バーテンダーな僕

□思いを隠す土曜日
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目が覚めて、1番はじめに映ったのは見慣れない天井。


一体ここはどこだろう……?
現状を把握しようと千鶴が身を起こすと、もうぬるくなったタオルが布団の上に滑り落ちる。


キョロキョロと周りを見渡すが、見覚えのあるものは何もない。


しょうがなく、ここに至までの経緯を思い出そうとするが、記憶はぼんやりと霞がかっていて、明確な答えを示してくれそうになかった。


「んっ………」


軽いパニックに陥っていた千鶴の耳に自分のものではない寝言のような声が響いた。
意外に近くから聞こえてきたその声に千鶴が驚いて下を向くと、千鶴が寝ているベッドに突っ伏すようにしているふわふわてした猫っ毛の茶色の頭が目に入る。


「おにい……ちゃん?」


千鶴の声で目を覚ましたのだろうか、頭の下に組み敷かれた腕が細かく身じろいだかと思うと、半分寝呆けたようなエメラルドグリーンの瞳と目が合った。


「ふわあぁ……おはよう。今日は“お兄ちゃん”なんだ?」


そういえば……『総司って呼んで』って言われてたんだっけ……?
あっと思わず口を押さえ、千鶴はもじもじとはにかみながら言い直す。


「えっと……そうじ、さん?」


ほんのり頬を染めながら、『総司さん』と呟く彼女は昨日とは別人のようで、
総司を見つめるあの縋るような瞳や小刻みに震える細い肩。
後から後から涙が伝う白い頬、悲鳴のような切実な願いを口にした唇……
目の前の彼女にその面影を見つけることができず、総司は首を傾げる。


どういうこと?
昨日の夜、自分の口が無意識に動き、本来なら自分が探している大切な人に向けるはずの言葉を……永遠の約束を受け取ったのは目の前にいる彼女。
昨日の“彼女”は彼女であって………彼女じゃない??


そんな謎かけのような言葉が総司の頭を巡り、総司は混乱していた。


「あの、総司さん…ここはどこでしょう?私は……何でここに?」


躊躇いがちに問い掛ける千鶴に総司ははっと我に返る。


「えっと、君が寝てるのが僕のベッドで、ここは僕の部屋だよ。君が昨日ドアの所で倒れてたから、取り敢えずここに寝かせたんだけど……昨日のこと、覚えてない?」


昨日の夜の出来事を覚えているのか、いないのか。覚えていなくても不審がられないような聞き方で、さぐるような目付きで千鶴を見つめ、総司は彼女の答えを待った。




総司さんの部屋……意識した途端、ふわりと香る総司の匂いに少し緊張しながら千鶴は昨日のことを思い出そうする。


昨日は確か、体調が良くなくて……お店のドアまで何とかたどり着いたものの、その先の記憶が何もない。
しかし、体調が良くなかったということと、子どもの頃、泣きすぎて次の日、目の奥がガンガンと痛むあの感覚と同じ感覚、それに自分を見つめる総司の不審な目に千鶴の頭は1つの結論に辿り着く。


きっとまた夢を見たんだ……
そして、眠ったまま涙を流す私を見て、総司さんは不審がっているんだ……


そう思った千鶴は、総司の問い掛けに曖昧に言葉を濁した。


「何となく……ぼんやりとは………」


ぼんやりと覚えていると言う割に、昨日のことなど一切表に……態度に出さない彼女。
今朝は『総司さん』と名前を呼んだだけで、頬を染めていたのに、総司に触れて、抱きついて……そっちは何ともなかったかのように振る舞って……


全てが演技なのだろうか?
僕をもてあそんでいるのだろうか?
僕は彼女に騙されているのだろうか?
それとも……何か理由があるのだろうか?


目の前の彼女の瞳を見つめると、昨日も今日も鳶色のそれは澄みきっている。


こういう仕事を生業としているだけに人を見る目には絶対の自信がある。
自分のカンを信じれば、彼女は嘘がつけるような人間じゃない。
そうなると、昨日と今日のギャップ、それにあの答えは一体何なのだろう?


