花言葉に想いをよせて

□第1話
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今日から住むことになる別荘――


子供の頃は毎年夏休みに2週間ほど滞在していたのだが、中学、高校、大学へと進むにつれ、利用する回数は減っていき、今では月に2度、ハウスキーパーと庭師が訪れる以外全く人の訪れはない。


ここは湖のすぐそばで、見晴らしはいいし、空気もきれいだ。
しかし、周りに民家はほとんどない。


要するに、夏休みの避暑地としてはもってこいだが、現代っ子がここにずっと住むとなると、退屈なことこの上ない。


「まぁ、それも仕方ないか……」


そう呟きながら黒塗りの高級車から降り立ったのは、色素の薄い、少々くせのある茶色の髪、人を引き付ける人懐っこいエメラルドグリーンの瞳をもつ青年だった。
スラリとした長身と整った顔立ちはまるでモデルのようで、ここに人がいたならば、ドラマか何かの撮影だろうかと勘違いしそうなほどだった。


しかし、夏だというのに彼が身にまとっている薄手の黒のカーディガンとさんさんと降りしきる太陽が対照的で、彼の蒼白さを際立たせており、見る人にはかなげな印象を与えていた。


そんな陽射しに鬱陶しげに目を細め、別荘を見上げると、子供の頃の記憶にあるものと全く変わっていなかった。


「変わらないなぁ……」


そう呟き、玄関へと続く道へと足を踏み出すと、湖から吹く風が頬を撫でる。


「こほこほ……」


「総司様、大丈夫ですか?」


車から荷物を下ろす手を止め、心配そうに自分を見つめてくる幼なじみを青年は心配ないという意味を込めて、右手で制す。


この総司と呼ばれた青年の家は、日本人なら一度は耳にしたことがあるであろう大財閥であり、彼は次期当主のひとり息子、いわゆる御曹司であった。
そんな彼を心配そうに見つめる、きっちりとした黒の燕尾服に身を包んみ、長い前髪にともすれば隠れてしまいそうな紫紺の瞳が印象的な青年は、彼の幼なじみであると同時に執事兼ボディーガードである。


「もう2人きりなんだし、“様”なんてつけないでよ。それに、僕ももう子供じゃないんだし、そんなに心配しなくても……」


この後「大丈夫」と続くはずだった言葉は咳となって消えた。


「けほっ、ごほっごほっ……」


総司は次第に息をするのも苦しくなって、その場で膝を折ると崩れるように座り込み、一向に落ち着く気配のない咳を繰り返した。


「……はじ、めくん……くすり……」


何とかそれだけを告げると、総司は今まで背中をさすっていた手が離れるのを感じた。


「飲めるか?」


1分もたたず、目的のものを手にして戻ってきた彼から薬を受け取ると、慣れた手つきで口へと運ぶ。
呼吸を落ち着かせようと目を瞑り、深呼吸をすると、また軽く咳こんだ。


しばらくしてようやく呼吸が落ち着くと、『しっかりつかまってろ』と言う声と同時に身体がふわりと宙に浮く感覚があった。


「えっ!?ちょっと、お姫様だっことか止めてよ!!下ろしてッ!!」


そう言って抵抗しようとするが、身体に上手く力が入らない。
そんな弱々しい総司の抵抗など無視して、斎藤は別荘の中へ入ると、2階の寝室へと続く階段を上っていく。


「さっき、背中をさすっていた時に気づいたんだが、熱があるだろう?どうして言わなかった。」


「確かに朝起きた時からちょっと熱っぽかったけど、そんなのこの出来損ないの身体にはいつものことだし、言うほどのことじゃない……」


絞りだすように言う総司の言葉に斎藤の顔は困ったように歪む。
それを間近で見た総司は、少し申し訳なさを感じ、顔を反らした。


「後で昼食を持ってくる。それまでここで休んでいろ。」


「うん…」


そう言って、ベッドに総司を下ろした斎藤は、荷物を運び込むため、再び車へと戻っていった。


ベッドに横になった総司は先程の斎藤の顔と自分の言葉を思い出していた。


――出来損ないの身体か……


寝転んだまま窓から差し込む日の光にそっと手をかざしてみれば、自分の腕は血管が透けそうなほど白く、細い。


――役に立たない……思い通りにならない身体……


そんな自分を嘲笑うかのように、乾いた笑いをもらしながら、天井を眺めていると、総司にとって、思い出したくもない、あの日の出来事が蘇ってきた……




 ***





――コンコン


しんと静まりかえった廊下に無機質なノックの音が響く。


「父さん、総司です。」


「入りなさい。」


沖田家の次期当主であり、もうすぐ社長就任を控えた総司の父はここ半年、ほとんどこの家にいることはなく、挨拶まわりも兼ねて、日本国内、海外を忙しく飛び回っていた。
父は昨日、約半年ぶりに家に帰って来たのだが、朝から寝込んでいた総司は、昼食も夕食も自室で済ませたため、まだ顔を合わせていなかった。


そんな父から呼び出しがあったのは今日の昼――
ちょうど体調も良くなっていた総司は病み上がりでまだ少し気だるい身体を起こし、シャツに手を通すと、父の書斎を訪れた。


「失礼します。」


「そこに座りなさい。」


そう言って、ソファーを指差す父の方を見ると、ここ最近、あまり休めていないのか、すこしやつれているように見えた。
そんな父の姿に、いつも寝てばかりいた自分を申し訳なく思ったが、この貧弱な身体ではどうにもならなかった。


