魁
□目覚めの朝に雨が降る
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苛烈を極めた天挑五輪大武會は、帝王の死という大きすぎる犠牲を払いながらも男塾側の勝利に終わった。
全身で凶弾を受け切った死天王、戦いの中で斃れた鎮守直廊三人衆は、王大人と配下の医療スタッフの元へ運ばれ辛くも一命を取り止めていた。
集中的な治療を受け経過すること一月。
一号生が男塾へ復帰する頃には彼らも意識を取り戻し、順調な回復を見せていた。
――ただ一人を除いて。
「……おはようございます、影慶先輩。今日もいいお天気ですよ」
窓に広がる青空を背に、なまえは努めて明るく笑った。
「こんな晴れの日に寝てるなんて、不健康ですよ?」
「………………」
話しかける声に返事はない。
寝台に横たわったままの影慶を映すなまえの瞳が、ゆらりと寂しく揺れた。
……ため息が聞きたいな。
ふと、なまえはそう思った。
自分の他愛ない話に至極適当な相槌を打ち、頬杖をつく彼が恋しい。
ずっと見つめるなら、生気の無い寝顔なんかより――あの呆れたような、困ったような顔で笑う彼がいいのに。
『――肉体はもとより、精神的なショックがかなり大きいのだろう』
数日前、王大人はそう言った。
原因なんて簡単に想像がついた。
なまえすら、まだ癒えない傷をじくじくと抱えたままなのだ。
長年生死を共にし、苦楽を分かちあった三号生や死天王の心労は到底計り知れないものがあったのではないだろうか。
銃弾の嵐なんて比ではないくらいに――――大豪院邪鬼の、死は。
「影慶先輩は、きっと特に……」
固く閉じられたまま影の落ちる瞼に触れる。汗をかいた肌は少しべたついていた。
無理もない。
傷が痛むのか、それとも悪い夢を見ているのかは知りようもないけれど、彼は時々ひどくうなされているようだった。
今この時も、寄せた眉間の上の額には冷たい汗が浮かんでいる。
お拭きしますね、と断ってから、なまえは常備してあるタオルで吹き出す汗をそっと拭った。
彼の瞼はぴくりとも動かない。
以前よりさらにやつれた彼の相貌は、その心身の憔悴を示しているようだった。
「……戻ってきて……影慶先輩」
汗ではない雫が、痩せた頬にぽたりと落ちた。
* * * * *
霧が立ち込める荒野に、影慶はひとり立っていた。
まとわりつくような生ぬるい風が身体を撫でるのが気持ち悪い。
重たい首をぐるりと回して、影慶は彩度の失せた景色を見渡した。
ここは何処なのだろう。
自分は何故、こんな場所にいるのだろう。
頭の中にも霧がかかったようにぼんやりぼやけて、何も考える必要などないのだとばかりに動きを鈍らせていく。
乳白色に塗り替えられる脳内に抗うこともできず、影慶は遂にその場へ膝をついて、眠るように目を閉じた。
――――ぽつ。
「…………?」
頬に、雨のような雫が当たった。
柔らかくあたたかなその水は肌から沁みて、空虚な胸の内に波紋をつくる。脳内を支配しかけた白をかすかに滲ませる。
そしてきしみながら動いた思考回路に従って、影慶は俯いた顔を上げた。
――その時、不意に視界に飛び込んだ雄々しい背が、影慶の頭の霧を一気に吹き飛ばした。
「……邪鬼、様?」
「――――――」
「邪鬼様!」
気付いたら、がむしゃらに荒れた地面を蹴っていた。
遠く、偉大なる主君の背に叫ぶ。
「邪鬼様、どちらへ……!」
「………………」
声が届いたのだろうか。男の力強い歩みが、止まった。
彼の心をそのまま象ったような巨大な体躯が、重々しく振り返る。
向けられた強く深い色の双眼。
一度は止まりかけた心の臓が大きく跳ねた気がして、影慶は思わず自分の胸を押さえくずおれた。
「――独りで往く。供は要らぬ」
貴様はまだ来るな、影慶。
それだけ告げて、彼の迷いなどひと欠片もない足音が、遠ざかる。
ずっと追っていたかった背が、霞がかって消えていく。
――威厳に満ちた重厚な声音は、泣きたくなるほどにあたたかかった。
「…………」
みっともなく頬を伝うものを拭く気にもなれないまま、影慶は緩慢に瞼を開いた。
窓から差す光が眩しい。逃れるために半身を起こせば、信じられないというように間抜け面で立ちすくむ小娘と目が合った。
「せ……ん、ぱい」
「……みょうじ……か」
「っ、わ、王大人を……!すぐ、呼んできますからっ!」
「待て」
身を翻そうとするなまえの腕を掴む。瞬間鋭い痛みが走った。
呻いて身体を折る影慶を、なまえは小さく悲鳴を上げながら支えた。
「動かしたらだめです、まだ傷が完全にはふさがってないんですよ!安静に――」
「みょうじ」
ひ、と息を飲み込む音が耳元で聞こえた。
屈み込んだなまえの肩を包み込むように腕を回し、大怪我を負っている身体を寄せた。
力など一切込もってはいないが、というか込められないのだが、なまえにとってはいま何よりも拘束力を持つことを影慶は知っていた。
そのまま、柔らかな胸へ顔を埋める。
「せ、先輩……?」
「……邪鬼様が」
「え……」
「邪鬼様が、供は要らぬと」
びくっ、となまえの身体が小さく震えた。
「……影慶先輩」
「何も言うな」
充分に動ける身体であったら、身も蓋もなくすがりついていたかもしれない。
そう出来なくてもどかしいのか、却って良かったのか、影慶自身にももうわからなかった。
ただ甘く香る優しい胸は、一度ほどけてしまった涙腺を余計にとろかしていくばかりだ。
「……このままで、いてくれ」
何かを隠すように擦り付けた頭を、悔しいほどにものわかりのいい女の細腕が静かに覆う。
やがて、自分のものではないひとしずくが頬に落ちた。
あの雨に、よく似ていた。
了.
男塾の方々は亡くなっても続編で平然と生きてたりするから生きてたことにしてしまうんですが、邪鬼先輩は死亡設定が受け継がれてたりして迷います。
基本的に当サイトではみんな元気に生きてる感じでいこうと思います。
邪鬼先輩もこのあと閻魔ぶっ倒してお戻りになられると思います。ええ。