僕とかぐや姫

□第5話
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『こんばんは』


頭上から降ってきた鈴の鳴るような心地よい響き。
胸がドクンと脈打つのを感じながら、少し高めのその声に弾かれたように振り向けば、翠の目にもたれかかっていた柱の側に着物の端が映り込んできた。
薄暗い中、濃紺と鮮やかな色が混ざりあって、淡い光を放っている。


それを下から追うように、足下から上へと視線を移せば、袂で口元を隠しながら、こちらに向けて微笑む彼女と目が合った。
昨日と違い、保護者の気配が感じられない。
だからだろうか、今日はやけに距離が近い。
間近で見ると、黒めがちの瞳は夜空に星を散りばめたようにきらきら輝いていてとても美しく、吸い込まれそうだった。


綺麗…だな………


「あ、あの……」


戸惑いがちな視線に、総司は慌てて焦点を戻すと、照れ臭そうに頬を掻いた。


「あ…やぁ、姫。こんばんは。」


「沖田様、もしかしてお疲れですか?随分ぼうっとされてたみたいですけど…」


「ちょっと考え事してたんだ。何ともないから、大丈夫。それより、今日は口煩い保護者さんはどうしたの?」


ここにいるのは“あの”かぐや姫だ。しかも、昨日の態度からして、1人で総司に…ましてや、こんなにも近くに送り込むはずがない。
気配を読む能力に関しては自信がある。辺りを見回し気配を探るが、人の気配は感じられなかった。


「……?おばあさんは『あの沖田とかいう野郎、ほっといたらまた塀を乗り越えて入ってきそうだからな!!俺が直々に出迎えてやるっ!ちょっと外を見回ってくるから、何かあったら大声で呼ぶんだ。いいな?』っておっしゃってましたけど……お会いになりませんでしたか?」


そっか。今日は、表から入って来たから会わなかったのか。
見回りまでしながら、門を締め忘れるなんて、危ないというか、何というか………


「ドジだね……」


「……?」


「あぁ、何でもないよ。それより、いくら僕とは言え、僕も男なんだから、あんまり近づくと危ないよ?」


冗談の中にほんの少しの本音を包んで総司は告げるが、返ってきたあまりに純粋な瞳に総司は思わず目眩を感じた。


「どうして、ですか?」


そう言いながら、彼女はさらに総司に近寄り、手を伸ばせばすぐ触れられるような場所にストンと腰を落とし、総司を見上げた。
自分を見つめる真摯な瞳に総司は顔が熱くなるのを感じながら、慌てて口を開いた。


「ちょっ…ちょっとちょっと!何で余計に近づいてくるのさ!?お願いだから、もう少し離れてよ!」


「どうしてですか?人と話す時は、いつもこのくらいですよ?」


「それは、お爺さんとかおばあさんとでしょ!?僕は一応、男だし、他人だから!!」


「男の方でも、他人でも、関係ないと思いますけど……」


ちょ……おばあさん!!何してるんですか!?ちょっとはいろいろ教えといて下さいよ!!
余りに無垢で、純粋な彼女に何を言ったらいいのか分からず、総司はもはやこの場にいないおばあさんに訳の分からない悪態をつきながら拳を握り締めた。


「あの…それよりも、帝は何かおっしゃってましたか?」


そう言えば……
すっかり忘れていた……というよりは、もはや名目だけになった手紙のことを総司はようやく思い出し、懐に手を差し込んだ。


「あー……はい、これ。文だけど……」


白く細い手で彼女はそれを受け取ると、しばらく眺めて、総司の方へと差し出してきた。


「すみません。やっぱり、受け取れません。」


まっすぐ自分を見つめる瞳の奥に、総司は昨日は気づけなかった微かな揺らぎを見てとった。
昨日はここを離れたくないって言ってたけど、多分それだけじゃない……何か、隠してるような……


「どうして?って言うのは昨日も聞いたけど……ねぇ、君、本当は違う理由があるんじゃないの?」


総司の言葉に彼女はビクリと肩を竦ませ、目を見開いた。
やっぱり……


「ねぇ、どうして?」


「………。」


彼女は口を開く気はないように、唇をキュッと引き結び、固く閉じていたが、総司もここは引き下がれない。
どうして何も言わないんだろう…?
そのまま俯く彼女に眉をひそめていると、千鶴の瞳にから、ぽろりと一粒涙が零れて、着物を濡らした。


「っ――…」


「ちょっと…どうしたの?ねぇ、ほら!おばあさんが見たら、僕が泣かせたみたいじゃない!」


おろおろしながらも慌てて総司が目許を拭うが一度零れた涙は止めようにも止まらないらしく、際限なく、あとからあとから頬を伝う。


「あぁ!えっと、どうすればいいんだろう……」


こんな時、左之さんなら……――

『泣いてる女を黙らせるには口を塞ぐ!それ以外の方法は知らねぇよ。』

僕がこの子に口付け!?
このふっくらして、柔らかそうな桜色の唇に……?じゃない!!
却下!!無理!!左之さん、無理だって!!
どうしよう……こうなったら……


「あ…えっと、ねえ、お願いだから泣き止んでよ。君、泣いたら可愛い顔が台無しだよ?」


かぐや姫ともなればいろんな男から言われ慣れてるだろうけど……
総司はただ思いつくままに、思いつく言葉を口にした。


「かっ、可愛いなんて!!」


しかし、返ってきたのは予想外の反応で、月明かりの下でも分かるくらい真っ赤になる千鶴に総司はむしろ驚きながらも、先ほどより優しく、そっと涙を拭った。
きっと大切に育てられてきたんだね……
総司の頭に昨日の保護者の顔が浮かぶ。


「話したくないなら話さなくていいんだよ。だから、姫…もう泣かないで?」


そう言いながら、親指で涙を掬い、頬に手を当てながら、濃い色の瞳を覗き込むと、彼女の頬に朱が散って、ぱっと手を弾かれた。


「…姫じゃありません……。千鶴です。雪村千鶴です……」


「……千鶴、ちゃん?」


確かめるように名前を呼べば、それに応えるように、潤んだ瞳で総司を見つめながら、コクンと頷いた。


「千鶴ちゃん…さっきは無理に聞き出そうとしてごめん。」


「いえ、沖田様のせいじゃありません……」


「沖田様なんて呼び方はやめてよ。」


「じゃあ……沖田さん?ですか?」


ようやく微かに笑みをみせた千鶴に総司は内心、ホッとすると、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「あれ?忘れちゃったの?僕の名前は総司だよ?せっかくだから、名前で呼んでよ?」


「えっ……」


初めから無理だろうとは分かっていたが、困ったように戸惑いながら、頬を赤く染め、袂で顔を隠す姿が可愛くて総司の頬も自然と弛む。


「千鶴ちゃん、今のは冗だ……」
「そ、総司さん……」


「――…っつ!?」


最初からちょっと困らせるための冗談のつもりで、まさか本気でするとは思ってなかっただけに、今度は総司の頬が赤く染まる。
は、不意打ちは反則でしょ……
朱色に染まった顔を隠すように、数歩離れて、総司は千鶴に背を向けたまま立ち止まった。


「あ…、あのさ、千鶴ちゃん。また来るから。君が文を受け取ってくれるまで。」


「はい…待ってます。総司、さん…」


最後の言葉を風に乗せ、弛みそうになる頬と火照った顔に当たる涼しげな秋の風を感じながら、総司は一直線に駆けていった。




〜第6話へ続く〜




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