□四海同胞主義
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「……あれ?」

病室の扉を開けたまま、なまえは人の気配のないからっぽの室内をぽかんと見つめていた。

とりあえず入口横に明記されている名前を確認すれば、確かに独眼鉄と筆書きで書かれている。そんな通り名の人物は男塾にたった一人だ。全国探しても一人かもしれないが。

寝台に立て掛けられているばかでかいヨーヨーの化け物みたいな武器で更に確信を得たなまえは、そろそろと室内に足を踏み入れた。

「……せんぱーい?いないんですか?」

触れてみたぐしゃぐしゃの寝台は冷たい。どうやら部屋の主はしばらく帰ってきていないらしいぞ、となまえは腕を組んだ。

「どこふらふらほっつき歩いてるんだろう。まだ完治してないはずなのに……」

「ほっつき歩いてるたぁご挨拶だな」

「!?」

頭上高くの背後から響いた重低音に、振り向いた頭ががしりとわし掴まれた。

大きな手を視線で辿り、頭二つほど高い場所に鎮座する仁王像のようないかめしい顔を見つけて、なまえはぱあっと顔を輝かせた。

「独眼鉄先輩!どこ行ってたんですか、心配したんですよ!あと痛いです!」

「おう、ちっと見舞いだ」

「ディーノ先輩と蝙翔鬼先輩ですか?あいたたたた痛いですってば!」

「死天王はまだ集中治療室だからな……経過は順調らしいがよ」

独眼鉄はなまえの頭からひょいと手を離すと、拳を握ったり開いたりを幾度か繰り返した。

「うし。握力も大分戻ってきたな」

「人の頭で握力試さないでくださいよ。スイカ割りのスイカみたいになっちゃうところだったじゃないですか」

早くベッドに戻ってください、と背中を押す。おいおい背中はまずいだろ、とか何とか喚きつつも独眼鉄はさほど痛そうな素振りは見せなかった。

そう言えば右目もすっかり元通りだし、つくづく王大人と中国四千年の医術はすごいと感服するしかない。

「寝てるだけっつうのはどうにも性に合わねえんだよ。あいつらも心配だしよ……」

「独眼鉄先輩がそういう人なのは知ってますけど、先輩だってまだ本調子じゃないんですから。まずご自分の身体を大事にしてくださいよ」

しぶしぶ横たわった巨体にシーツをかけながら、なまえは宥めるようにぽんぽんと腹部で手を弾ませた。

「おふたりはどんな様子でした?」

「まあいつも通りだ、多少やつれちゃいたがな。
ディーノはやたら自慢気にマジック披露してきたし、蝙翔鬼はあの時月が出なかったらとか訳わからん事をグチグチ愚痴っとった」

それに付き合う独眼鉄も一緒に想像すると妙に微笑ましい光景だ。
ついくすくすと笑い声を上げれば、何が楽しいのかと言うように独眼鉄が首を傾げた。

「そういや蝙翔鬼に『お前の蝙蝠達もここで治療受けてんだな』っつったらえらい驚いてたぞ。場所教えてやったらすっ飛んで行きやがった」

「ああ……何とか生き延びてくれた子も、半数くらいはいましたからね。
……蝙翔鬼先輩のお気持ちがほんの少しでも癒えてくれたらいいんですけど」

「……大変だったんだな、お前らも」

うつむく独眼鉄の片目が、つらそうに細められる。
その深く思い悩むような表情があまりにも悲痛で、なまえの胸までもぎりっと痛んだ。



――序盤に退場してしまった負い目や仲間の戦いを見届けられなかった無念さを、以前彼がほんのり匂わせたのを覚えている。
それに加えて、邪鬼という存在の喪失が心に大きな穴となって残り続けているのだろうか。

ぐ、と一度強く瞳を閉じてから、独眼鉄はゆるゆると瞼を開けた。恐らく情けない顔をしているこちらを見やると、困ったように眉を寄せて笑った。

「……お前、どうせこの後にあいつらの所へ行くんだろ。
二人とも暇してんだ、付き合ってやってくれや」

「は……はい。もちろん」

朗らかな独眼鉄の言葉に、なまえは慌てながら二つ返事で了承した。

相変わらず面倒見のいい人だと思う。不器用で無愛想でぶっきらぼうだけど、この人の芯はやはり優しいのだ。
だからこそ余計に傷つきやすいのかもしれないけれど。

「――あ、あとついでに、それ渡しといてくれねえか。落としもんだ」

「それ?」

太い親指でくいっと示された備え付けの戸棚の上、組紐のようなものを見つけてなまえはそれをつまみ上げた。

黒一色の糸で編まれた平たい紐は、シンプルではあるが中々細やかな作りをしていた。
誰の所持品なのか判断がつかない代物をつまんだまま疑問を投げ掛ける。

「誰の落としものですか?きれいですね」

「嶺厳だ。多分髪結んでた紐じゃあねえかと思うんだが」

「ああ、嶺厳ですか…………嶺厳…………れ、い、げん?」

当たり前に紡がれた名前に、なまえがぴたりと動きを止めた。
嶺厳?今、彼は嶺厳と言ったか?

「ま、まさかとは思いますけど……宗嶺厳ですか?狼髏館館主の?」

「おう。お前の来る少し前に見舞いに来てな」

「な、な、なんで?」

「俺も驚いたがよ、何でも男塾に入塾するらしいぞ。今は王大人の所にいるんだと」

「………………」

驚きのあまり開いた口が塞がらないなまえに気づかないまま、独眼鉄はさらに続ける。

「男塾を馬鹿にして悪かったってよ。やたらしょげかえってやがるもんだから、かえって気の毒になっちまった」

「は、はあ……」

「俺もガキだと侮って悪かった、つったら妙な顔してたな。
俺ぁなんか頓珍漢な事言っちまったか」

「…………。
桃の言ったとおりだな、って思ったんじゃないですか」

「ああん?桃の奴何か言ったのか?」

「ふふ」

――殺しても喜ばないどころか、張本人さえ拍子抜けするほどあっけなく和解しているとは。
この人らしいというか、なんというか。

きゅんと鳴る心のままに、なまえは独眼鉄の厚い胸板に抱きついた。
なんだなんだと焦る独眼鉄に構わず、両腕に力を込める。

「な、何をしやがる、みょうじ!離れろ!」

「先輩の懐は、見た目通り大きくてとっても深いんですよねえ」

「なにわけのわからねえ事言ってやがんだ!嫁入り前の娘が男に抱きつくんじゃねえ、ばかやろう!」

「あぁ、もう、そういうところも好き。独眼鉄先輩すき。だいすき」

「…………あ、ああ!?」

言葉で諌めながらも、非力ななまえを気遣ってか全力で引き剥がそうとはしない彼にさらに思いが募る。
すりすりと、甘えるような仕草でなまえは独眼鉄の胸に頭を擦り付けた。



硬くて傷だらけだけど、溺れるほどにあたたかい――その場所に。









「………………入れん」

独眼鉄の病室の前。
ほどけた髪を手持ち無沙汰に引っ張りながら、薄赤く頬を染めた嶺厳は、室内で繰り広げられている乳繰りあいの終焉をひたすら待ち続けていたのだった。



了.



編入組はどのタイミングで王大人に呼ばれたのでしょうか。塾長が拐われてからじゃどう考えても間に合わないだろうしな。

あと乳繰り合いといってもいちゃいちゃベタベタしてるだけです。
しかも一方的に。

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