バーテンダーな僕

□僕と彼女の日曜日
2ページ/3ページ



「……ってことで、はいこれ。ずっと返しそびれてたやつ。これのおかげで助かったよ。ありがとう。」


珍しく素直にお礼を言いながら、ふわりと笑う総司からフォトアルバムを受け取れば、何だか自分も役に立てたのだと実感できて、千鶴はちょっぴり嬉しさと気恥ずかしさが入り交じり、照れくさそうに微笑んだ。


「こちらこそ、話して下さってありがとうございます。でも……」


「でも…?」


微笑んでいた千鶴の表情にふっと陰がさすのをみてとった総司は、自分も顔を曇らせて千鶴の言葉を促した。


「私……これ以上あなたの役に立てません。」


「どうして?」


さっき総司さんは答えを聞かせてくれるって言ってたけれど、それはきっと私に同情してくれただけ。答えなんて聞く前から決まってる。
本当は、記憶が戻ったら、想いを伝えるつもりだったけど……もう彼は気づいてる。
伝わってるんなら、もうこれ以上ここにいる意味もないよね……


「だってこれ以上、あなたについて私が知ってることが何もないんです。それに、もう私がいなくてもあなたには確かなものがあるでしょう?」


そう言って、千鶴はパタンと黒いファイルを閉じると総司の方に差し出した。


「だからもう、私がここに来る意味はないはずです。」


「そんなことない。さっき言ったよね?記憶が戻ったら、ちゃんと答えを出すからって。君にいてもらわないと困るんだ。それに、傍から見たら、手詰まりみたいに見えるかもしれないけど、あと少し…あと少しで全てのピースが繋がって何かが分かる気がするんだ。その時に、君には傍にいてほしい。」


自分を見つめる決意に満ちた翠の瞳。
そんな瞳に見つめられると、心のどこかで、まだ傍にいられるという嬉しさと総司の答えに期待が芽生えてしまう。
あぁ、これが惚れた弱みってやつかな……
そんなことを考えながら、千鶴は総司に返事を返す。


「分かりました。」







 ***







午前2時を回った頃―――


「じゃあ、私、明日からまた仕事があるのでそろそろ帰りますね。」


顔を真っ赤に染めながら、そう告げる彼女に総司は少し不安になった。
今日初めてアルコールを使ったカクテルを彼女に飲ませたとは言え、量は少なかったし、レシピもちょっと無視してアルコール度数は抑えてあった……はず。それなのに、目の前の彼女はとろんとした目で頬を上気させ、足元も覚束ない。


ぱっと見た時から弱そうだとは思ってたけど………
こんなに弱かったら、大学のコンパは、まぁ避けられたとしても、仕事上の付き合いの時とかどうしてるんだろう?
よっぽど信頼できる人が傍にいないと、お持ち帰りされちゃいそう……


