□うつしよのアアル
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「なまえ、なまえー」

ベッドに座るなまえの揃えた膝枕に頭を乗せ、ファラオはすりすりと頬を擦り付ける。
自らのこめかみに手を添えながら、幼少期よりこの王に仕えるなまえは困ったように息を吐いた。

「ファラオ……このようなお姿、誰かに見られでもしたら……」

「ふん、俺の自室に許可なく入る人間などいるかよ。それはお前もよく知っているだろう」

余はファラオ・スフィンクス正統継承者であるぞ。
緩んだ顔を引き締め、多少芝居がかった口調で、ファラオは高らかに言い放つ。

……が、すぐにきりっとした相貌を崩すとなまえの腹に顔を埋めた。

「疲れた」

「……ファラオ」

ごとん。ごとん。
重々しい音を立てながら、ファラオは身に付けていた豪奢な装飾品を床に落としていく。
金が、宝石が、星のように散らばる。

額に輝くツタンカーメンの涙以外をすべて外し終えたファラオは、膝の上でごろりと寝返りを打った。
深い色の瞳がなまえを真っ直ぐに見つめる。
普段の威厳ある輝きはそこになく、薄く水の膜を隔てた穏やかな光だけが揺らめいていた。

緩慢なしぐさで持ち上がる飾り気のない腕、その指先がなまえの髪に触れる。
くるくると弄ぶファラオの唇に、ふと悪戯っぽい笑みが刻まれた。

「なまえが口付けでもしてくれたら、活力も湧いてくるんだがなあ?」

「わ、私たち、そんな関係ではございませんでしょう」

「なにっ。この俺の命令でもきけんのか」

「命令で交わした、く、口付けで、満足されるのですか?」

「……くく、必死になって。相変わらず初だな、なまえ」

拒まれたわりに機嫌を良くしたらしいファラオは身を起こすと、今度はなまえの胸に頭を預ける。

「じゃあ抱き締めてくれ。いつものように」

「………………」

「そうしたら、また頑張れる……」

独り言のように呟く声はか細い。
おずおずと、なまえはファラオの頭を抱く。何度繰り返しても慣れない行為だった。
そのくせ不快ではないのだから、まったく意味がわからない。

腰に手を回されていささか強く抱き寄せられれば、びくりとなまえの体が跳ねた。

「……偉大なるファラオがこんなに甘えん坊だなんて、他の皆様が知ったらどう思われるでしょう」

「ふたりの時くらいは許せよ、俺とお前の仲だろ。
……すぐに戻るさ。"ファラオ"にな」

ほんの一瞬、ファラオの表情に滲む翳りをなまえは見た。
細い針で貫かれたようなツキンとした痛みが胸に走る。

――偉大なるファラオ。我等の絶対の王。
この人はその称号に相応しいお方だ。皆の期待も、重圧も、その逞しい双肩で背負ってしまう方。
……皆のために、頑張れてしまう人。

「……ファラオ」

「ん?」

「私は……ファラオを心から崇敬しております。
一生をかけてお仕えできること、心から感謝いたします」

「…………」

ファラオは何か言いたげに少し身じろぎをしたが、結局黙ったままなまえの胸に沈む。
なまえはそんなファラオの頭を、母が子にするような慈しみを込めて、そうっと撫でた。

「……でも……でもここにいる、快活でひょうきんで、時折甘えてくるあなたが」

こんなことを言っていいのだろうか。じわじわと去来する躊躇いに、なまえはつい口をつぐみ押し黙ってしまう。

すると、背中に軽い衝撃を受けた。
どうやらファラオの指先が、服を引いて先を急かしているようだった。
それに後押しされるように、なまえはゆっくりと言葉を繋ぐ。

「……ファラオスフィンクスの正統継承者としてではない、そのままの……。
たったひとりのあなたが、私は、す、好きです」

「…………なまえ、それは」

胸に頭が埋もれるままにしていたファラオが、ひょい、と顔をあげた。

「俺に惚れているという意味か」

「えっ!? ……そ、れはその……私にもわかりかねるのですが、でも」

「ふむ、まあいい。どうやら脈はあると見た」

何を仰っているのですか、と否定しかけた口は中途半端に開いたまま動きを止めた。

何が起きたのだろうか。
先程までとは正反対に、なまえはファラオの腕の中へすっぽり閉じ込められていた。

こつん、額が触れる。至宝が当たって痛い、などと言う余裕は今のなまえにはありはしなかった。

「なまえ……俺のハトホル。
その慈愛で俺を癒してくれる女神」

「ファ、ラオ」

「まだ唇には触れられないと言うのなら、せめてこの頬にその愛を捧げてはくれないか」

切なく笑うその表情に、細めた瞳の奥で揺れる期待に、なまえの胸がたまらなく掻き乱される。

――震える長い睫毛を下ろして、目と鼻の距離で待つファラオの頬に、なまえは近付いていく。

そして、なまえの唇に――頬というにはいささか柔らかすぎる温もりが、ちゅっ、と触れた。



「………………え」

「ひっかかったな」

いつの間にか正面を向いているファラオが、おどけた顔で舌を出す。
そのまま、自分の唇に添ってぺろりと舐めあげた。

「確かに受け取ったぞ、お前の愛。この唇でな」

「……ファ、ファラオ……! あなたという人はっ!」

「おっといかん! 休憩は終わりだ。こうしてはいられん」

床に散らばる装飾品をさっと浚うと、ファラオはひらひら手を振りながら部屋を出た。
その背に放った枕は見事閉じた扉に命中し、空しく落下する。

遠ざかる、愉快げな笑い声。

「神よ、私を騙したあの男に天罰をお与えくださいっ!」



――できれば軽めのものを、と心の中だけで付け足して。
なまえはまだ温もりの残るベッドに、真っ赤な顔で突っ伏した。



了.


仲間の前では真面目にやってたけど実はひょうきん者、なら男塾での変貌ぶりも……わかる……ようなわからないような。
もしかしたら男塾に来たのは双子の兄弟なのかもしれない。それも性格の明るい。



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