Novel

□父子
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その夜、チェ・ジェゴンは部下に招かれるまま酒宴に赴いた。
場所は妓楼。
美しい妓生達が両側に座り、妖艶な笑みを浮かべながら杯に酒を注いでくる。しかし他の者に比べ、彼の杯が空く速度は明らかに遅かった。
場を盛り上げようと部下や妓生は歌ったり踊ったりと様々な趣向を凝らすが、ジェゴンは口元は微かに笑っているもののその目はどこか遠くを見つめており、彼が何を考え何を悩んでいるのか、それは誰も窺い知ることが出来なかった。



手水だと座を外したジェゴンは、そのまますぐ宴席に戻る気にはなれず楼閣の中庭を一人歩くことにした。
夜風がだいぶ涼しくなってきたなと翻る己の袖を見つめながらぼんやり思う。

―――あの日はまだ暑さの残る夜だった。

季節はこうして移ろい時間は確実に進んでいるというのに、自分だけが時の流れから取り残されている錯覚に陥ってしまいそうだ。
…いや、むしろ錯覚などで無ければ良かった。
本来であれば同じ痛みを抱え共有できるはずの唯一の同胞が、苦痛のあまり痛みそのものを忘れようとしている。自分はどうやって彼女を、そして自身を救えば良いのか?
一月近く経った今でも、答えなど見つかるはずも無かった。



「このガキ、何度言ったらわかるんだ!」



時折洩れてくる宴席の笑い声を突如引き裂いた怒鳴り声。
ジェゴンの意識は急速に呼び戻された。
出所は裏庭かと、客がむやみに立ち入れる場所でないことは承知しつつ、気配を潜めて近付いてみる。

「酒瓶一つまともに運べねぇ奴は飯抜きだぞ!」

バシッ!!

乾いた音が響いた時、ジェゴンは思わず飛び出した。

「やめなさい!こんなに幼い子供相手に…っ」

男に頬を打たれ、踏み止まることが出来ず横に倒れた小さな体。傍に駆け寄って起こしてやりながら、打たれた所は大丈夫かと顔をこちらに向ける。
その瞬間、目を見開いたジェゴンの思考と、時の流れが止まった。



「…チファン…!?」

そんな…そんなはずは無い。ある訳が無い。
私のたった一人の子は…息子は、流行り病であの日確かに…!



夢でも見ているのかと胸の内で自問自答するジェゴンに答えるように、妓楼の主人が言葉を被せる。

「旦那、邪魔しないで下さいよ。ガキと言えども、ウチだってロクに働けねぇ奴にタダ飯食わせる余裕は無いんでさ。ったく、あと数年もすりゃ客が取れると思って引き取ったのに、あんなでかい火傷のある娘なんざ商売になりゃしねぇ」

「…娘?」

もう一度、腕の中を見下ろした。
歯をカチカチ鳴らして痛みと恐怖を我慢しながら、涙を浮かべた目で自分を見上げているこの子供は確かに少女であり、顔立ちもチファンより僅かに幼く見える。
だが、息子を亡くした喪失感に日を追うごとに耐えかね今にも押し潰されそうになっていたジェゴンは、彼女にチファンの面影を求めずにはいられなかった。

「さ、もう旦那は気にせず部屋に戻って存分に楽しんでって下せぇ」

少女を立ち上がらせようと主人がこちらに手を伸ばす。
小さな肩が強張ったのを腕に感じ、守るように無意識にジェゴンの手に力が入った。

「…主人、この娘を私に引き取らせてはもらえないだろうか」

「は?いきなりそう言われましても、今までコイツに食わせた分くれぇは働いてもらわねぇと…」

「これでは足りまいか?手持ち全てだ」

懐に手を入れ、ジャラリと持っているだけ全額を渡す。
それを両手で受け取った主人は目を白黒させ、わかりやすくニンマリとした笑顔のまま首をブンブン横に振った。

「とととんでもございません!旦那みたいな方に引き取ってもらえるなら安心です。いやぁこの娘も不幸な境遇でしてね。火事で二親いっぺんに亡くしちまって、一人生き残ったのが可哀想で私が面倒見てきたんですが…」

「私は先に失礼すると部屋の者達に伝えてくれ。酒代は後日持って来よう」

主人のわざとらしい人情話を遮ったジェゴンは、少女の服に付いた砂を払ってやると、手を引いて門へと向かう。

「いえいえ、こちらの金子で充分です。おい誰か!お客様のお帰りだ輿を呼べ!」


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