□さよならのあとの後日談
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狼たちを可愛い兄弟だと言ったその口でいくらでも代わりはいるとほざいてみたり、やっぱり可愛い兄弟たちだと言い直してみたり、フンドシを三年間もの間洗わなかったり、可愛い女の子にしか着用が許されてないような犬耳――もとい、狼耳を堂々とつけていたり。

いまいち信の置けない言動を振りまく、常にお酒と獣の匂いをぷんぷんさせている妙ちきりんなおじさんは、何だか悔しいけれどただ眺めている分には面白かった。

どんな状況だろうと好きなだけ飲み好きなだけ食べ、狼と戯れ、そして大いびきをかきながら眠る。本能のまま、欲望のままに生きているような彼を見ながら、ああこの人はどこでだってのらりくらりと生き延びることができるんだろうなと思ったものである。

例えばそれが血肉飛び交う戦場でも、豪雪に沈む極寒のシベリアでも。自分の身に降りかかる何もかもを、豪快に笑い飛ばしながら。

お世辞にも好人物とは言いかねるが、憎まれっ子世に憚るという言葉もあることだし、このまま存分に……私を巻き込まない程度に世に憚ってほしい。
彼を見ていて思うのはいつもそんなことだった。
そう――思って、いた。





「……ゴバルスキー」

血の気の失せた顔で横たわる彼は、まるで眠っているようだった。
いや、眠っているという表現は正しくないかもしれない。寝ている間でさえ嵐のようにうるさかった、それが彼という人間のはずだもの。
こんなに静かで穏やかな彼を見るのは初めてだ。そして、きっとこれが最後。

しゃがみ込んだ私の耳元でひゅうひゅうと鳴り続ける音が、風の音ではなく彼を見つめるロムルスとレムスの喉から出ているものだとやっと気付く。

胸にせりあがってくる名もない衝動のまま彼らに両手を伸ばし、主であり兄弟でもあった者の喪失を悟る二頭の喉を撫ぜた。硬い毛皮とその奥にある和毛からはゴバルスキーと同じ匂いがする。

指先から伝わる喉の震えは、彼らにとって精一杯の嗚咽なのだろうか。氷を思わせる色の瞳がとけるように涙を流せたら、声をからして彼の名を叫べたら、この子たちはもう少し楽になれるだろうか。

ひとつ、またひとつ、薄く笑みを浮かべる彼の頬に桜の花弁が落ちていく。
はかないそれは彼とは対極の場所に位置しているようで、この野性味あふれるがさつなおじさんには笑ってしまうくらい似合っていなかった。いっそ笑ってしまおうと吊り上げた唇の隙間から漏れた吐息の異様な湿っぽさに驚いて、私は咄嗟に唇をかみしめた。

ひときわ強く吹いた風に積もっていた花弁が巻き上げられ、彼の身体に音もなく、降り積もる。
それはまるで、彼の故郷に降る淡雪のようだった。










――そしてここからは、少々蛇足感のある卒業後の話。

「お前がロムルスとレムスの面倒を見てくれとったらしいのう」と我が家にずかずかと入り込んだゴバルスキーは、玄関先で固まる私そっちのけで兄弟たちと感動の再会を果たしていた。
歓喜に狂いながらじゃれつく二頭からは、なんということだ、目視できるレベルで毛が飛び散っている。あとでスーパーコロコロタイムしないと。

……しかしその前に、やっぱり、事情を聞いておくべきなのかなあ。聞かなくても大体察しはつくのだが。

「……何で生きてるの、ゴバルスキー」

「何じゃい、久々に会ったのに随分と不躾な言い草しくさって。
……だが、こいつらを可愛がってくれた恩があるしな、ちと長くなるが答えてやるか。実は王大人が」

「もういい。もうわかった」

長々と語ろうとするゴバルスキーを片手で制す。その名前だけ聞いたらもう十分だ。
というかむしろ、その名前以外に答えなどあるはずもないのだが。
こんなことなら埋葬するんじゃなかった。掘り起こす手間を増やしただけじゃないか。とんだ無駄骨だ。

落胆する私に太い眉を吊り上げながら「何だお前から聞いておいてその態度は、まったく可愛くない奴め」などと喚いていたゴバルスキーは、ふと口を閉じるとじっと私を見つめた。

……しばし発生する妙な間。一体何事かといぶかしんでいると、ゴバルスキーは私を上から下までじろじろと眺めた後、おもむろに私の肩へ手を回してきた。
おいおいなんだなんだ。

「フーム。お前、しばらく見ないうちになかなかイイ女になったのお」

「は?」

「よし、礼代わりに今夜あたりわしと一発でもどうだ?
身体はいい具合に熟れたようだが、その可愛げにかける態度からしてどうせ男なんぞおらなんだろ? ん?
まあ男がいたってわしゃあ一向にかまわんがのう!」

「………………」





――――えも言われぬ不快感とともに、ほんのちょっぴりだけ安堵を覚えた自分が気に食わない。

「……今夜と言わず今からでもいいよ」

間髪を入れず、伸びきっている鼻面に固めた拳を『一発』お見舞いした。
ぐえ、という酒臭い呻きとともに力の抜けた腕から脱出する。
いつぞや彼と一戦交えたボクサーには到底及ばないだろうが、不意の一撃はなんとか不愉快な呪縛を解くだけの力はあったらしい。
ざまあみろ。こちらの痛いところを付いた仕返しだ。



「な、何をしやがるこのじゃじゃ馬が……!」

「満たしてくれるなら性欲よりも食欲がいい。驚いたり怒ったりしたらおなかすいた。
そうだ、本場のボルシチ作ってよ、ゴバルスキー」

「……なんじゃお前、成長したのは身体だけか。色気より食い気なところ、変わっとらんのう……」







――たまには、ほんっとうにたまには、このどうしようもなく憎みきれないおじさんに巻き込まれてみるのも面白いかもしれない。
そんなことを思いながら私は、食べ慣れない異国の味をひとくち飲み込んだ。



了.





ゴバルスキーが好きです。
ロムルスとレムスはもっと好きです。

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