その間にもフラリとよろける彼女を総司は抱き止め、立たせてやる。


「す…すみません……」


「このくらい全然問題ないよ。それより君、独り暮らし?家はどこなの?」


流石にこのまま1人で帰したらまずそうだと判断し、総司は千鶴に問い掛ける。


「独り暮らしです……家は隣町の、ここから歩いて40分くらいの所ですけど……」


「じゃあ、タクシーだよね?大通りまで送るよ。」


「いえ…こんな距離でタクシーなんて使いませんよ?もちろん歩きです。」


不思議そうに総司を見上げる千鶴に総司は軽く眩暈を感じ、額に手を当て、苦笑した。


こんな時間に若い女性が1人歩きなんて危ないし、無防備にもほどがある……


総司は千鶴の危機感の無さに呆れながらも、今までよく無事だったものだとホッと息を漏らした。


「あのね、君は女の子なんだから、こんな時間に1人でフラフラ歩いてたら、襲って下さいって言ってるようなものなの。だから、頼むからタクシー使って?」


「そんな……私なんかを襲う人なんていませんよ?」


どうしてわからないかな……
総司は少し苛立たし気にふわふわと落ち着かない髪を掻き上げる。


「だからね、男はみんながみんなじゃないけど、女の子なら誰だっていいって思う人もいるんだって!!それに千鶴ちゃん可愛いから余計にダメ!」


「はあ……分かり、ました。でも、今日は持ち合わせがないので、今度からは気をつけます。」


そう言って、くるりと背を向ける千鶴の肩を総司は慌てて掴んだ。


「ちょちょちょっと待って!お金なら貸すから!!頼むからタクシー使ってよ!」


「駄目です。お金の貸し借りはしないって決めてあるんです!今まで何ともなかったし、今日くらい大丈夫です。」


「ダメ!!絶対ダメ!!そんなほろ酔いで歩いてたら、ほんと襲いたくなっちゃうから!!」


普段から、根っこの部分では譲らない所があるんだろうけど……
酔っているせいか、いつものふんわりとした雰囲気からは想像もつかないくらい頑固に言い張る千鶴に総司はほとほと手を焼いていた。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


「泊まってく?」


「駄目です。」


「一昨日も泊まったよね?」


「あれは、不可抗力です。」


「だよね。じゃあ、ちょっと待ってて。僕が送って行くから。」


仕事着のままではまずいので、着替えるために奥へと足を向けると、千鶴が両手で右腕を引っ張ってきた。


「それは、申し訳ないです!1人で大丈夫です!」


このままこんなやり取りを続けても発展性が感じられないと思った総司はごめんね、と小さく呟くと自分の腕を握る千鶴の腕を絡め取り、壁に軽く押し当てた。
腕越しに千鶴が小さく息を呑むのを感じ取り、総司はそのまま耳元に顔を近づけ少しだけ凄味を利かせて囁いた。


「――…っつ!?」


「ね?分かったでしょう?本当に襲われたら、ひとたまりもないんだから。だから、文句言わないの。それ以上言ったら、強制的に泊まらせるから。それに40分くらいなら、ちょっとした散歩みたいなものだし、気にしなくていいんだよ。」


最後は優しく囁いて手を離すと千鶴は潤んだ瞳で申し訳なさそうに総司を見上げていた。


「すみません……」


「じゃあ、ちょっとだけ待っててね。」


そのまま奥へと入った総司はジーンズに履き替え、シャツを羽織り、胸ポケットに携帯、ズボンに財布を押し込むと、千鶴の手を引いて外に出た。






 ***






BARの辺りは夜の街だし、この時間帯でも明るい。
それに、大通りは人気は少ないとはいえ、電灯が明るく道を照らし、客待ちのタクシーもちらほら見受けられる。


そんな中を千鶴も総司も他愛のない話をしながら、歩いていると、すぐ傍をサイレンなしの赤色灯を光らせたパトカーが通り過ぎていった。


さっきまで気にも留めてなかったけど……もう、4,5台はすれ違ったよね……


「ねぇ、千鶴ちゃん。ここっていつもこんなにパトカーがいるわけ?」


「いえ、いつもはこんなには……何かあったんでしょうか?」


千鶴は首を傾げていたが、総司はふと今朝のニュースを思い出していた。


「そういえば朝、通り魔が出たって言ってたから、それじゃないかな?」


「犯人、捕まってないんですか?」


「今朝のニュースでは逃走中って言ってたよ。それに、BARから3駅離れた所だったから、意外と近いよね?」


千鶴の先導で歩いていると、家に近づくにつれ、段々と外灯も減っていき、ついには20mおきにチカチカと瞬く間古ぼけた蛍光灯が光っているだけだった。


「ねぇ、君、本当にこんな所1人で帰ってたの?これじゃあ、普段の帰りも危ないんじゃない?親御さんに何も言われないの?駅に近いもう少しセキュリティがしっかりしたマンションとかに引っ越したら?」


