□咬合
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鋭い牙が剥き出しの首筋に触れて、息が詰まった。

薄い皮膚を突き破って侵入する痛みをどうすることもできない。
恐怖と痛みに震える身体を、抱き合う形で拘束する酷い両腕の持ち主に嫌でも縋るしかないのが悔しかった。

傷口から溢れる生温かい血液が、たどたどしい動きで啜られていく。
耳元で陰気な笑いが耳朶をくすぐった。

「……どうだ。美味いか」

キィッ、と耳障りな甲高い音がなまえのすぐそばで聞こえる。
ちらりと目の端に映る黒い羽。獣のにおい。
生き血を糧とする、不気味な彼の友が発する歓喜の声だった。

「貴重な若い女の血だ。よく味わうといい」

「……ぅ、あ……」

「動くな」

肌に食い込む腕が力を増す。

「暴れるなよ。大事な血管に傷がついても知らんぞ」

じっとしていろ、と低く囁かれる。
蝙翔鬼は片手をゆっくりと外して、愛おしそうに蝙蝠を撫でた。

「こいつは生まれたばかりでな。まだ自力では獲物が取れんのだ。
だが、そろそろ血の吸い方も教えてやらねばならん」

熱いような冷たいような感覚。
じっとりと嫌な汗が、全身から噴き出して気持ちが悪い。
彼にしがみつく手は、かたかたと震えていた。

「そう怯えるなよ。お前が言ったんだろう?
『何か手伝えることはないか』と」

こんなことなら引き受けなかった、と言う気力もなまえには残されていない。

ただじっとしていればいい、なんて言いながら抱き寄せられた時の高鳴りがあまりに惨めで、なまえの瞳にうっすらと涙の膜が張った。

「……しかし、傍目から見ているといじらしいな。
母親の乳房に必死で縋りつく赤子のようだ」

母親?冗談じゃない。
こんなのはただの獲物じゃないか。

手足が冷たい。血液が奪われていく。じわりじわりと、でも、確実に自分の血液が小さな獣の血肉になっていく。
自分の物でなくなっていく。血も、身体も。

蝙蝠の――蝙翔鬼の眷属のものに、変じていく。

激痛はやがて疼痛になり、頭は霞がかかったように、ぼんやりと白く濁ってくる。
寒い。寒い。暗い。――怖い。

そして訪れる、緩やかなブラックアウト。
強張っていた四肢から力が抜けて、なまえは否応なしに蝙翔鬼へともたれかかった。

「……もう終いだ」

もっととねだるように、名残惜しげな声が上げる。
だが、主人が手を差し伸べるとその幼い蝙蝠はさも嬉しそうに飛び立ち力の抜けた獲物から離れた。

「まだ足りぬというなら、いつものように俺の血をくれてやる」

なまえのふたつの傷口からは、まだ赤い鮮血がたらたらと溢れている。
しばしその色に見惚れた蝙翔鬼は、吸い寄せられるように薄い唇を首筋へ触れさせた。

青白い膚に、蝙翔鬼の舌がぬるりと這う。

「……すべて食らいつくしてしまうのは、まだ勿体無い」

ほら、返してやるよ。
赤に染まった舌を彼女の唇に捩じ込んで、互いの唾液と絡ませる。

やがて苦しげに上下に動いた白い喉を確認して、蝙翔鬼は血まみれの唇を愉悦の形に歪ませ、笑った。





了.


チスイコウモリは食いっぱぐれた仲間に口移しで血液を与えるそうですね。
素晴らしい習性だと思います。
攣鵠蝙蝠もそうだといいな。


 

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