魁
□筆に出でにけり
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【本日六時、校舎裏で待つ】
「……………………」
机の中にねじ込まれていた三つ折りの手紙には、たったそれだけが荒々しい筆書きの字で記されていた。
いや、いっそ本当にそれだけならば人違いだと見て見ない振りをすることも出来ただろう。けれど律儀にもと言うべきか、余計なことをと言うべきか、手紙にはしっかり二人分の名が明記されていた。
宛名には【みょうじなまえ殿】と。
そして差出人は――――
「…………東郷総司」
一学年下の血気盛んなバイク野郎を脳裏に思い描き、なまえは一体全体どうしたことかと頭を抱えた。
正直、彼にこんな手紙を突きつけられる覚えなどさらさらない。
自分で言うのも何だがこれまでの人生、なるべく人との軋轢を生まないよう言動には気を付けてきたし、男塾に来てからは尚更目立たないようひっそり過ごしてきた。
それなのにこんな……果たし状のようなものを受け取ってしまうなんて。
しかもあの東郷総司から。
「……少しは仲良くなれてると思ってたんだけどなあ」
そう、彼との仲が悪いものだとは、少なくともなまえは感じていなかった。
廊下をすれ違えば普通に挨拶を交わしたし、どこでやんちゃしてきているのかたまに傷を作ってくる彼の手当ても幾度かした。
弁当のおかずをお裾分けした時は、素っ気ないながらもうまいと言ってくれたのに。
(あの時、嬉しかったのにな)
ぎゅ、と胸に手紙を抱き、なまえは時計を確認する。
うだうだ考え込んでいる内に六時を少々回ってしまっていた。なまえは慌てて通学鞄をひっ掴むと、二号生の教室を飛び出した。
* * *
もしかしたら遅刻に怒って帰ってしまったかもしれない。
そんな恐怖と期待に震える心臓は、校舎を背にして立つ彼を見つけた途端ひときわ激しく跳ねた。
「…………来てくれたのか」
東郷はいつもどおり、男塾の制服とは異なるバンカラ姿でそこにいた。
深く被った学帽が顔に陰をつくり、その表情を窺い知ることはできない。
「急に呼び出して悪かったな。……用事、無かったか」
「あ、は、はい」
どちらが後輩だかわからないやり取りを交わしながら、なまえはやはり自分に宛てられた手紙であることを再認識した。
「東郷君、あの、ごめんなさい」
「っ」
「私、これを貰った理由がわからなくて。
東郷君の気を悪くするようなことをしたならちゃんと謝るから、申し訳ないけど教えてほしい」
「…………あ、ああ……そういう意味かよ」
心臓に悪いぜ、そう息と共に吐き出して東郷はがしがしと頭を掻いた。
「あんた、何か勘違いしてるだろ」
「勘違い?」
「果たし状か何かだと思ってねえか、それ」
「……違うの?」
「違う。俺がどうして女に、それもあんたに果たし状なんぞ送るんだよ。総代ならまだしも」
「じゃあどうして呼び出したりなんか……。あ、打倒桃のアドバイスなら無理だよ、わからな」
「先輩」
手紙を握ったままの手首を掴まれた。顔は半分近く見えないはずなのに、先ほどより機嫌が悪くなったのははっきり察知できた。
「今そいつの名前は聞きたかねえな」
「っ、え、ごめん……?」
「わかってねえなら謝らなくていい」
ぐ、と引き寄せられてつんのめる。ぎりぎりで彼の身体にぶつかるのは留まったけれど、距離はもう拳一つ分もないほどに迫っていた。
「みょうじ先輩」
「は、はい」
「総代の座を奪うまで言わないつもりでいた。俺なりのけじめとしてな。
……だが端から見ていて、どうにもあんたは危なっかしくてたまらねえ」
東郷君に言われたくない、と瞬時になまえは思ったがどうもそれが言える空気ではない。
じゃあどんな空気なのかと問われれば何とも説明に困る。
ただ、先程からうるさいくらいに鳴っているこの動悸は場に張り詰めた緊張感のせいだけではないと。
そう感じ取るのが精一杯で。
「いつ、誰にさらわれちまっても不思議じゃあない。学年が違う俺は尚更分が悪いだろう。
……だから、先手くらいは打たせてもらおうとあんたを呼び出した」
近い距離とそれに伴う赤面発汗を解消しようとなまえは後ずさる――が、逆効果だった。
手首が悲鳴をあげるほどの力で引かれ、とうとうほんの少しの隙間すら無くなってしまう。
「あ……っ」
「逃げるなよ」
顔を至近距離で覗き込まれる形になって、やっとはっきり彼の表情が見えた。
夜闇を切り裂いて貫く暁光のような、力強い、まっすぐな瞳が。
「――あんたが好きだ」
知らず知らず握り締めていた手紙が、はらりと地面に落ちた。
……予想していなかった、と言えば嘘になるのだろう。
ここ数分の彼の言動から匂わされるものが何なのか、鈍いと言われる自分でも少しずつ少しずつわからされてしまっていた。
けれど、それでも、面と向かってぶつけられた愛の言葉は信じられない衝撃で胸を叩く。
到底受け止めきれないスピードで。
なまえは薄く開いた口から何か言葉を吐き出さなければと必死に頭を巡らせたが、結局は呼気がかすかに鳴っただけだった。
「今は答えなくていい。俺を、あんたに惚れている男だと意識してくれればそれで」
「…………東郷く、」
「だがいつか、あんたを惚れさせてみせる」
覚悟しておいてくれ、そう言い切った彼が手首を自由にする。
こちらを見ることもなく立ち去るその背は泰然としていて、一切の惑いも揺らぎも感じられない。
(……東郷君が、私を)
熱に支配された頭で、なまえはふらふらと皺の寄った手紙を拾い上げる。
荒々しく書きなぐられた文字列。
……それでもみょうじなまえという自分の名だけは、上手いとは言えないまでも丁寧な書体で書かれていることに今更気付く。
きゅうっと締め付けられる胸に、思わず手紙を押し当てた。
まるで、その心に直接写し取ろうとするかのように。
「……私は……」
遠ざかる彼の背にもう一度目を向ける。
さっきまで鼓動すら聞き取れる距離にいた彼は、もう声が届かないほどの遠くにいる。
真っ赤に染まってその場にうずくまるなまえは知るよしもなかった。
なまえの視界から消えた場所で、彼もまた同じ状態であったことを。
了.
男塾はみんな基本的に男前でかっこいいと思うんですが、東郷君だけは何故だかかわいいが先に立つ。