僕とかぐや姫

□第4話
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次の日の晩――
昨日と同じ時刻、同じ場所に、内心高鳴る鼓動を抑え、平静を装って立っていた。
昨日の満月の晩ほどの輝きはないものの、今日も澄み渡った秋の夜空に月明かりが降り注ぎ、彼女のいない縁側を淡く照らしている。
そんな光景を眺めながら、そっと懐に手を入れると、肌触りのよい上質な紙が手に触れて、温かい気持ちで微笑んだ。





 ***






月並みな言葉だが、『恋は惚れたら負け』とはよく言ったもので、昨日の夜、目を瞑ると闇夜に光る千鶴の姿が浮かんでは消え、結局殆ど眠れなかった総司は、腫れぼったい目を擦り、欠伸を噛み殺しながら出仕した。


あー……こんな状態で書類なんて見たら寝ちゃいそう………


総司の剣の師である近藤と違い、総司の場合は武官と文官を兼ねている。いくら武が主だとしても、日々の書類仕事は欠かせなかった。


役所に入ると自分に割り当てられた書類を受け取り、部署へと続く廊下を歩く。途中、塗り籠から資料も持ち出して、両手いっぱいにようやく部屋へ辿り着くと、総司はうんざりしたように文机にどさどさっと資料を落とした。


「おいおい、総司。物はもっと大切に扱うもんだぜ!」


入り口から一番離れた奥の席から聞こえた声に顔を上げると、ニカッと裏表の無さそうな、笑顔を浮かべた人物と目が合って、今まで眉間に皺をよせ、口をへの字にしていた総司だったが、彼の顔を見た瞬間、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。


「おはようございます。新八兄さん。」


「おう!おはようさん!!」


そう言って、こちらに元気良く手を上げるのは、総司の兄であり、この部署の長である新八。
8月は、暦の上ではもう秋で、少々肌寒い日もあるというのに、彼は袖が無く、前もはだけた着物を身につけ、素晴らしい筋肉を露出させている。
そのくせ、烏帽子はきちんと被るというよく分からない格好は周りの者には不評なのだが、本人は気に入っているらしい。
そんな見た目とは裏腹に、学もあり、若くしてここの長になるくらいだ。仕事はかなりできる。
そして、こちらは見た目と違わず、剣の腕前に於いてはピカイチで、宮中随一と謳われる総司と並び称されるほどであり、内心では、総司の自慢の兄だった。


手を振った後もまだこちらをじっと見ている兄に苦笑を零しながら腰を降ろすと、何故か新八が上座からどかどかと音を立ててやって来て、総司の隣にドカッと腰を下ろした。


「兄さん?どうしたんですか?」


「いや、お前顔色が悪いぞ。具合、悪いんじゃないのか?」


小さい頃、身体が弱く、よく寝込んでいた印象が抜けないのか、何かにつけて、新八は総司のことを気に掛けてくれる。
それは嬉しい反面、もう大人なのだから…という照れ臭さもあって、額に触れようとする大きな手を押し退けて、総司は誤魔化すように笑った。


「心配し過ぎですよ。今日はちょっと寝不足なだけです。」


「まぁ、それならいいけどよ……もしかして、昨日左之に呼び出された件か?」


仮にも帝である左之のことをこういう風に気軽に呼べるのは新八と総司の母が左之の乳母であり、新八と左之が兄弟同然に育ったからである。その新八の弟ということで左之は総司にも良くしてくれるのだが……


「っつーかよ、あいつ何か最近冷たいんだよなー……そのくせ総司とはやけに仲がいいみてぇだし。」


言いながら、拗ねたように唇を尖らせる新八に総司は何とも言えず、ただ苦笑するしかなかった。
というのも、新八の言う通り、最近、帝である左之は何かと総司を呼び出して、女性絡みの相談や文のやりとり、こっそり逢引きなどなど、女性関係は新八でなく、全て総司に回してくる。
本人曰く、
『新八?あいつは大雑把過ぎるんだよ。なんっつーか、気は利かねぇし、愚直すぎるっつうか……女に関しては、脳みそまで筋肉なんだよ。あいつのせいで何人の女に逃げられたか………。その点、総司は見目もいいし、機転も利くし、女受けもいいからな。まさにもってこいだろ!』
だそうだ。


確かにその通りなのだから何とも言えないが、実際にはただの使いっぱしりなのに、本気で羨ましがっている純粋な兄を見ると、総司は兄が不憫でならなかった。
そのままちょっとの間、ぐずぐずしていた新八だったが、立ち直りが早いのも彼のいい所で、頭を抱えていた手を離すと、ぽんっと手を叩いた。


「そう言えば、さっき左之の所から使いが来てよ、今日も左之が総司のこと呼んでたぞ?何でも、昨日の件、早く報告に来い!だとよ。」


ったく、総司ばっかり……
そう拗ねる新八の隣で、総司も思い出したかのように顔を曇らせた。
実は、昨日寝られなかったのは、彼女の影が瞼に焼き付いてた、という事も原因の1つだが、帝の存在もまた原因の1つだった。


昨日、初めて女性に惚れて、眠れないくらい彼女のことが気になって……帰り道からずっと、すっかり舞い上がっていた総司だったが、横になった瞬間、そう言えば、彼女は帝が気に掛ける女性で、自分はその使者だったということを思い出した。
使者として行った自分が彼女に惚れましたなど、口が裂けても言えるはずがなく、報告に向かうのが憂鬱で、あの聡い帝に何をどう言おうかと総司は頭を抱えていた。


