに表情を引き締めると心配そうに総司の様子を覗う。
何と言ったら良いものか…少女の気遣いは有り難い、が。
「いや、確かに少し酔ってるかもだけど…そんな気持ち悪くはないから」
「………、っ!」
そう言えば暫し間を置いて少女はハッと口元に手を遣り瞳を大きく見開いた。
自分の深読みが過ぎた事に気付いたのだ。
そして直ぐにペコペコと頭を下げて非礼を詫びる。
いやいや、そんな謝られる事はされてないのだが。
何やら此方が悪いことをしたような気分になる。
このままだと埒がない。
しかも此処は厠の前…
何やら無性に笑えてきて、クスッと笑みを零すと総司は口を開いた。
「僕は少し酔いを覚ましたくて部屋を出たんだけど」
総司の言葉に少女は顔を上げた。
眉はハの字に下がり、顔が心なしか朱い。
その表情に総司の中で何かが湧き上がる。
衝動のまま、総司は彼女の頭に手を乗せるとポンポンと軽く叩いた。
掌に伝わる、見た目に違わない滑らかな髪の感触。
その手触りを確かめるように総司は次いで頭を撫でる。
…うん、柔らかい。
キョトンとする少女に総司はニッコリと笑みを浮かべると言い加えた。
「夜風に当たれる場所に案内してくれる?」