バーテンダーな僕

□僕と彼女の日曜日
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遠くで延々と鳴り響く重低音に総司は閉じていた瞳をゆっくりと開いた。


目に入るのは、見慣れた自室の天井。


ふとベッドサイドのテーブルに目線を移せば、そこにおかれたデジタル時計には 10:40 sun と示されていた。


昨日は早めに寝たとはいえ、普段の総司が起きるにはまだ早すぎる時間。
もう一眠りしようと、総司はころんと寝返りをうち、目を閉じた。


そのまま夢と現実の狭間をまどろみ始めた総司の耳に誰かの声が聞こえてくる。







「やめろッ!!」


耳に響く心の底からの悲痛な叫び声。
それに半瞬遅れてこれは自分の声なのだと自覚する。


月明かりの下、鈍く鋭く光る銀色


焼け付くように胸を刺す痛み


自分を見つめる2つの眸


だんだん霞んでいくそれは
鳶色だったり
翠だったり………
2つの映像が重なり合うように交錯しているようだった


それに反するように妙に冴えていく耳が自分を呼ぶ必死な声を捉えて離さない


そして視界が真っ赤に染まり、何も分からなくなった………









がばりと総司が跳ね起きると、嫌な汗が全身を濡らし、全力疾走した後のような息切れと、頭蓋に響く鈍い痛みに顔をしかめた。


全身を襲う嫌な予感に総司は二度寝したことを後悔しながら起き上がる。


こんな暗い部屋にこのままいたら、思考も内へ内へと向かってしまう。人間、気持ちを切り替えるにはやっぱり朝日が1番だと、手早く着替えを済ませ、総司はドアを開け放った。


上へ上へと階段を上がるにつれて、眩しいくらいの日の光が全身を包み込み、どんよりとした気分を清々しい気分にさせてくれる。


これで鳥の鳴き声でも聞こえてきたら、もっと気持ちいいだろうな……
そんなことを思う総司だったが、耳に鳴り響くのは煩いくらいの重低音。
つられて空を振り仰げば、何機ものヘリコプターがこれみよがしに空を飛び回っている。


そういえば、二度寝する前にもこの音が聞こえてたっけ?
近くで何かあったのかな?


普段なら、所詮は他人事。
気にも留めない総司だったが、何故か今日は引っ掛かる。
どうしても確かめなければならない気がして、部屋へ戻ると、しばらく使った形跡のない埃を被ったリモコンを手に取った。


そのまま3つほどチャンネルを回していると、ちょうどここから3駅離れた町の名前が聞こえてきた。


「ふうん?通り魔、ね……」


抑揚に欠けた、無感動なアナウンサーの声によれば、今日の早朝、通り魔が出たらしい。
幸い死者は出ていないようだが、犯人は未だ逃走中らしく、別段これといって特徴のない犯人像と『気をつけて下さい』とのお決まりの台詞が聞こえてきた後に、総司は電源を切った。


「日本も物騒な国になったなぁ。まぁ、昔よりはましだけど。」


昔の記憶があるわけでもないのに、ひとりでに口をついて出た言葉に総司は軽く自嘲する。


昔の記憶、か…………
その言葉に引きずられるようにして、総司は彼女のことを思い出していた。






昨日の別れ際の彼女の今にも泣き出しそうな笑顔を見て、総司はようやく時折見せる彼女の表情や反応。それに、あんなにむちゃする訳もようやく分かった気がした。


きっと彼女は“お兄ちゃん”のことが好きだったんだ……


しかし、今の総司では彼女の気持ちにYESともNOとも言うことができない。


僕は彼女の言う“お兄ちゃん”であってお兄ちゃんじゃない。


そうすると、昨日、総司はあの別れ際の質問で一昨日倒れた時の記憶があるのか、ないのか確かめようとしたのだが、もし記憶がなかった場合、千鶴にとっては、
好きな相手から自分ではない大切な人に会うために協力してくれと言われた上に、本来ならその女性に向ける言葉を訳も分からず、からかうように自分に向けられたことになる。


昨日の反応を見た以上、彼女が一昨日のことを憶えていたとは思えない。
いくら総司にそんなつもりは無かったとは言え、随分残酷なことをしてしまった………


「『無知は罪』とはよく言ったものだよね………」


そう呟くと、的外れな所で妙に感心しながら、総司は苦笑した。


まぁ、でも多分今までの彼女のことを考えると、今日もまたここに来てくれるだろう……
挽回のチャンスはあるってことだ。
謝るなんて余計に彼女を傷つけるだけだし、ここはバーテンダーらしくカクテルで。


そう思った総司は再び思考を巡らせはじめた―――


全てを承知の上で尚、
それでも一途な君のために……






 ***






午後11時40分――


いつもよりちょっぴり遅い時間にいつものように千鶴はやって来た。


伏し目がちの彼女を席に促し、ゆっくりと時間をかけて他愛もない話をする。
そして12時を回った頃、総司は静かにシェーカーを取り出すと、材料を注ぎ、リズミカルに、しかし、そんな中にも気持ちを込めてシェイクした。


「“シンデレラハネムーン”
この間は、ノンアルコールだったけど、今日のシンデレラはちょっと大人な味だから。」


千鶴の前に差し出されたのはフルーティーな香りが漂う真っ白で綺麗なカクテル。


突然出されたそれに戸惑いながらも翠の瞳に促され、千鶴は少しずつ口にする。


「これは僕の勝手な解釈なんだけどさ…」


そう言いって、カウンターに両腕を乗せると、トントンと人差し指を動かしながら、総司は話を続けた。


「僕はね、シンデレラがガラスの靴を落としていったのはわざとだと思うんだ。だっていくら急いでたって普通気づくでしょ?きっと、何とかして、王子様と繋がっていたくて、できることなら自分を見つけて下さいって言いたかったんだと思うんだよね。」


総司が千鶴に言わんとすることは分からないが、言っていることは分かる。それを肯定するように千鶴は軽く頷いた。


「君がどう思ってるかわからないけど、僕にとって今の君はガラスの靴を置いていったシンデレラに見えるんだよね。まぁ、後は王子様の心次第だよね……」


そこで言葉を切ると、総司は千鶴の鳶色の瞳を真っ直ぐに見つめる。


彼女は憶えてないとはいえ、何故か自分がずっとそばにいると誓った彼女。
その一方で、どこかに存在するはずの自分にとって大切な女性。
自分がどうしたいのか、自分はどうすればいいのか、記憶が戻らない限り、総司にも分からない。


でも、あと少し…あと少しで全てがわかるような気がする……だから……


「もう少し…もう少しだけ待ってて。記憶が全て戻ったら、はっきり答えを出すから。」


千鶴に告げるというよりは、自分自身に言い聞かせるように、総司は口の中で呟いた。


この人は分かってたんだ……


総司の言葉に彼がお兄ちゃんに……総司に対する自分の想いも何もかも知っていることを悟った千鶴は両頬に熱が集まっていくのを感じながらも、総司の瞳を真っ直ぐ見つめ、頷いた。


そんな千鶴に満足そうに微笑むと、テーブルの下から例のファイルを取り出して、
近藤さんの所へ行ったこと、そこで分かった2つのことをゆっくりと千鶴に説明し始めた。
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