バーテンダーな僕

□偶然を呼ぶ月曜日
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君菊さんが描いてくれた地図を片手に例のBARがあるという裏通りへやって来たものの、方向音痴な千鶴は先程からもう30分近く、同じ場所をぐるぐるとさ迷っていた。


いつもなら、周りの人に道を尋ねる所だが、ここはホテル街。
ちらほら人が見受けられるが、当然のようにカップルばかりで中へ入って行く人や出てくる人ばかり。
この年になっても、彼氏いない歴=年齢の千鶴には刺激が強すぎて、思わず顔を背けてしまい、声をかけるなんて、とてもじゃないができなかった。


もう一度、入り口に戻ってやり直そう……
そう思った千鶴がうつむきがちに小走りで来た道を引き返していると、走ったはずみで携帯がポケットから飛び出し、カラカラと音をたてながら、アスファルトの上を滑っていった。


あの携帯、まだ買ったばかりなのに!!道には迷うし、携帯はぼろぼろだし、もうさんざん……
泣きたい気持ちになりながら、傷だらけになった携帯を拾い上げ、ふと顔を上げると、千鶴の目に少し淋しげなライトに照らし出された地下へと続く階段が映し出されていた。


あっ……
視線を上に向け、キョロキョロと左右を見渡せば、地図に描いてあるのと同じホテルの名を形作るこうこうと光るネオンが目に入る。


やっぱりここだ!!
ようやく見つけたと浮き足だってトントンと階段を下りていった千鶴だったが、彼女の足はBARと書かれたドアの前でピタリと止まってしまった。


目の前にあるのはゴシック調のシンプルなドア。


確か……君菊さんが『月曜開けるかも』って書いてあったとは言ってたけど………
千鶴が見る限り、ドアにはOPENともCLOSEとも書かれてはいない。


入っていいのか、悪いのか……
そもそも開いているのかすら分からない千鶴が所在無げに崩した自己流で彫られた『BAR』という文字を指でなぞっていると、不意に後ろから肩をたたかれた。


反射的に千鶴が振り返ると、思いがけないことに彼女のすぐ後ろには長身の男性が立っていて、千鶴は身を固くし、悲鳴を上げそうになった。


「おっと、悲鳴なんて上げないでね。」


その言葉と同時に、目の前の大きな影が、千鶴の方に一歩近づいたかと思うと、温かい感触が千鶴の唇を塞ぐ。


暗がりで相手の顔がよく見えない上に、口を塞がれ、後ろには壁。
どう足掻いても逃げられそうもない状況に千鶴の頭はパニックで真っ白になる。


「ンーーーッ!!」


無駄とは分かっていたが、何もしないよりは……と、塞がれたまま悲鳴を上げようとする。


ここは暗いし、ホテル街だし、そういうこともないとは言いきれないし、どうしよう、どうしよう、どうしよう……


そのままぎゅっと目を瞑り、とにかくパニックになっていた千鶴の耳に、突然悪戯っぽい声と、この場にそぐわない笑い声が聞こえてきた。


「あははッ、もしかして君、襲われるとか思ってる?そんなに心配しなくても大丈夫。僕、お子様に手を出す趣味なんてないし。」


ちょっと間をおいて、ようやく言葉の意味を理解した千鶴が目を開けて、上を向くと、暗がりに慣れた目に、上から届く微かなネオンの光の下、男性の艶っぽい笑みが照らし出された。


「君みたいなお子様がこんな時間にどうしたの?」


本来なら、自分をバカにしたような、見下したような言葉に怒るべきなのだろうが、まだパニックから抜けきっていない千鶴にそんな余裕はなく、必死に言葉を紡いだ。


「あ……あの、私、ここのBARに……」


そう言って、後ろのドアを指差すと、目の前の男性は心底驚いたような顔で千鶴を頭の上から爪先まで、品定めするかのように一通り眺めると、『へぇ、お客さんだったんだ。』と呟きながら、千鶴を脇に寄せ、ドアに鍵をさした。


ってことは……この人が例のバーテンダーさん!?


「いらっしゃいませ、お嬢さん。さあ、中へどうぞ。」


そう言ってニッコリ微笑む彼に誘われ、千鶴はドキドキと、未知の世界へ踏み込むワクワク感が入り交じったような奇妙な気持ちで中へと足を踏み入れた。




 ***





中へ入れたのはいいものの、今までこういった場所に全くというほど縁が無かった千鶴は、この後どうしたらいいのか分からず、ドアの前にポツンと立ち尽くしていた。


例のバーテンダーは千鶴にちょっと待っててね、と言い残すと奥へと入って言ってしまった。
する事もなく、店内を見渡すと、うわさ通り席は1席しかない。
さらに、シンプルな色で統一された壁には何もなく、レトロな照明が店内を照らしているだけだった。


「どうしたの?早く座りなよ。」


その声にはっと我に返ると、いつの間に戻ってきたのか先ほどの男性がイスの前のテーブルをちょんちょんとつついていた。
そんな彼を見ると、ぼうっとつっ立っていた上に、キョロキョロしていた自分が恥ずかしく、顔が赤くなっていくのが分かった。
そのまま彼の方を見られずに、壁に荷物を手早く掛けると、慌てて席についた。
そんな千鶴を見た彼がくすくすと笑っているのを感じ、千鶴はますます縮こまった。


「そんなに緊張しないで。顔上げなよ。」


先ほどから色々な事がありすぎて、緊張しっぱなしだった千鶴だったが、ようやく落ち着いて聞くと、男性の声に、あれ?と引っ掛かるものを感じた。
そのまま弾かれたように顔を上げた千鶴の目に、
悪戯っぽそうに輝くエメラルドグリーンの瞳、長い睫毛にすっと伸びた鼻筋。キュッと引き締まった形の良い唇………
8年前、千鶴の前から突然姿を消した彼とよく似た姿が映し出されていて、目を見開き、思わず息をのんだ。


「何?僕の顔、何かついてる?」


「い……いえ………」


そう言って千鶴は目を伏せる。
彼を最後に見たのは8年前……
8年も経てば記憶もぼんやりし、多少は違っているはず。それにしても………


失礼にならないようにそっと彼を見回す。


似てる……あまりに似すぎている………
8年前と変わっている所と言えば、昔は肩につかないくらいだった髪が今では肩を越え、横髪を前にたらし、ハーフアップにしている。それに、8年という長さを感じさせるような多少大人っぽくなった顔つき………
でも、本人だったら、私だと気づくはずだよね……


どうしても確信が持てなかった千鶴は言葉が続かず、そのまま口ごもってしまう。
しかし、相手はそんな千鶴の様子を気にする風もなく、一瞬だけ首を傾げると、飄々とした態度で尋ねてきた。


「君、噂聞いて来たの?」


声の記憶なんてあまりアテにならないけど、やっぱり、似てる……
千鶴が口をつぐんだまま頷くと、彼は念を押すように続けた。


「じゃあ、大体分かってるよね?はじめに言っておくけど、ここは1度きりだからね?分かった?」


その話にようやくここに来た意味を思い出した千鶴は、ぱっと思ったままを口にした。


「あの、ここは本当に噂の……本物ですか?」


目の前の男性は、一瞬目を見開いたが、すっと目つきを鋭くし、千鶴をちらりと見るとシェイカーを手に取り、氷とカクテルを注ぐ。
そして、目の前ですばやくシェイクすると、グラスへとそそぎ、グラスの縁にデコレーションを施し、千鶴にすっと差し出した。


「本物かどうか?そんなのはどうだっていいんだよ。大切なのは、君がどう思うか、それだけだよ。」



※2ページへ続く
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