バーテンダーな僕

□街中出会う木曜日
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「う…ん……ふわあぁ〜」


結局昨日、ほとんど眠れなかった千鶴はあくびを噛み殺しながら寝返りをうつ。
そのままうとうとと閉じそうになる目を必死に開けながら、時計を見ると、時刻は9時30分………


「9時30分!?」


ベッドから跳ね起き、もう一度時計の針を見て間違いが無いことを確認すると、まどろんでいた千鶴の頭が一気に覚醒する。


今日は会社は休みだが、前々からお千と約束をして、新しくできたショッピングモールに行くことになっていた。


「約束は……確か10時だったはず………」


ここからお千の待つ駅前のロータリーまでは徒歩15分……急いで準備すれば、ギリギリ間に合う!!


そう思った千鶴は、はみがき、洗面、化粧を10分でこなすと、勢い良くクローゼットを開く。
昨日の夜、どれを着ていこうか散々迷った服を3着、ベッドの上に放り投げると、頭をフル回転させる。


「えっと……うん。やっぱり、今日はこれにしよう!!」


千鶴が手に取ったのは、この間買ったばかりの花柄のベビーピンクのシフォンのワンピースに白のカーディガン。
いざ着てみると少し子どもっぽいかな?とも思ったが、もう時間がない。
子どもっぽい部分をカバーしようと、靴箱からベージュのフラワーコサージュのついたサンダルを取り出すと、そのまま外へ飛び出していった。





 ***





「今日は本当に楽しかったね。買い物もできたし。それにさっきのカフェ、雰囲気も良くて、すごく美味しかったよ。」


「本当?千鶴ちゃんにそう言ってもらえると、嬉しいわ。やっぱり、君菊の情報にハズレは無いわね。」


そう言って、心から嬉しそうに笑うお千を見ているだけでいつもの千鶴なら嬉しくなるのだが、今日の千鶴は何となく後ろめたさを感じていた。
ここ最近、何かと忙しく、いろいろなことがあった千鶴にとって、今日は洋服も買ったし、美味しいものも食べたし、久々に心ゆくまで羽を伸ばすいい機会だったが、心置きなく楽しめなかったのも事実だった。


「じゃあ、千鶴ちゃん。また明日!!」


「うん。また明日!」


何度もこちらを振り返りながら、ブンブンと手を振るお千を見送ってから、千鶴は時計に目を落とし、思い出したかのようにふぅ、と息を吐いた。


今日1日、お千には本当に申し訳なかったが、買い物をしていても、食事をしていても、何をしていても、千鶴の頭を占めていたのは昨日のことだった。


あれから大丈夫だったかな?


しかし、会いたくて、いつも通りの姿を確かめたくて待ち遠しかった夕方も、いざなってみれば、昨日の彼の強い拒絶が思い出され、千鶴は思うように足が進まなかった。


行きたい……行きたいけど、
行ってもいいのかな……?
行かない方がいいんじゃないかな……?


散々迷っているうちに千鶴を乗せた電車が彼のBARのある駅の名を告げ、千鶴はとりあえず電車を降りた。
そのままぼうっとつっ立っている訳にもいかず、夕日に照らされたプラットホームをのろのろと改札の方へと歩き出す。


人混みにのまれつつようやく改札を抜けた時、千鶴の後ろからもう聞き慣れた、今、千鶴の心を占めている人物の声が千鶴の耳に飛び込んできた。


「あれ?千鶴ちゃん?」


その声に千鶴が振り向くと、間違えるはずなんてない、予想通りの人物がこちらに向かって昨日のことなど微塵も感じさせないような笑顔で手を振っていた。


元気そうでよかった……
心の中で呟きながら、千鶴はほっと胸を撫で下ろす。


「あっ、おにい……えっと……」


そのままうっかり言い掛けた言葉を千鶴は慌てて飲み込んだ。


お兄ちゃんって呼ぶのはまずいよね……でも、考えてみれば今まで彼の名前を呼んだことなかったかもしれない……何て呼べばいいのかな…?


口をへの字にして、彼を見上げて考え込む千鶴の心を読んだかのように彼は明るく笑って言った。


「君って本当にわかりやすいよね。顔に全部書いてあるよ?僕のことは、そうだなぁ……今までは優司って呼ばれてたけど、君は総司って呼んでくれる?」


今まで“お兄ちゃん”と呼んではいたが、名前で呼んだことなど無かったので、千鶴は少し戸惑ってしまう。


「どうしたの?もしかして、いや?それなら、別に君が好きなように呼んでくれてかまわ…」


「そ、総司さん」


意を決して口にしたものの、名前で呼ぶと何だか一気に距離が縮まったみたいで、千鶴はほんのりと頬を染める。


「名前で呼ばれると急に距離が縮まったみたいで照れ臭いな……」


千鶴が思っていたことと全く同じことを総司が口にしたので、千鶴は目を見開いて彼を見つめる。
すると、照れくさそうに頭をかく彼の頬も心なしか薄く染まっている気がして、千鶴はますます顔に熱が集まるのを感じ、目を合わせることができなかった。


