魁
□亡者は乞う
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「私、とことん男性とのご縁がないみたいです」
手の内のマグカップに視線を落としたまま、どこか諦めたようにみょうじが呟いた。
一向に中身の減らないカップは、ローテーブルの上で絶えず所在なげに揺らめいている。ふらふらと力のこもっていない桃色の爪を見つめ、俺はふうんと気のない生返事を返した。
だが俺が作った「どうでもいい」という表情に全く気付かない小娘は、なおも無情な唇を動かし続ける。
ちゃんとこちらを見ていたら気取れようものを、忌々しい。
「素敵だなって思う人は現れるんですよ。何度か話したでしょう、今いい感じの人がいるって。
でもどうしてか、そこそこ仲良くなった途端みんなよそよそしくなったり、急に引っ越したりして」
「……それは縁というより、お前が何かやらかしたんじゃないのか。
その男に色目を使った女に対して脅しをかけたとか」
「私のことをなんだと思ってるんですか。そんなストーカーみたいなことしませんよ」
「夜道で襲ったとか」
「それじゃただの通り魔じゃないですか。
……もう、真面目に聞いてくださいよ。蝙翔鬼先輩」
聞き流すのがやっとの話をどうして真面目に聞いていられようか。
拗ねたような甘ったれたような口調で俺の名を呼びながら、みょうじはテーブルにふくれた片頬をくっつけた。
押し付けられてむにっとつぶれるそこはいかにも柔らかそうだ。つい抓みあげて捻りあげて捩じ切りたくなる衝動を抑えるのも一苦労である。
「理由を聞こうとしても、別に何でもないってはぐらかされるし……。
ねえ、先輩から見て私、なにか変でしょうか」
「そもそも女の癖に男塾卒業生などという肩書きをぶらさげてる女がまともなわけがないだろう」
「そんな正論言うくらいならいっそふざけてください」
嘘でもいいからそんなことないよって、なまえはかわいいよって慰めてくださいよ、と図々しいことを言ってちらりとこちらを見上げる目はいつもより若干水分量が多い。
その潤んだ瞳には正直、何も感じないわけではないのだ。嘘でも偽りでもなく。
ただ、他の男のために流す涙だと思うと苛立ちが上回るだけで。
こういう場面で自分の感情をコントロールしてうまく甘言を吐けたなら、いずれ好機もめぐってくるかもしれない。
しかし自分は女の――それも傷心の女の慰め方などまるで知らないし、ましてやこの女の色恋沙汰なぞこれ以上聞きたくもないので、ただ自分のカップに口をつけてから、
「諦めろ」
とだけ呟いた。
すん、すん、と鼻を啜る音を聞きながら、俺はどろりとした汚泥のようなコーヒーを飲み下す。
黒々と渦を巻く苦味が舌に粘りつく。
……その不快感は、幾度か重ねた罪の夜を否応なしに記憶から呼び起こした。
――みょうじなまえに近付くな。従わぬなら命はない。
しんと静まり返る夜空の下、蠢く我が友たちを連れてそう告げてやれば、どいつもこいつも一も二もなく頷いた。
ほんの少しでも抵抗の意思を見せる男は、いなかった。
貴様に無いのは縁ではなく見る目だ、と口をついて出そうになる言葉をまた、不味いコーヒーと一緒に飲み込む。
まあ、抵抗したところで次の瞬間には干からびた骸がひとつ転がっているだけだ。結局は同じことだろう。
何せこちらは、こいつに相応しいだの相応しくないだのを見定めるというようなお節介でやっているわけではない。ただ単純に気に食わないから排除しているのだ。
鎮守直廊を守るのとはわけが違う。
(……俺に限ればさほど変わらんか)
自嘲をしてひとつ、息を吐く。
――「最近気になる人がいる」と聞かされた時にはここまでするつもりはなかった。
「あんな女を相手にする物好きを一目見てみたい」という言い訳をして、好奇心の皮を被せたもっとどす黒い感情で、一匹の蝙蝠に小型カメラを仕掛けみょうじを尾行させた程度だった。
しかし観察を続けるにつれ、みょうじの男を見つめる目にも、男がみょうじを見つめる目にも、加速度的に怒りが膨れ上がっていって。
一度行動を起こしてしまえば、元よりぐらついていたタガなどあっけなく外れた。
気が付けば奴に近しい男ができる度、期を見計らっては排除するのが日常となっていた。
まだべそべそと伏せっているみょうじを見ると、胸のどこかが鈍く痛む気配がする。だが自分自身が、その痛みに首を振る。
悪いのは俺ではなく目の前の女だと、吐き捨てるように叫ぶ。
俺などに懸想されるような振舞いを繰り返した、みょうじなまえという一人の女が何もかも悪いのだと。
そうだ、恨むのならば自分を恨め。
俺を無邪気に先輩と呼んだ自分を。
さんざんひどい扱いを受けても一向に懲りず俺に構い続けた自分を。
恐れることもなく、俺の友たちへ手を差し伸べた自分を。
病室で目を覚ました俺に、泣いて縋った自分を。
(俺のものにしようなどとは思わぬ)
(……だが、誰かのものになるのはどうしても許せない)
寂しさなら俺で紛らわせればいい。
愚痴なら聞いてやる。俺が脅して退けた男の話を、嫉妬で狂いそうになりながら聞いてやる。
お前が望むなら、そのうち、口先だけの慰めも吐けるようになってやるから。
だから早く、何もかもを諦めてはくれないか。
ふたりにはなれなくていい。
このままずっと、俺と一緒に、
――ひとりきりでいてくれないか。
了.
蝙翔鬼先輩にはとにかくどろどろしたものを抱えててほしい。