魁
□日常
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「あ、先輩。そこ座ってもいいですか」
「ん?おお」
かちゃかちゃと皿を洗う音が止む、午前8時。薄いカーテンが室内に淡い光を放ち、床に付けっぱなしのテレビからは始終緩い雰囲気が垂れ流されている。
そんな、のんびりとした休日の朝。
ソファにどっかり腰を下ろして朝刊を広げる、独眼鉄の腿の間になまえは平然と滑り込んだ。
しかし独眼鉄も心得たもので、彼女に視線を移すこともなく、新聞を手元にひょいと引いてやった。
「おっと番組始まってる。セーフセーフ」
「んなくっつくと汗臭いぞ。
さっきひとっ走りしてきたからな」
「ふふ、大丈夫。妙齢の男性の匂いは嫌いじゃないんです」
なまえは独眼鉄のぶ厚い胸板に寄り掛かると、同じく屈強に鍛え上げられた片腕へさりげなくまとわりついてみる。途端、独眼鉄のもう一方の手にごつっと小突かれた。
「新聞読めねえだろうが」
「ぐ。ごめんなさい」
なまえは至って素直に謝罪を口にして、困ったように笑った。
──しかし独眼鉄は、それでも彼女が自分の腕を、決して離そうとしないことを知っている。
そしてなまえもまた、彼が無理矢理その腕を引き剥がそうとしないことを、知っている。
「……お前はあれだな。卵焼き」
「はい?」
「そんな匂い」
ああ、となまえは合点がいったように頷いた。
「朝ごはんに作りましたからね。お味はどうでした?」
「いつもと変わらなかったぞ」
「先輩の褒め言葉は、とってもわかりにくいですね」
「お前がわかりゃいいんだよ。
どうせお前にしか言わねえんだから」
「……なかなかおっしゃるようになったじゃないですか」
「はあ?何がだ?」
「いーえ、何でもないです」
うふふ、と笑うなまえに首を傾げながら、独眼鉄はまた新聞へと意識を移した。
一時間も経てば聞いてくる昼飯のリクエストを、今日は考えておいてやろうかなどと珍しいことをぼんやり思いながら。
「……ねぇ、先輩。お昼ご飯──」
「……まだ早えよ」
了.
独眼鉄先輩は尋常じゃない包容力の持ち主だと信じてやまない。