「今日は何かあったんですか?こんな所で会うなんてすごい偶然ですね。」


「別に偶然なんかじゃないよ?今日1日、僕は君を尾行してたからね。」


「えっ!?」


驚いて千鶴が顔を上げれば、してやったりという顔でニヤリと笑う彼と目が合った。


「やっとこっち向いてくれた。」


甘い言葉とともにいたずらっぽい笑みがふわりと心からの笑顔に変わり、千鶴の心臓はトクンとはね上がった。


「今日はちょっと調べ物があってね。君に報告することがあるんだ。それに、君、アルバム忘れていったでしょ?これから買い物して、BARに戻るんだけど……一緒に来る?」


そう言いながら、総司は後に手を組んで屈み込み、翠の瞳で千鶴を覗き込む。
すっと自分に近づく翠の瞳に、彼に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいに千鶴の心臓はますます大きく脈打つ。その音に掻き消されないように千鶴は大きな声で返事をした。


「い、行きます!!ご一緒させて下さい!!」


「よし、じゃあ行こうか。」


千鶴の返事に満足そうに微笑んで、一歩踏み出した総司だったが、何を思ったのか、不意にくるりと振り返り、千鶴の耳元で囁くように言った。


「今日の服かわいいね。ガラリと雰囲気も変わって見違えたよ。馬子にも衣装って感じ?」


前半で喜んだ分、最後の言葉でつき落とされた千鶴は、喜んでいいやら、悲しいやら、腹立たしいやら、いろんな感情が入り乱れ、その場で口をパクパクさせていたが、「何してるのさ?置いていっちゃうよ?」という総司の言葉に我に帰ると、「あなたのせいです!」と口を尖らせながら、慌てて後を追った。





 ***






「………う〜ん……こんなもんかな?あとは………あっ!これもいいな。」


「あの……そろそろ聞いてもいいですか?」


2人で駅前のスーパーに入って約10分。
オレンジ色のカゴを片手に、入ってそのまま迷うことなく一直線に進んで行く総司の後ろを今まで黙って着いていっていた千鶴だったが、目の前で繰り広げられる光景に千鶴はさすがに口を開いた。


「あの………これ、何ですか?」


そう言ながら、千鶴が指差す先にあるのは、鈍く光る銀色の物体の山。


「えぇっ!?これ、知らないの!?そんな人がこの世の中にいるなんて信じられない!!」


本気で驚いている様子の総司に千鶴は軽い目眩を覚えつつため息をついた。


「知らないわけないじゃないですか……これは缶詰めでしょう?私が言いたいのは、そういうことじゃなくて、どうして缶詰めばかりこんなに入れているのかってことです!!」


千鶴の視線の先にあるのは、先程から総司がポンポンとカゴに投げ込んだ大量の缶詰め……ざっと見た所、もう、5,60缶はあると思う。
その半分以上はフルーツ缶で、しかも総司の手は今だに棚に並んだ缶詰めに向かって伸びている。


「………これ、一体どうするんですか?
あっ!もしかして、BARで出すんですか?」


これだけの量を買うとしたら、それしかない……というより、そうであってほしいという願いを込めて千鶴が問い掛けると、呆れ混じりのため息と不機嫌そうな声が返ってきた。


「あのね……僕が仕事に手を抜くように見える?あぁ見えてもあのBARで出してる物は全て近藤さんの顔の広さと僕の独自のルートで仕入れた一流の物なんだよ?これは全部僕が食べる用に決まってるでしょ?」


「あの……まさか、とは思いますが、3食これですか?」


「ううん、違うよ。僕、朝食べないから2食これ。」


それを当たり前のように言い切って、何か問題でも?と言いながら、総司は再び缶に手を伸ばす。


「問題大有りです!これじゃあ野菜は足りないし、塩分の摂り過ぎだし……体壊しますよ!?」


カゴから缶を取り出して、総司の前に突き出しながら、千鶴の語気は自然と強まっていく。
そんな千鶴の親切心からの忠告もうんざりといったように総司は髪を掻き上げながら、ため息を零した。


「あーもー、うるさいな……僕の体のことなんて、君には関係ないでしょう!?どうせ記憶が戻るまでの付き合いなんだし!」


言った後にしまったと思ったのか、総司は顔を歪ませたが、気付きたくなかった痛い所をつかれた千鶴は、そうですね…と口籠もる。
総司の口をついて出た言葉に、彼の本心が垣間見えた気がして、千鶴は一気に地に叩き落とされたような気分になり、視界がじんわりと滲み始める。


「じゃあ、僕、お金払ってくるから外でまって…」
「あの、私…今日は帰ります。また明日……」


やっとのことでそれだけを呟くと、千鶴は総司にくるりと背を向け、小走りで出口へと向かう。


所詮私なんて記憶を取り戻すための道具にすぎないんだ……
心の奥底では分かっていたことだったが、いざ彼に言葉にして突き付けられると、一瞬にして今までのドキドキや嬉しさ、いろんな感情が全て吹き飛んでしまった。


アスファルトの上にぽつり、ぽつりと大粒の雨が染みをつくる。
ひとつ、またひとつと増えていったそれはやがて激しい夕立となり、千鶴の上に降り注ぐ。
そんな薄暗い夕暮れの中、涙か雨かよく分からない水滴が頬を伝うのを感じながら、千鶴はただただ走っていた。





『きっかけの金曜日』に続く




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