□幽愁が連れ去る
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草木も眠りについたような静謐の夜。
煌々と照らされたからっぽの部屋で唐突に鳴り出した無機質なビープ音は、疲労に溶けかけた私の意識を良くも悪くも覚醒させた。

ふっ、と目を開けると、すっかりぼやけた視界。
何とかしようと目元を擦れば、すでに赤く腫れていた薄い皮膚がひりひりと痛んだ。

「………………」

抱えていた無線機の通話ボタンを押し「こちら男塾、どうぞ」と声を吹き込む。受け手に回るため耳に無線機を押し当てながら、ひどい声だな、とどこか他人事のように思った。



――天挑五輪大武會、予選三回戦目。
塾長はいま戦士十六人と生死を共にするため抛託生房に籠り、塾長の身を案じた教官達も扉の外で付き添っている。
私はひとり、連絡係として残されていた。

本音を言えば嫌だった。
入ってくるのは良い報せばかりではないと理解していたつもりでも、もう嫌な報せは聞きたくないとその場を放棄してしまいたくなる。

命懸けの闘いに身を投じ、仲間の傷を、死を目の前で見届けなければならない彼らの方が何倍も心を痛めているとわかっているのに。情けない自分にも、嫌になる。



「……あの?もしもし、こちら男塾です、聞こえてますか?どうぞ」

待てど暮らせど相手の返事がないことをいぶかしみながら、私はもう一度ボタンを押し話しかける。先程よりはだいぶマシな発声だった。

『――……みょうじ、か?』

「は、はい。みょうじです。どうぞ」

『みょうじ……そうか、お前、か……』

きぃん、と耳鳴りがした。
ひどいノイズ混じりの、低く掠れた陰鬱な声。痛いくらいにが耳を苛むその声。
それは、確かに聞き覚えのあるものだった。

……でも、そんなこと有り得ないのだ。
それでも私は、信じられない気持ちで、彼の名前を呼んだ。可笑しくなるくらいに震えた声だった。



「……蝙翔鬼先輩?」

『ああ、……俺、だ』

「……え、そんな、……さっき……え?」

『………………』

困惑する私に、無線機の向こうの彼は何も言わない。かすかな息遣いと、耳障りなノイズだけが鼓膜を震わせる。
いつの間にかからからに乾いていた喉に、粘っこい唾液が落ちる。

「……本当に、蝙翔鬼先輩、なの?」



《みょうじ、落ち着いて聞け。蝙翔鬼先輩が――》

《……淤凜葡繻十六闘神、副将の搴兜稜萃との交戦ののち――討死された》



――男塾三号生、鎮守直廊三人衆のひとり、蝙翔鬼。
彼の訃報が飛び込んできたのは、ほんの一時間程前だった。



立派な最期だった、と付け加えられたその言葉を踏みにじりたくてたまらない自分があまりにも矮小で吐き気がした。

惨めでも無様でもいい、生きて帰って欲しかった。そんな胸の内は一生閉じ込めたままでいようと思いながら涙を流して、疲れ果てて――そして今に至るのに。

どうして私は、今、彼と話をしているのだろう。



「せ……先輩、どうして……。どうした、の……?」

『いない、んだ』

昏い声。寒々しい響き。元々華やかではない彼の声だが、これは違う。根本から異なっている。
……ひととは、ちがうものだ。
そう感じた瞬間、粟立った肌にぶわりと冷たい汗が吹き出した。

『いない……俺の、蝙蝠達が……どこにも、いない』

「あ……お、落ち着いて、蝙翔鬼先輩……」

『おれが、ふがいない……から、あいつらは、おれを、おいて』

「そんなわけない……!」

迷子の子供のような、頼りなく心細いその声に首を振る。けれど彼には届かない。

『さみしい、さみしい、お前たち、どこへ』

「先輩っ……!」

その時、バチンッと音を立てて照明が落ちた。悲鳴を上げる間もなく無線機が沈黙し、一切の反応を示さなくなる。

「先輩?…………先輩!?」

絶たれた繋がり。遮断された世界。
別離。永別。そんな言葉がぶわりと脳裏に浮かんで、頭が真っ白になる。
わけがわからないまま、私は狂ったように何度も声を枯らして叫んだ。

「先輩……先輩!蝙翔鬼先輩、聞こえますか!?返事してください、先輩、せんぱい……っ!
い、行かないで、っ、先輩っ、私っ……!」







「――――みょうじ」







ノイズが消えた。
ごぼり、ごぼり、重い液体を吐き出すような音がする。
無線機からじゃない。後ろから聞こえる。耳元で、聞こえる。



「お前は、一緒に、来てくれるか?」



満月の光だけが照らす部屋。
血の通わない左腕と、とめどなく血を溢れさせる右腕が、私の首にそっとかかった。






了.




多分この後夢オチになりますすみません。
途中から無線が電話みたいになってるのもすみません。

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