彼女の傍にいるのが自分であれば……という気持ちは本物だが、帝と争えるはずもない………


「結局は、隠し通すしかないんだけどね……」


仕事を片付け、隠し帝の許へ参内した時、太陽はもう高く昇っていた。
そのまま部屋に通され、四半刻くらいたっただろうか、上品な衣擦れの音が聞こえてきたかと思うと、御簾の向こうに見慣れた影が映し出された。


「よう!やっと来たか!お前なぁ、もっと早く報告に来い。待ちくたびれちまっただろうが。」


「すみません。」


確かにぐずぐずしていたのは自分なので、素直に謝ると、まぁ、いいけどよと軽い返事が返ってきた。


「で、総司。首尾はどうだったんだ?かぐや姫には会えたのか?」


「あっ、はい……会えましたけど……」


「そうか!!で?どうだった?」


顔をきらきらと輝かせる左之の信頼に対して、自分が抱いている思いが何となく裏切りのようで、総司は目線を下に落とした。


「会うにはあったんですが……文は受け取ってもらえませんでした。」


普段の察しのいい総司と違い、言い淀んだり、見当違いの返事を返す彼に左之は軽く首を傾げた。


「んなことを聞いてるんじゃねぇよ。なぁ、かぐや姫ってのは別嬪だったか?」


「あっ、はい。結構……いや、かなり……」


総司は昨日の月下の彼女の様子を思い出すが、上手く言葉にできず、詰まってしまう。


今までも、『あそこの娘が美しい』や『こっちの家に美人がいる』などという噂を聞いては、総司を使いに遣ってきたが………
今までは、『噂なんて当てになりませんね』、『あれで美人だなんて噂が立つんですね』などと辛口の返事ばかりだった総司の変化に左之はおっ?と目を瞠った。
しかし、御簾越しじゃあよく見えねえな……
総司と話をすると言って、人払いをしておいたので、周りに人はいないだろうが、一応辺りを確認してから、左之は御簾を自分で上げると、総司の方へ顔を出した。
御簾を自分で持ち上げるなど、帝のような高貴な身分の人がやるようなことではないので、総司は悲鳴のような声を上げた。


「ちょ…主上!!言って下されば、僕がやりますよ!」


「いいんだよ!俺は俺がやりてぇようにする。それだけだ。しかも、そんな堅っ苦しい話し方すんなって!誰も見てねぇんだから。」


そう言って笑う爽快な笑みは、大人の魅力に満ちていて、きらきら輝く琥珀色の瞳は男も女も関係なく、吸い込まれそうなほど、美しい。


「なぁ、総司。もっと具体的に聞かせろよ?」


「ぐ…具体的に、ですか?えっと……」


目線を泳がせ、明らかに動揺する総司に左之は、ははーんと思い当たった。


「なぁ、総司…お前、もしかして……」


惚れちまったか?



そのまま傍に腰を下ろすと、総司の肩を引き寄せ、耳元で甘く囁く。
途端、顔のすぐ傍で総司の耳が赤く染まったのが見てとれて、左之は堪え切れずに笑みを零した。
今まで色んな女を泣かせてきたのは知っていたが、総司が惚れ込んだなんて話は聞いたことがなかった。しかし、目の前の反応を見る限り、どうやら、本当に惚れてしまったらしい。


「いや、まさか、総司がなぁ……惚れるなんて思ってもみなかったぜ。あと2,3年したら、恋愛なんて知らないまま、人形みたいに政略結婚の餌食になって、落ち着くもんだと思ってたからな。いや、ほんと、まさかだな……」


「ち、違いますって!」


「違うのか?なら、俺がかっさらってもいいんだな?」


っっ………
総司の目の前にいる男には、もう全てばれているようで、意地悪そうに光る瞳に総司は早々と白旗を揚げた。


「…………何で分かったんですか?」


「そりゃあ、お前との付き合いは長いんだ。当たり前だろ?いや、でも、意外だな。それだけかぐや姫が美しかったってことだな。それにしても、その寝不足気味な顔は、もういただいちまったのか?」


「まさかっ!!そんなこと、あるわけないじゃないですか!!」


「まさかって言うほどじゃねぇだろ……」


こいつの普段なら会ってその日にやることやって、はいお終い。頷かれても別段、驚くようなことではない。
総司は新八と違って母親似で、容姿も美しく、大層人気があるし、女性関係の噂もよく耳に入る。
だから、むしろ、そんな初な反応の方が新鮮で、左之は素直に驚いた。


「じゃあ、今までのは一体何だったんだよ?」


「今までは、女の人から誘ってきたんです!自分からは一度だって……」


それでこの反応か……
惚れさせたことは数知れず、だが、惚れちまったのは初めて。
さしずめ、どうすればいいのか分からないってとこか?
かわいい所もあるじゃねえか。
今まで女慣れしていて、大人だとばかり思っていた弟分の妙に子供っぽい一面に、驚きながらも、自然と顔がにやけてくる。
こりゃ、かぐや姫よりこいつの方がよっぽど面白い。


「じゃぁ、どうするんだ?」


「今夜、また行く約束しましたけど…」


「で、今夜にでも想いを告げてお持ち帰りか?」


「っ!?違いますっ!!今日は左之さんの返事を持って行くんです!だから、早く文書いて下さい!」


ったく、こいつ俺の文をただのダシにする気かよ……
そう思いながらもあまりに初な反応が面白くて、この先の2人がどうなるのかも気になって、苦笑しながら、左之は文をしたためた。





 ***






柱にもたれかかりながら、そんな文にそっと触れたり放したり、なぞったりしている間に、ぼんやりしていたのだろうか、少し高めの弾むような声に総司は飛び上がるほど驚いた。


「こんばんは」




〜第5話へ続く〜

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