バーテンダーな僕

□再び出逢う火曜日
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夜11時――
今日は火曜日。
昨日とほぼ同じ時間に千鶴は再び例のBARのドアの前に立っていた。
相変わらず薄暗い中、気づけばもう10分以上ドアに手をかけたり、離したりを繰り返していた。







はぁ……
千鶴はパソコンの画面から目を離し、目頭を軽く押さえると、本日何度目になるか分からないため息をつく。
そのままちらりと時計を見ると、まだ10時50分……昼食まではまだあと1時間もある。
そして再び視線をディスプレイへと戻すと、再び大きなため息をつく。





昨日の夜、千鶴は大人としてどうなの?と思わず言いたくなるような自分勝手な理由で店を飛び出し、逃げるように家に帰ってきてしまった。
自分の部屋に入り、ちょっと冷静になって考えると、千鶴がしたことは相手にとってとても失礼で…………何よりも、お金を払ってないのだから、ただの食い逃げだった。


そのお店が普通のお店だったなら、迷うことなく謝りに行くんだけど……あのお店は『1度きり』と念押しされたし………

そこで千鶴は頭を左右に振った。

ううん、違う。
気が進まない本当の理由は、『あの人に会いたくないから』だった。
もしも、あのお店にもう一度行ったら、必ず理由を聞かれるだろう。
だけど、今の千鶴には、お兄さんとそっくりなあの人の前で冷静でいられる自信も上手く説明できる自信も無かった。





どうすればいいのか答えも出ず、かといって仕事にも集中できないまま、12時になると、千鶴はいつものように鞄から弁当箱の入った保冷バックを取り出して、ランチスペースへと向かった。
お千ちゃんに話せば、きっといいアドバイスをくれるはず!
そう思うと、無意識に歩くペースも早まっていく。
軽く息を切らしながら、太陽の光が差し込む入口へと辿り着くと、いつもの場所で目を輝かせたお千がぶんぶんと手を振っていた。


「私、急いで来たのにお千ちゃん、今日は早いね。」


「当たり前よ!気になって仕方なかったんだもの。本当は朝、千鶴ちゃんの部署に押し掛けようとしたんだけど、風間に見つかっちゃって、抜け出せなかったの。それより、ねぇ、昨日どうだった??」


こう聞かれることも予想していたし、どうすればいいのか相談しようと思っていた千鶴は、お千の言葉に促されるように、昨日の出来事を一気に話した。





 ***





「じゃあ、結局その人はすごくよく似た別人だったってこと?」


「うん、多分……」


今、思い出してみれば彼は肯定こそしなかったものの、否定するわけでもなく、ただ驚いていたようだった気がする。


「でも、実際に見てないから分からないけど、その人の反応…どこか引っ掛かるわね。もしかすると、何か訳ありだったりするんじゃない?」


「そうだとしても、もう確かめる方法もないよ。私、あの後飛び出してきちゃったし……
そっそうだよ!!そんなことより、どどどどうしよう!?私、お金も払わずに出てきちゃったんだ!!」


「そうねぇ……」


今さら慌ててもどうしようもないのだが、千鶴はお箸を手にもったまま頭をかかえて呻いた。
しばらく2人で頭を悩ませていたが、突然お千がぽんッと手をたたいた。
お千に縋るように千鶴が顔を上げると、いたずらっ子のようなまぶしいお千の笑顔が目に入る。


「そうだわ!!千鶴ちゃん。食い逃げしちゃったっていうのはチャンスよ!!あのお店は1回きりってルールがあるけど、お金を払いに来たっていう理由で堂々と行けばいいのよ!!一言でも会話を交わせば、もう勝ったも同然よ!後は、多少強引にでもいろいろ話して確かめてみるの。それに、その人の反応だと向こうから聞いてくるかもしれないじゃない?」


興奮すると周りが見えなくなるのはお千の悪い癖で、だんだんと大きくなる声と周りの視線に千鶴は顔が赤くなるのを感じながら、慌ててお千にシーッと合図をした。


「声が大きいよ!!」


千鶴の言葉に周りを見渡したお千はため息をつきながら、千鶴に顔を近づける。


「どっちにしろ、このまま食い逃げっていうのは千鶴ちゃん、自分で自分が許せないんでしょう?どうせ行くしかないんだから、ついでにちょっと聞き出すくらいの気持ちで行けばいいのよ。」


「で、でも、私、あの人と話して、平然としていられる自信がないし……また昨日みたいになったら……」


「でも…じゃないわ!!このまま何もしなかったら、千鶴ちゃん、絶対後悔するわ。もしかすると、その人は本人かもしれないのよ?千鶴ちゃんの8年間の想いが詰まった相手なのよ?泣いちゃったっていいじゃない。やらなくて後悔するよりは、やって後悔した方がずっといいに決まってる。」


いつも困った時には、多少強引にでも千鶴の背中を力強く押してくれる。そんな親友の存在に千鶴はいつも感謝していた。








今もまた、『がんばって!』というお千の言葉が聞こえてくるような気がして、一回深呼吸すると、千鶴はドアに手を掛けた。





 ***






相変わらず薄暗い、シンプルな店内に足を踏み入れると、先客がいたようで、4つの瞳が千鶴に向けられた。


「あぁ、客か?」


そう言ってこちらを見つめる男性は、濃い灰色のシャツに真っ黒のスーツ。釦を外し、はだけたシャツの間からのぞく肌は真っ白で、金のネックレスがよく映えている。
視線を上に向けると、こちらを見つめる瞳の色はアメジストで、さらさらと流れるようなストレートの黒髪を肩より少し上で切りそろえている。
街を歩けば10人中8,9人は振り返るくらい整った顔立ちだったが、眉間に刻まれた皺と煙草をくわえ、不機嫌そうに引き締まった唇が何だか近寄り難い印象を与えている。


