□寂寥を飲み干す
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「たまには一緒に飲まねえか」

互いの仕事終わりに、そう誘ってくれたのは伊達だった。
彼が伊達組の組長――いわゆる極道者になってからは初めてのことではないだろうか。

諜報活動を生業とする家柄の私と、敵の増えた伊達との間では卒業後も関わりが絶えることはなかった。
だが久しぶりに『依頼主と請負人』ではなく『ただの同級生』に戻れるかと思うと嬉しくて、私は一も二もなく頷いた。

伊達が所有する広い屋敷の離れ。
簡単な乾き物と学友たちの近況報告や男塾での思い出話を肴に、ふたりで杯を酌み交わす。

「桃、今ハーバード大学にいるんだって」

「男塾から東大に行ったかと思えば今度はハーバードかよ。どんな経歴を辿ってやがるんだ、あの男は」

「男塾に来るまでも謎だよね。世界で三人しか会得してない拳法使いこなしたりするし」

「その内、平然としたツラでこの国も手中に収めるんじゃねえか」

「まさか……いや……有り得る」

顔を合わせて笑いあう。
少しばかりひからびていた心が、甘露を含んでみずみずしく弾んでいるのを感じる。

……友と語らいながら飲むのは本当に久しぶりだった。
あの狂った愛しい学舎を巣立ってから、自分含め皆が忙しい日々を過ごしている。連絡は取り合っているものの、会えることは滅多になかった。

「はい……どうぞ」

「ああ」

注いだお酒を一息で呷る伊達。注ぎ返してくれる手を止めようかどうしようか迷った末、私は素直に受け入れることにした。

彼と同じように喉へ流し込む。冷たい熱さを感じながら、こくり、と飲み込んだ。

「ふー……」

「なんだ、もう音を上げるのか?」

「う……まだ、飲める……」

とはいったものの、アルコールにはさほど強くない。くらくらしてくる頭を頬杖で支える。
正直限界は近かったけれど、お開きにしてしまうのはどうにも惜しかった。

くつくつと笑う伊達の声が近付いてきたかと思うと、横で衣擦れの音がした。どうやら隣に腰を下ろしたらしい。

「そう来なくちゃな」

楽しげに細めた目の縁が赤く染まっている。この人も酔っているのかな、とぼんやり思った。

注がれた酒を考えなしに口へ運ぶ。は、と吐き出す呼気が熱い。
ついにふらりと力が抜けた身体を、隣の伊達が受け止めてくれた。

「……大丈夫か?」

「ん、ありがとう……」

ゆるく乱れた着物の襟から、ほんのり朱の差した素肌が見える。
今も日々鍛えているのだろう、固く盛り上がる胸板は塾生時代と何ら変わらない逞しさだ。
……ふと、自分はどうだろうと考えてしまった。

(……お肉、増えたかも)

伊達に悟られれば盛大にからかわれるに決まっている。想像しただけで恥ずかしくて、お酒のせいではない熱が顔に集まった。
悟られる前にそっと身を離――そうとした、のだが。

「伊達? あの、もう、大丈夫だから」

「…………」

「……伊達?」

肩を抱いたままの伊達は、身動きもしなければ喋ってもくれない。
不思議に思って頭をあげると、肩を掴んでいた手が後頭部に移動して再び胸板に押し付けられた。

「っ、伊達? どうかした……?」

鼓膜に直接響く鼓動が早い。しっとりと熱い肌は吸い付くようだった。
訳もわからず、ぞく、と背筋を何かが駆け上がるのを感じた。

「……みょうじ」


ようやく口を開いた伊達が私を呼ぶ。
それは、塾生時代によく聞いた声音ではなかった。
からかう時の剽軽さも、叱る時の厳しさも、呆れた時の脱力感もない。

それはまるで――甘く、誘うような。

「みょうじ……」

「……伊達、酔ってるの?」

「そう見えるのか?」

「う……ん」

筋張った手が頬をすべり、顎を掴む。
視線がかち合う。とろりと艶めく瞳が、私を捕らえた。

「……、っ」

「嫌なら逃げりゃいい。てめえの十八番だろう」

――身体の拘束は、さほど強くない。
振りほどいて逃げようと思えばおそらく可能だ。酒が回っているとはいえ、伊達が力ずくで来ない以上は如何様にもなる。

かすかな音と共に、背中が畳に触れた。久々に嗅ぐいぐさの匂いに、こんな時だというのにどこか郷愁を誘われた。
のしかかる重みと熱が酔った身体には苦しくて、私は浅い呼吸を繰り返す。

