□愛しい旋律
1ページ/1ページ

月の光に煌めく切っ先が、彼の胸を深く深く貫いた。
飛び散る鮮やかな赤。彼の名を叫ぶ悲痛な声。

煤けた黒に伸ばす彼の手も、赤く染まる彼に伸ばす私の手も届くことはない。
届かない。
届かない。

この手の届く場所に、彼はもう、いない。





「…………っ!!」

跳ね起きた反動にベッドのスプリングが鈍く軋んだ。
暗い静寂に包まれた部屋で、荒々しい呼吸音が響いては消える。
得体の知れない焦燥感に早まる鼓動。幾度か瞬きをしたら、冷えきった頬に水が伝うのを感じた。

「……せん、ぱい」

ひりつく喉から漏れる耳障りな掠れ声。
動きの鈍い首をぎしぎしと捻って、隣に眠る彼に視線を向けた。
彼の顔色は白く、長い睫毛はぴくりとも動かない。

「蝙翔鬼先輩……」

めくれたシーツから覗く裸の胸に、未だ残る痛々しい傷跡に、なまえは震えながらそっと耳を近付けた。

――仄温かい熱と共に伝わる、どくん、どくん、という落ち着いた律動。
そのリズムに呼応するように、なまえの冷えた身体にもじわじわと血が戻ってくる。

ああ、生きてる。
深い息を吐きながら、なまえは彼の肌にひたと身を寄せた。



「――…………どうした?」

「あ……」

なまえの度重なる身じろぎによって意識が覚醒してしまったらしい。
少々不愉快さを滲ませた舌足らずな声が聞こえたかと思うと、蝙翔鬼の腕がなまえの身体を緩く拘束していた。

肌とは少し違うざらついた感触が、耳から頬にかけて押し付けられる。

「眠れんのか?」

「……ちょっと嫌な夢を見て……目が覚めてしまって」

「怯えるのは勝手だが、俺を巻き込むなよ」

……元はといえばあなたのせいでもあるんですよ、と言おうとして、なまえは口をつぐんだ。

代わりに全力を込めて抱きつく。
うぐ、と苦しそうな声が聞こえるのも無視して、彼の背で指を組んだ。

「……なまえ……あのな……」

「怖かったんですよ」

「……ほう、そりゃ可哀想にな。俺も含めて」

「今日だけ、こうして眠っちゃだめですか?」

「…………。何を甘えてるんだ、ガキじゃあるまいに」

「蝙翔鬼先輩」



――どこにも行かないで。

ぽつりと胸に囁いた言葉が届いたのかはわからない。

ただ、一瞬固まった蝙翔鬼は、冷たい舌打ちとは裏腹の優しい手のひらでなまえの背を撫でた。

「こうしていてやる、おとなしく寝ろ。
……もう、妙な夢なんぞ見るなよ」

「……うん……」



どこにも行かないで。
どうか、この短い腕の届く場所にいて。

彼の奏でる鼓動とあたたかな手のひらを確かに感じながら、なまえは祈るような思いで目を閉じた。





「――へんしょーきせんぱい、やだぁ……こうもりはこうもりでも、それは傘ですよぉ……うふふ」

「……何の夢を見てやがるんだこいつ」



了.


たぶん蝙蝠傘で飛ぼうとしてる夢じゃないですかね。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