「私、両親はいないんです。私が大学生の時に2人とも亡くなってしまって……今でも3人で住んでたアパートから離れられないんです………」


少し寂しそうに笑う千鶴から視線を外すと総司はそっか、と呟いた。


「でも、本当に気をつけなよ?」


「総司さん、心配し過ぎですよ!!」


「んー……ほんと、どうして分からないかなぁ……」


ため息をつく総司の隣で、千鶴はピタリと足を止めると総司の方に向き直った。
この三叉路から千鶴の家まではあと7,8分くらい。
流石にそろそろ1人でも大丈夫だと思う。


「あのっ、もうここからはすぐそこなので。本当にありがとうございました。」


「ん?どうせなら、家まで送るよ?ここまで来たら、そう変わらないし。」


「いえ、本当にすぐ近くなので、大丈夫です。」


まぁ、家まで行ったら、まずいかな?僕も一応男だしね……


「うん、分かった。じゃあまた明日。」


そう言って別れても、何度も何度もこちらを振り返る千鶴に手を振って、総司は元来た道を引き返そうとした。


しかし、2,3歩足を踏み出した時、一瞬背筋にゾクリと悪寒が奔り、どうしようもなく嫌な予感が胸を過る。それと同時に弾かれたように振り返るとさっき千鶴と別れたT字路に現れた1つの影が目に映る。


睨むように目を凝らせば、黒っぽいジャージに黒のパーカー。フードをすっぽり被り、両手はパーカーのポケットに突っ込んだまま、前後左右を窺いながら、歩いている。


こんな時間にランニング?
でも、普通フードまで被るかな……
しかも、周りを窺うなんて犯罪者みたいだ。


そのまま訝しげにじっと観察していると、向こうもこちらに気づいたようで、総司がいる方に向きかけていた体を方向転換させ、千鶴が向かった方向へと足早に向かっていく。


そんな明らかに挙動不審な男の態度に総司の胸を一抹の不安が過る。


何だか嫌な予感がする……
千鶴ちゃん、ここからすぐって言ってたけど、もう帰りついたかな……?
でも、あの子のことだし、本当はまだ距離があったのかもしれない……
大分醒めただろうけど、酔っ払ってたし、何かあってからじゃ手遅れだよね……
あーあ、こんなに気になるなら、無理言ってでも家まで送ればよかったな。


総司はチッと舌打ちをすると、そのまま千鶴の消えた方向へと駆け出した。






 ***







背後に聞こえる足音に千鶴はふと足を止めた。
普段の千鶴なら、別段気に留めることもないのだが、今日は散々総司にあれこれ言われたため、無意識に敏感になっているようだった。
そのまま恐る恐る振り返るが、足音はするものの、夜目が利かない千鶴には闇に紛れて姿を認めることはできなかった。
しかし、その間にも足音は千鶴の耳にだんだん大きく響いてくる。
そのことに千鶴はいい知れぬ恐怖を感じたが、一度止まってしまった足はなかなか思い通りに動き出そうとはしてくれなかった。


「……――っつ」


ようやく千鶴が相手の姿を認めたのは、男が1つ手前の外灯の下にさしかかった時だった。
千鶴がいるのもちょうど外灯の下。
2人の距離はちょうど20mくらいだった。


このまま何事もなく通り過ぎてっ――


うるさいくらいの心臓の音を聞きながら、千鶴は心の中で叫んだが、そのまま何を思ったのか、男はその場にピタリと足を止めた。


2人の間に漂うのは妙な緊張感。
本当は10秒もたっていなかったのかもしれないが、永遠にも感じられる長い時間。


千鶴はただ目を見開いて男の方を凝視していたが、暗くて何もかもがよく見えない。


不意に男がポケットの中を弄ったかと思うと1歩また1歩、だんだん駆けるように千鶴の方に向かってきた。


声を出さなきゃっ…――


咄嗟にそう思うものの、恐怖で引きつった喉からは音が紡ぎ出される気配はない。
その間にも、男と千鶴の距離は縮まっていく。


遂に男が明かりの届く範囲に入った時に初めて、千鶴の目は男の手に電灯と月の光を浴び、銀色に光るものが握られているのを捉えた。


「あっ……――」


その場に縫いとめられたように動けない千鶴に男は高く掲げられた白刃を振りかざす―――
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