魁
□はい、あーん。
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蛇はそこまで嫌いではない。
ひやりとしたうろこの感触も、きらめくつぶらな瞳も、ちろちろ動く赤い舌も、愛好者にはたまらないのだろうと理解はできる。
すべての動物の中で一番好きかと言われたら頷くことは難しいが、例えば道端で出くわしたとしても少々びくつく程度であり、毒持ちでないとわかればそう気にならない。そんなレベルだ。
――そう、毒持ちでなければ。
「…………巨象をもひと咬み、だっけ?」
調理台の上でとぐろを巻く、いかにも毒々しい色合いをした蛇と見つめ合いながら、なまえは口から飛び出しそうになった心臓をなんとか飲み込んだ。
頭に浮かぶのは、最近転入してきた塾生のひとりにして年若い暗殺結社の主頭。猛毒を持つ蛇を手懐け使役する高難度の拳法を会得している、というのは雷電の弁だ。
この蛇は十中八九彼の蛇だろう。だってレッドスネークカモンの時に見たのと同じだし。
(この蛇、何ていう種類だっけ)
獰猛蛇?暴行蛇?ううむ、あながち間違っていると言えなくもないような気がする。
目を反らしたら飛びかかってきそうなので、とりあえず目は反らさないままがっくがく震えている足で一歩後ずさってみた。
すかさずにょろりと二歩分程度近付かれた。
(あ、終わった)
これから私は哀れな巨象と同じ運命を辿るのだな、となまえは一瞬で諦めの境地に達していた。
それにしても、何故みんな巨象で毒の強さを試すのだろう?猛毒アピールをする際には高確率で巨象が出てくるじゃないか。ちょっと身体が大きいからってなんたる仕打ちだ。もうやめてあげてよ。かわいそうだよ。かわいそうな象だよ――――
「…………ん?」
現実逃避がてら巨象に思いを馳せているなまえを意にも介さず、蛇は透明なプラスチックパックにくるりと巻き付いた。中身は八宝菜用に購入したうずらの卵である。
有毒の牙が甘噛みする度に、形を崩すパックがパリパリと音を立てる。
「……もしかして、それが食べたいの?」
なまえの言葉を理解したのかはわからないが、蛇はひょいとこちらに顔を向けると二股の舌を幾度か出し入れした。
その目に敵意はない。という、希望的観測。
「あの……ちょっと待ってて」
恐る恐る近づいたなまえは、蛇の噛み跡を避けてパックを開けた。まだら模様の卵をひとつ、箸で摘まんで差し出してみる。蛇はゆるゆると頭をもたげ、口を大きく拡げたかと思うと卵ひとつを丸呑みにした。
「おいしい?」
殻ごと丸呑みにしておいて味もなにも無いだろうが、蛇はそれでも満足そうにぺろりと舌なめずりをして身体を横たえた。
あ、ちょっと可愛いかもしれない。
そっと一歩近付いてみる。蛇は少しこちらを眺めた後、特に気にもしない様子でもう一度ぺろりと舌を出した。
* * * * *
(くそっ、どこへ行った……!?)
辺りにくまなく目を向けながら、
はその額からたらりと汗を流した。
うっかりしていた。電話で黒蓮珠の部下たちと仕事の打ち合わせをしている最中、気が付けばいつも首に巻いている愛蛇はいなくなっていた。
指示がない限り攻撃を加えないよう躾けてはいるが、向こうから危害を加えられたらその限りではない。血の気が引くのを感じながらとりあえず手近な調理室へ向かった。
「――すまん、蛇を見なかったか!?……あ」
「あ、
。お迎えご苦労様」
そこには、中華鍋をゆるやかにかき混ぜているみょうじがいた。その頭部に我が物顔で鎮座する一匹の蛇を見つけて、
は安堵と困惑が綯い交ぜになったような非常に複雑な表情を浮かべた。
「ごめんね、うずらの卵一個食べさせちゃったんだけど、大丈夫かな?」
「え……あ、ああ、まあそのくらいなら……いやそこじゃあない!
怪我は無いのか、みょうじ!?」
「大丈夫。かすり傷ひとつないよ。さっきまでショック死寸前の心理状態だったけど」
人とは慣れるものだからね、と遠い目をする彼女に近付き手を伸ばす。するすると素直に腕を這う蛇を確保して、ようやく
は息をついた。
「おお頭が軽い」
「……すまなかった、みょうじ。今後はこのようなことは無いよう気を付ける」
「わりといい子にしてたけどね」
「危害を加えられない限りはな」
「応戦してたらまずかったのか……よかった身体すくんでて」
ふー、と気の抜けた顔で笑うみょうじを見ていると、先程まで痛いほど感じていた緊張が解れてこちらまで脱力してしまいそうになる。ついこぼれた苦笑いを噛み殺して、すまない、と再び口にした。
ふるふると首を振りながら、みょうじは孚傑へ朗らかに笑いかけた。
「ねえ、
も食べる?たまご」
「え……あ、その、流石に殻ごとは……。
たまに目が蛇に似ているとは言われるが、俺は一応人間であるからして」
「さすがにそんな意地悪しないよ……。
生卵じゃなくてこっち」
彼女は鍋の中の卵をひょいと箸で持ち上げて、二、三度息を吹き掛けると
に差し出した。
「ついでに味見してってよ」
「いや、俺は、」
「はい」
唖然とした
の口に問答無用で放り込まれたゆで卵は驚きと共にぷちっと噛み砕かれ、ろくに噛めないまま喉を通っていく。
「おいしい?」
「……あ、ああ、」
慌てていて味などわからなかった、と言おうものなら確実に追撃が来る。
は慌てて、こちらを覗き込むつぶらな瞳に向かい頷いた。
「よかった。
――
、この子、何蛇っていうんだっけ。頑張ってるんだけどさっきから全然思い出せないんだよね。猛攻?攣鵠?」
「…………こうもうへび、だ」
「あー、それだ。ちょっと惜しかった。
こーちゃんね」
(こーちゃん?)
「こーちゃん、今度は御主人に許可もらってからおいで」
また夕飯にね、と一人と一匹に手を振る彼女に軽く応えて背を向ける。
何となく浮き足だったような落ち着かない気分のまま、
はその場を後にした。
「……お前のせいで俺まで餌付けされたじゃないか」
恨みがましい主人の言葉に、勝手に命名されてしまったことも知らない蛇がきょとんと首をかしげる。
しかしすぐに興味をなくしたのか、彼はいつもより体温の高いその首元へ心地良さげに絡み付いたのだった。
了.
蛇はよく逃げる、という先入観が私に植え付けられたのは某忍者の卵アニメのせいだと思います。
実際よく逃げるらしいですけど。
フウ傑はすごく好きなんですが、漢字表示できないのがどうにもネックですね……。