「あの……総司さん?」


自分の答えを聞いた後、そのまま黙り込んでしまった総司に何か感じとったのだろう。
躊躇いがちな声音は不安の色を帯びていた。


病み上がりの彼女に心配かけるのも良くないな……
そんな彼女を安心させるように総司はふっと微笑むと、勢いをつけて立ち上がった。


「君、そろそろお腹空いたでしょ?向こうに行って、何か食べ物とってくるから、いい子で待っててね。」


背後から、子ども扱いしないで下さい!という声が聞こえてきて、総司はクスクスと笑いながら、お店の方へと続くドアをくぐった。






とは言ったものの………
総司は冷蔵庫の前で、腕組みをして立ち尽くしていた。


目の前の冷蔵庫に入っているのは、チーズ、生ハム、ベーコン、魚、ソーセージ、サーモン……
床下の戸棚を開けても、入っているのは小麦粉とパスタ……


はっきり言って、健康な総司ですら朝からは食べたくもないものばかり……
ましてや病み上がりの彼女は絶対に食べたくないだろう。


どうしたものかと頭を悩ませていると、視界の片隅に鈍く光る銀色が映り、総司はニンマリと笑ってそれに手を伸ばした。






結局何だかんだで10分ほどかかっただろうか、両手が塞がっていたので仕方なくドアを足で開けると、ベッドの前で所在無げに立っている彼女がいた。


ローテーブルに持ってきたものを置きながら、ベッドを見やると、布団は丁寧にたたまれて、シーツはキレイに整えられていた。


「まだ寝ててもよかったのに。」


「いえ、そういう訳にもいかないので……本当にありがとうございました。」


そう言いながら、申し訳なさそうに微笑み、ペコリと頭を下げる千鶴に近寄ると、総司は彼女の額にそっと自分の額をくっつけた。


「っっ!?」


「うん。熱はもう下がってるから、大丈夫かな?」


あっという間の出来事に、目を瞑ることもできず、顔に熱が集まるのを感じながら、千鶴は口をパクパクと開く。
そんな千鶴の反応に気づいた総司はにやりと笑うと、からかうような声音で言った。


「あれ?顔が赤いけど?熱が上がってきたのかな?」


「ちっ違います!!」


しばらくの間、翡翠の瞳は楽しげに揺れていたが、それ以上は気が引けて、苦笑しながら目を逸らすと、ソファーに座った。


「ほら、こっちにおいで。」


そう言って、ポンポンと自分の隣を叩く総司に誘われ、千鶴は遠慮がちに腰を下ろす。


「本当はお粥とか作りたかったんだけど……ここ、何もなくてさ。これなら君も食べやすいんじゃないかと思って。」


千鶴の前に差し出されたのは、鮮やかな橙色で甘い香りが漂う果物。ただ、いつもと違うのは、細かくカットされ、可愛い器に食べるのがもったいないくらい綺麗に盛りつけられている。


「桃缶……ですか?」


渡されたスプーンでゆっくりと掬って一口食べると、みずみずしく、甘酸っぱい香りが口の中に広がっていく。


「おいしい。」


「ね?缶詰めも捨てたもんじゃないでしょ?」


「それはそうですけど……2食これはダメですよ?」


一昨日のことを思い出し、躊躇いがちになりながらも、口を尖らせる千鶴に、頬を膨らませそっぽ向く総司。
そんな微妙な空気のあとに2人は顔を見合わせると、ほとんど同時に吹き出した。


「あははっ、前にもこんなことあったよね?やっぱり君、面白いなぁ。」


翠の瞳に浮かんだ涙を拭いながら、他愛もない話をしていると、総司がふと思い出したように言った。


「あっ!すっかり忘れてたけど、君に話したいことがあったんだ。だけど、話し出したら、長いから、今日は休んでまた明日来てくれる?」


「はい。分かりました。じゃあ、今日はこの辺で……」


荷物をまとめ、千鶴がくるりと背を向けた瞬間、やっぱりどうしてもはっきりさせたくなって、総司は千鶴の肩を掴んだ。


「ねぇ、最後に1つ聞いていい?」


振り向いた千鶴は、総司の瞳がすっと細められ、纏う空気が真剣なものになったのを感じ取り、総司を真っ直ぐ見上げた。


「どうしたんですか?」


「もし……もしもだよ……」


言いにくそうに言葉を切ると、総司は千鶴の右手を掴むと、自分の胸の位置まで持ち上げた。


「ずっと君のそばにいる。もう離れたりしないから。君もずっとそばにいてくれる?って言ったら、どう思う?」


千鶴にむけるにしてはいつもの冗談のような台詞だが、千鶴を見つめる翠の瞳は真剣で、彼の本心が分からず、千鶴はぐっと言葉に詰まる。


何て残酷な言葉だろう……
これが心の底から千鶴に向けられた言葉なら、どんなに嬉しかったか分からない……
だけど、彼が見ているのは千鶴じゃない、別の人……


「それはあなたの大切な女性に言ってあげて下さい…」


掴まれた手を振りほどき、泣きそうな顔で微笑んで、千鶴はBARを後にした。



『僕と彼女の日曜日』に続く




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