□閨房にて
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「──もう何年前になるのか。
よく覚えていないが……とりあえず、俺が一号の時の話だ」



閨房にて




──部屋を退室しようとした時に、それを制する腕が伸ばされたのは初めてのことだった。
加えて、彼が自分について語るのも。

唐突に始まった昔話に少しばかり戸惑いながらも、私は隣にある彼の横顔に向けておずおず頷いた。

「は、はい」

「お前等もわかるだろうが、下級生にとったら、上級連中は煩わしい存在だろう?
俺たちにとってもそうだった。

まさに奴隷の一号、そう呼ばれるに相応しい生活だっただろうな」

「…………」

二号生との御対面式、魍魎サバイバル、赤石先輩の復学、三号生との邂逅。
それぞれの場面を思い返して、私はこっそり納得した。

今ならば上級生方の人柄も知っているし、それなりの交流も経ている。だが、あの頃は確かにそんな感情もあったかもしれない。

……今の三号生があんな扱いを受けている様は、いまいち想像できなかったけれど。

「特にその当時、俺にはいけ好かん二号がいてな。
何かと俺を目の敵にしては、やれ目つきが悪いだの陰気だのと文句を付けていびり続けてきていた」

「理不尽な話ですね」

まあ二号生といえば、抑圧され見下されて過ごしてきた一号時代からようやっと逃れられた時期だ。
やっと出来た後輩に対し、それはそれは下卑た楽しみでいっぱいな者もいただろう。わからんではない。

「……先輩にも、そんな頃があったんですねえ」

「別に欲しくもなかったがな。
……だが一年経ったら、立場が変わった」

「?
先輩が二号生になっても、相手は三号生でしょう?」

ふん、と蝙翔鬼先輩は目を伏せて笑った。
たっぷりと邪気を孕む、嬉しそうな笑みだった。

「進級出来なかったんだよ、そいつはな。
腕っ節も気も弱い、立場を利用しなければ後輩いびりも出来ないような奴だった。
幹部連中からの評判が悪かったのも手伝って、三号に上がるには不適格だと言われたらしい」

なるほど、と私は手を打った。
通常の進級制度とは明らかに異なる男塾だ、あまりに目に付けばそういうこともあるのだろう。

「いじめてたはずの後輩と同学年か。衝撃だったでしょうね。

……で、どうしたんですか? その人は」

蝙翔鬼先輩は、何か考えるように視線を上向けた。

それから、ぼそりと呟く。

「……病院送りにしてからは知らん」

「……きっちりお礼参りはなさったんですね」

たとえ謝られても、爽やかに水に流すタイプではないだろうしな、この人は。
相手に同情しないわけではなかったが、自業自得と言えばそれまでのことだ。

「俺も若かったな、自分が三号になるまで待てば良かった。そうしたらもう少し楽しみようはあっただろうに。

──泣き喚いて命乞いしていた姿は傑作だったが」

くく、とのどの奥で濁った愉悦の声がした。



……途端、私は何だか嫌な感じがした。
先輩の態度が気に食わない、なんてことではない。

引っかかった小骨のような、ちくちくと落ち着かない不快感がゆっくりと胸に滲んでくるのを感じる。

得体の知れない不安に急かされて、私はそっと口を開いた。



「──ねえ、先輩?

……どうして急に、そんな話を?」

「わからないか?」



──……長らく動きを止めていた掌が、ずるりと着直した衣服に潜り込む。

そのまま、熱の引いた素肌を妖しい手つきで撫ぜはじめた。

はっ、とした時にはもう遅い。

気付けば先刻前と同じように、私は乱れたシーツに四肢を縫い止められていた。

「せ……先輩、あの、今日はもう……っん」

「まだだ」

に、と薄闇の中で唇が歪む。
ぞわぞわと虫のように這いずる掌が、すっかり乾いた内股に忍び込んだ。

熱のこもった吐息が首元をくすぐり、強く吸われたその箇所がちくりと痛んだ。
どうやら明日は、きっちり襟元を締めていないといけないようだ。

「──三号になったら、お前も復讐してやればいいと言っているんだ」

「…………は、ぁ?」

「上級生であることを利用して、後輩を無理やりいたぶるような奴にな」

一瞬だけ、先輩が唇を噛んだように見えた。



──それはいったい誰のことですか。
そう尋ねたらきっと、馬鹿にしたように鼻で笑うのだろう。

お前の目の前にいるじゃないかと、私を、自分を、嘲りながら。

「……私が三号になる、頃なんてっ……先輩いらっしゃらないで、しょう……?」

「それはわからんぞ。俺が卒業しそこねたって別段不思議ではないだろう。
……後はお前の運次第だ」

幸運なのは、あなたが居る方か。
それとも、居ない方か。
自分ではよくわからない。

ぼんやりと白く霞み始めた脳内に、先輩のかすれた声が響いた。

「惨めなくらいに情けなく、命乞いしてやるよ」



なんと返したらいいのかわからなくて、私はただ息を詰めた。

胸の奥でいくつもの単語が浮かび、文章にならないまま消えていく。

蝙翔鬼先輩は返事を期待するわけでもないようで、事務的に行為を進めていく。
結局私は、沈黙という手段を取るしかなかった。それでいいのだろうと、思った。



──ただ、彼の背に必死で回した自分の両腕を、何故だか少しだけ哀れだとも思った。



了.





蝙翔鬼は先輩から疎まれるタイプか、うまく立ち回ってご機嫌取るタイプかどっちかで悩む。
個人的には「あいつ気味悪いな」ってこっそり怖がられててほしい気がします。

にしても蝙翔鬼を書くと、どうにも薄暗い話になる傾向が強いですね。砂吐くぐらい甘い話を書きたい……。



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