(……どうしよう)

このまま受け入れてしまおうか、と意外なほど冷静に考えた自分に驚いた。単に酔いが回っているだけなのかもしれないけれど。

だって、まだ帰りたくない。誰かと一緒にいたい。
それが伊達なら、構わない。きっと。
いいよ、の意思表示として、私はそっと目を閉じた。

……けれど、伊達は私を見下ろす体勢のまま動こうとしなかった。

「伊達……?」

「……嫌か」

「え?」

「俺に抱かれるのが、泣くほど嫌か」

え、ともう一度発してから、のろのろと腕を目元まで持ち上げた。
なまぬるい水の感触に息を飲む。

私、泣いている。
そう意識した途端、堰を切ったようにぼたぼたと伝う涙に、ひどく納得した。

――ああ、そうか。
私は、ほんの少しも冷静じゃなかったんだ、と。

「……違うの」

「何がだ」

目の前の伊達は険しい顔をしていたけれど、怒っているようには見えなかった。
そのせいだろうか。胸を詰まらせた気持ちが言葉となって喉を通りはじめるのに、それほど時間はかからなかった。

「……このまま伊達とそういうことになったら、もう伊達のことを友達とは思えなくなるんだろうなって思ったら」

酒混じりで交わす、たった一夜のつながりなんかで、関係が変わってしまうのかと思ったら。

「……それは、少し残念だなって……寂しくなったの」

「…………ちっ。何だよ、そりゃ」

「私も何を言ってるのか、よくわからない……」

あはは、と泣きながら笑ったら、盛大な溜め息をつきながら伊達が上から退いた。
かたわらの卓袱台に戻ると、瓶からコップに移すこともせず直接口をつけ、自棄っぽく飲み干す。

「泣く女襲うほどがっついちゃいねえや」

「酔わせて襲うのはセーフなの」

「……ハナっから、そうしようと思って誘ったわけじゃねえよ」

苦虫を噛み潰したような伊達の顔が珍しくて、何だか無性におかしくなる。

「伊達はフェミニストだもんね」

「てめえを女だと思ったことなんざ数えるほどしかねえがな」

「さっきは色っぽく見えちゃったの?」

「……調子に乗るなよ、てめえなんざ酒でも入らなきゃ抱けねえよ。
あと太ったろ」

「う……言わないでよ」

ふらつく身体を起こす。我ながらお手本のような千鳥足で襖に近付くと、勢いよく開けた。
するすると火照った肌を撫でる微風が心地いい。

部屋に重たく籠った妖しい空気も外気に薄れて揺れて、溶けていく気がした。

「……伊達、私、帰るよ」

「ああ」

「今度はみんなで集まれるといいね」

「ああ」

「……伊達」



本当はお酒の勢いでも何でもなくて、寂しがってる私を慰めようとしてくれたんじゃないの。
ありがとう。心配かけてごめんね。

そう言おうと吸った空気を、吐き出すことはできなかった。

不意に口の中へ、ひとかけのチョコが飛び込んできた。
おつまみの中に混じっていたものだ。
溶ける甘味と苦味に目を白黒させている私を見て、伊達が愉快そうに笑った。

「てめえにゃまだそれがお似合いだ」

「むぐぐ」

送ってやろうか。
そう告げる伊達に向かって、私は首を横に振った。

「大丈夫。私も一応、裏稼業の人間だよ」

「ふん。言うじゃねえか」

「今日はありがとう。……また」



くるり、伊達に背を向けて部屋を出た。
途中で振り返りそうになって、こらえる。

もしまだこちらを見送ってくれていたら、今度こそその胸に甘えてしまいそうだった。





「――明日も、がんばらないと。」

いつか来る友たちとの再会の時には、ちゃんと胸を張れる自分であれるように。

いまだ覚束ない足取りのまま。
それでも私は、月明かりの照らす夜道を、ひとりで歩いていった。



了.


どうやら甘ったれで弱っちいヒロインしか書けないようだ。




 

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