□残されたもの
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「そうか。……あいつら、死んだのか」

しんと静まり返る病室に、響いて消える呟きの穏やかさが哀しかった。
寝台に巨体を横たえた独眼鉄の、遠くを見つめる片方の瞳が緩慢な瞬きを繰り返す。その後、まるで息絶える間際のような重い息を吐いた。
胸にずんとのしかかる痛みは、未だ癒えぬ傷口のせいばかりではない。

「……嫌な報告させたな」

「いいえ」

枕元に立つ彼女の様子をちらりと伺ってから、独眼鉄は備え付けの戸棚に向かって親指を差した。そこのタオルでも使え、というジェスチャーだ。
――涙と鼻水と乱れた化粧で薄汚くなった顔面を力なく振って、なまえが拒否を示す。手にしている布はすでにぐっしょりと水分を吸って変色していた。

「遠慮してんじゃねえよ馬鹿」と棚へ手を伸ばし、洗い立てのタオルを彼女の頭めがけて放り投げる。
うつむいたままのなまえはタオルが被さってもしばらく動かなかったが、やがて観念したのかそれで荒々しく顔を拭くと、ついでに置いてあったティッシュで盛大に鼻をかんだ。



「……ディーノ先輩が」

ずびび、と鼻を啜る音に混じって、タオル越しのくぐもった声が独眼鉄の耳に届く。

「男塾を、裏切った事情は、理解しました……でも……」

「でも?」

「……一番近しい存在だったはずの先輩方を、率先して巻き込んだのはどうしてなんでしょう」

音のない病室に再び、鼻を啜る音。

「わざわざ蝙蝠を目くらましに使ったりして……それが誰を連想させるか、ディーノ先輩がわからないはずがないのに」

もう一度鼻をかんで、なまえは少し落ち着いたのか顔を上げた。
真っ赤に充血した痛々しい目。明日になればさらにとんでもない腫れ方をしているだろう。その痛ましさに目を逸らしかけたが、何となく自分が受け止めてやらなければいけないような気がして、独眼鉄はほんの少し目を伏せるだけにとどまった。

「それにあの時、私も塾長の警護に参加してました。自分で言うのもなんですが、与し易さなら私の方が上だったはずです」

「そりゃあ……わざと急所を外したって、体力の低いお前なら万が一のことが有り得るだろ。無駄にええ恰好しいだから、後輩の女の身に傷を残すのも嫌がるだろうしよ。
その点俺は身体だけは頑丈だし、今更傷が一つ二つ増えたところでどうってこともねえ。
……あとは……多分」

言いかけて、独眼鉄は黙った。それを表現する言葉を探すのはなかなか難しかった。
――ひとつだけ無理に言葉にするとしたらそれは、甘え、だったのかもしれないと思う。



自分たちは死天王や三面拳のように互いを認め合い、強固な絆で結ばれた関係ではない。
偏屈で気難しい蝙翔鬼。面倒ごとを嫌う享楽主義のディーノ。そんな二人に言わせれば、自分は暑苦しく兄貴風を吹かせてくる鬱陶しい存在らしい。
三者三様の相性の悪さは最後まで解消されることはなく、時にいがみ合い時にぶつかり合い、命がけの喧嘩をしたことだって数知れない。

それでも全員が邪鬼様に心酔し、鎮守直廊の番人という大役も任され、何だかんだと文句を言いながら結局ここまでつるんできてしまった。
太くねじれた腐れ縁。断ち切ろうにも断ち切れない、忌々しくも憎み切れない、よすが。

奴はそこに甘えたのではないだろうか。
他の塾生にはかけられない迷惑を、自分たちにならばかけられたのではないだろうか。



「……なんにせよ、邪鬼様のためだと言われちまったら何も言えねえよ。俺も、きっと蝙翔鬼も」

穏やかに呟いた独眼鉄に、なまえが黙り込む。自分には理解しえない、入り込めない何かがあることを察したような、複雑な苦みを帯びた表情だった。



胸を貫かれて振り向いたあの時のことを、独眼鉄は思い出す。
珍しく涙を流していた彼の姿はまだ片方の網膜にひりひりと焼き付いていた。

江田島平八と大豪院邪鬼との間で板挟みになった奴の心境など想像もしたくない。一体どれほどの孤独と苦悩を抱えたのか、考えるだけで怖気が走る。
いつか自分が向こうへ行っても責めるまい――いや、一発くらいはぶん殴ってもいいか。

その時が来るまで、先に行った蝙翔鬼にネチネチと嫌味を言われていればいい。



「……取り残されちまったなあ」

「……先輩」

なまえの腫れた目から、新たに雫が零れて落ちる。奴らのために泣いている、そのことにかすかな感謝を覚える自分が不思議だった。

「……まあ、でも、向こうに行くのはできるだけ先延ばしにするか。
そこまで顔合わせたい奴らでもねえしな」

「…………。さみしいくせに」

「うるせえよ泣き虫」



やっと不器用に笑ったなまえに拳骨を食らわせる。
その柔らかくあたたかな彼女の感触が自分の生を改めて感じさせるようで、ふと熱いものが瞼にこみ上げた。

たった一ミリ急所を外れた傷。
痛みと空虚と感傷が刻まれたその場所に、独眼鉄はそっと手を当てる。

貫かれたのも事実なら、まだ拍動しているのも事実であると――確かめるように。




了.



わざわざ蝙蝠使って蝙翔鬼をスケープゴートにしたのは何でだろう、と考えていたらこうなりました。捏造しかない。
鎮守の先輩方はお互いに「結局この中で一番強いのは自分」「こいつらとは仲良くできない」とか心から思いつつも何だかんだつるんでてほしい。
三人で屋台のおでんとかつついててほしい。

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