□耽溺の眸
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くちづけをするときに目を閉じるのは常識だと思っていた。
だって恋愛ドラマでも少女漫画でも、恋人たちはそっと目を閉じてから優しく唇を触れさせていたじゃないか。
くちづけとはそういうものだと幼い頃から刷り込まれていた私は、その作法を守らない人間がいるなんて疑いもしなかった。

しかし現実は、砂糖菓子で塗り固められたフィクションの虚飾など容易く溶かしてしまう。そして内側に隠されていたどろどろの生々しい何かと混ざり合って、こちらを飲み込もうとしてくるのだ。



「……ん、むぐっ」

手加減なんてしてくれない、呼吸ができなくなるほどの深いくちづけ。押し当てて噛みついてくる荒々しいそれはいつものこととしても、今日のそれはいつもよりも長く、そして、熱かった。
後頭部の手も『添えられている』というよりは『押さえつけている』という方が正しいだろう。
流石に耐えきれず、酸素を求めて口を開けるとすかさずぬるりと舌が入ってきた。苦しさと驚きで私は思わず目を開けた。

――そして、目が合った。

「んっ!?んぅっ、……んんっ!」

「…………」

「まっ……、まって、せんぱ……ぅぐっ」

「…………?」



私の必死な様子にやっと気付いたのか、先輩はとても不愉快そうに眉を顰めつつも唇を離してくれた。

「何だ」

「けほっ、けほっ……だっ……て、先輩、目……」

「目?」

「目、開けっぱなし、で……」

言いながら思い返してしまい、私の顔に血が集まる。
わずかに伏せられた厚ぼったいまぶたの下のぎらぎらした眼光。獲物に喰らいつく獣のような、鋭く熱を帯びた瞳。

「ふ、ふつう、ああいう時って目を閉じるものなんじゃないですか?」

「閉じたら見えんだろうが」

「何が?」

「苦しさにもがくお前の顔が」

「!?」

その加虐的な台詞よりも、何を戸惑っているのかわからない、という顔をしている彼に愕然とする。
……もしかして今までのもすべて、あんなふうにじっとり見つめていたのだろうか。回数を数えようとして、私は色々な意味で羞恥に耐えかね断念せざるを得なかった。

「みっ……見ないでくださいよそんなの!
それがマナーじゃないんですか!?エチケットってもんじゃないんですかっ」

「……あー。わかった」

「それは見ないという了解ですか?それとも私の意見は理解したってだけですか?それともめんどくさいから適当に流そうとしてるんですか?」

「…………」

どうやら答えは三番目らしい。
わかったと言っているだろう、とうるさそうに吐き捨てて先輩は再び私の酸素を奪いに来る。
抵抗したところで叶うわけがなく、私は力ずくで押し付けられ舌をねじ込まれてしまう。

「や、だっ……」

「……いいから大人しく目を閉じろ」

「やだ、だって先輩こっち見てるでしょっ」

「お前が閉じたら閉じてやるから」

「絶対嘘!うそつき!……むぐっ」

「――――お前が、妙にそそる顔をするのが悪い」



なんてひどい言いがかりだ。こっちは自分がどんな表情をしているのか考える余裕もないのに。
あなたの方が余程いやらしい顔をしていると主張したくても、我が物顔で口内を這いずる舌のせいでできないのに。

やがて瞼までとろとろにとろかされ、重力に従い視界をふさぐ。
こんな私を、あの人は今も見ているのだろうか。
欲にまみれた雄の目で。


「……なまえ」

「……っ、へんしょうき、せんぱ……」

「そうだ……それでいい」



何も気にすることはない。俺だけを受け入れろ。

注ぎ込まれる掠れた身勝手さすら、心地よく感じてしまったらもうおしまいだ。仕方のない人だとうそぶきながら許してしまうしかない。

――そうして私は、瞼越しの昏い熱視線にただただ身を焦がされる。





了.






どうも蝙翔鬼先輩には無言でじっとりねっとり見つめてくるイメージがある。

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