「君は………」


その声に千鶴はテーブルの向こう側の彼の方を向いたが、一言だけで続かない言葉に何だか無言で責められているような気がして、千鶴は思わず視線を下に落とした。


「何だ?訳ありか?」


そんな2人を見比べながら、先ほどの男性が声を掛けるが、2人とも答えようとしない。そんな2人に肩をすくめると男性はテーブルの上のライターと煙草のケースをポケットにしまい、席を立った。


「俺は邪魔みてぇだからな。もう帰るぞ。お前もたまには近藤さんの所に顔を出せよ?」


「わかりました。近藤さんによろしく伝えて下さい。」


そのまま千鶴の横をすり抜け、出ていこうとする男性に千鶴は申し訳ない気持ちでペコリと頭を下げると、男性は背を向けたままひらひらと手を振りながら、BARを後にした。


「あの、よかったんですか?」


下から覗きこむような形で千鶴が彼に問い掛けると、彼は目を伏せ、軽く笑みを見せながら、答えてくれた。


「あぁ、あの人は客じゃないからいいんだよ。それより……君なら来ると思ってたよ。ほら、早く座りなよ。」


妙な緊張感を漂わせる声音に促され、千鶴は昨日と同じように俯きがちに席についた。
彼はさっとグラスを片付けると、テーブルに肘をつき、手に顎をのせ、千鶴の方を真っ直ぐ見つめながら口を開いた。


「どうして昨日帰ったの?」


「そ…それは……」


今日1日、仕事中もずっと考えていた言い訳もいざとなったら思うように出てこない。軽いパニックを起こしかけた千鶴は、とにかく謝らないとという一心で勢い良く頭を下げた。


「昨日はすみませんで」
――ゴンッ


勢い良く下げすぎて千鶴は額をテーブルに強かにぶつけ、生理的な涙で視界が滲む。


「―――ッツ」


そんなお決まりのコントのような出来事を目の当たりにした彼は、一瞬驚きで目を見開いたが、次の瞬間、堪えきれずに吹き出してしった。


「ぷっ…あはははっ!!君、面白いね、もう最高っ!!それ狙ってやってるの?それとも天然?」


ヒーヒー言いながら、腹を抱える彼に千鶴は額を押さえたまま頬を膨らませ、そっぽ向く。


「狙ってやるわけないじゃないですか!!」


そんな千鶴の行動がますます笑いを誘ったのか、彼は涙目になりながら肩を震わせている。
ひとしきり笑って、ようやく落ち着くと、先ほどまでの妙な緊張感はどこへやら、涙を拭いながら、彼は砕けた口調で言った。


「昨日はごめんね?ガラにもなく緊張しちゃって。恐かったよね?」


まさか彼の方から謝られるなんて思ってもいなかった千鶴は、手と頭を振りながら、慌てて答えた。


「いえ……そんな……それより、私の方こそ、お金も払わずに飛び出してしまってすみません……」


「お金なんてどうでもいいんだよ。それより、さ……もう一度聞かせて欲しいんだ。君と僕は初対面なの?」


「それは……あなたがそう感じるなら、そうだと思います。」


「あぁ、違うんだ。そうじゃない……ごめん。僕の説明が足りなかったね。僕はね、今、昔の記憶がないんだ。いわゆる記憶喪失ってやつ。だから、君の答えが知りたいんだ。」


遠くを見つめ、どこか淋しげな感じを漂わせながらも、飄々と語る彼の思いもよらない事情に千鶴は目を見開いた。


「そ…そうなんですか。じゃあ、もしかして自分の名前も……?」


だとすれば、本当はこの人は沖田総司、お兄ちゃんかもしれない……
千鶴の中で淡い期待が生まれたが、次の瞬間、それは再びパンッとはじけた。


「ううん。名前はわかってるんだ。僕の名前は君が言ってた『沖田総司』じゃない。『山田優司』なんだよ。」


ヤマダユウジ……千鶴は口の中で呟いてみるが、どこか引っ掛かる。沖田総司と山田優司、なんとなくだが、響きも似ている。
この世には同じ顔の人間が3人いるって言うけど、名前も似てるし、顔も似てる……偶然?
それでもやはり信じきれず、千鶴は訝しげに彼をじっと見つめる。


そんな千鶴に苦笑すると、彼はカウンターの奥からごそごそとパスポートを出し、千鶴に手渡した。


「何か、信じてもらえないみたいだから。はい、どうぞ。」


差し出されたパスポートを開くと千鶴はそこに記された日付と顔写真をチェックし、息をのんだ。


名前は『山田優司』だけど……
日付はお兄ちゃんがいなくなったのと同じ8年前……
それに、写真に映っていたのは、8年前の千鶴の記憶と完全に一致する、セミロングの髪に、まだちょっとあどけなさの残る青年だった。


千鶴がその事を話そうと右手でパスポートを差し出した時、ページの隙間から小さな紙がひらりと床に舞い落ちる。


「あっ、すみません。」


千鶴が慌てて拾うと、ぼろぼろになった紙の表には、英語で何か走り書きのようなものがあったが、かなり崩した筆記体で千鶴には読み取れなかった。


「あの……これは?」


その小さな紙切れを千鶴から受け取ると、彼は目を細め、しばらく眺めた後、とても流暢な英語で読み上げてくれた。


「 I recalled an important thing. Even if she don't remenber,I must meet her. Bcause,it is a promise on that day. I will return to Japan tomorrow・・・・ 」

『大切なことを思い出した
たとえ彼女が憶えていなくても、僕が彼女を迎えにいかないと
それがあの日の約束だから
明日僕は日本へ帰る……』



※2ページへ続く
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