これでも小さい頃は身体が弱いのを何とかしようとしたのだが、どうしとも、いくら鍛えても、持って生まれた体質なのか、体力の方は上がってこなかった。
しかも、19となった今、本来ならば、なまじな大人よりもずっと体力があってしかるべきだが、総司は無理が続かない。
何をしてもすぐ息があがるし、ふらふらしてくる。
むしろ、最近は10代前半の頃の方が元気は充実していたような気さえしていた。
まるで、年齢の発達に身体がついていけないかのように、18、19になってから、すぐ風邪をひくし、熱を出すし、疲れるとすぐひっくり返ってしまう。


そんな自分に総司は苦笑する。


「総司、お前、また痩せたんじゃないか?しかも、今回は随分長い間寝込んでるらしいな。」


「はい……」


2月にインフルエンザにかかって入院して以来、退院してからもどうしても体調が戻らず、1日の半分以上をベッドで過ごすようになって、気づけば初夏になっていた。
思えばもう、3ヶ月近くはこんな生活を続けていることになる。


「でも、来月からは大学にも戻れるよう、何とかしてみせます。」


「何とかなるのか?」


初めて聞く父親の諦めと失望が入り交じったような声にはっと顔を上げると、彼は苦虫を噛み潰したような表情で総司を見つめていた。


「あのな、総司。前々から考えていたことなんだが、ここは、周りのプレッシャーやストレスもあるし、空気も悪い。身体の弱いお前にいいことなんて、1つもないだろう?」


父の意図が何となく分かった総司は震える拳をぎゅっと握り締め、父の言葉を待った。


「ほら、昔、よくみんなで過ごした別荘を覚えているだろう?
ここを離れて、あそこでしばらく療養した方がいいんじゃないか?」


予想通りの父の言葉に総司はきゅっと唇を噛んだ。


「それは……僕はもう、沖田家にとって用済み……そういう事ですか?」


総司は父の目を真っすぐに見つめ、絞りだすように言い放った。


「そういう意味じゃない。ただ、お前の姉さんにもいい婿がきたし、会社とは関係のない、何のしがらみもない所でただの沖田総司として、ゆっくり療養した方が、お前のためにいいんじゃないか?そう思っただけだ。」


――身体の弱い僕は、もう跡取りとしては使えない……それ以外の意味なんてあるはずがない……義兄も……林太郎さんは優秀だし、家柄も申し分ない。父さんは彼を跡取りにするつもりなんだろう。そうなると、僕は邪魔者だから、厄介払いをしようということか……
前々から、あまりの体力のなさ、脆弱さに父が総司の将来を危ぶんでいたのは知っていた。
今回の姉さんの結婚でそれが露見したのだろう。


総司は思うようにならない身体に乾いた笑いを漏らした。


――つけようと思って体力がつくのなら僕だって苦労はしない。
これでも、食が細すぎると言われては、必死になって食べようと努力したり、筋肉をつければ、体質も改善できるのではないかと色々試してみたのだか、すべて逆効果だった。
懸命に食べようとすると、お腹をこわしたり、食べ物を戻して一層食欲が失せたりするし、トレーニングをすると熱を出す。
そうするうちに、いつの間にかこの不出来な身体は騙し騙し使っていくしかないのだという半ば諦めの境地に達してしまっていた。


――それでも……それでも僕だって小さい頃から沖田家の跡取りとして努力してきた……高校だって、あまり出席は出来なかったが、常に1番だったし、大学だっていいところに入って、これからだって思ってたのに……
そんな努力も無駄だったってことか………


自分の今までの人生を全否定された総司は自分の存在がぐらぐらと根本から揺らぐのを感じた。


「努力だけじゃどうにもならないことってあるんだなぁ……」


父には聞こえないくらい小さな声でぽつりと呟くと、どうしようもないくらい悲しくなった。


「総司、どうなんだ?」


そう言う父の言葉は疑問形ではあるが、反論は許さないといった意志が感じられる。


「わかり……ました。」


ただその一言で自分の価値がガラガラとおとを立てて崩れていくのを感じ、熱いものが込み上げてくるのを必死でこらえていたため、その後の父の言葉は全く入ってこず、『体調不良』を理由に早々と部屋へと切り上げた。




 ***





「総司、昼食だ。」


斎藤の言葉に目を開けて、身体を起こし、ドアの方を向くと、ふわりと卵とだしの香りが漂ってきて、総司は顔をしかめた。


「今、食べたくない。」


「そんな事を言うな。少しでも食べないと、薬が飲めないだろう?」


「薬なんて、もうどうだっていいよ。」


あの日以来、何もかもがどうでもよくなったのか、薬と食事を渋る総司に斎藤はため息をついた。


――総司の気持ちは分かるが、このままでは身体も弱る一方だ。


いくら主人とはいえ、このまま引き下がるわけにはいかないといつものように説教をしようと口を開きかけた瞬間、来客を告げるチャイムがなった。


――ピンポーン…


客をこのまま放置するわけにもいかないので斎藤はベッドサイドに食事と薬を置いた。


「一口でもいいから食べて薬を飲んでくれ。」


それだけを言い残すと、斎藤は玄関の方へと身を翻した。


総司は斎藤の作ってくれた食事をちらりと見やる。彼には申し訳ないが、今日は本当に食欲が沸いてこない。
むしろ見ていると吐き気が込み上げてきそうになった総司は、鍋に蓋をすると、ふとんを頭まで引き上げる。


――どうせ僕なんて、もう誰にも必要とされてないんだ……どうなったっていいじゃないか………


総司はそのまま目を閉じると、すぐにうとうとと眠りに引き込まれていった。



〜第2話へ続く〜



 

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