□桜の花舞う頃
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筆頭殿、と呼ばれて振り返った瞬間のあの人の表情を、一生忘れないと思う。



桜の花舞う頃




ここに入塾して、あまり時の経っていない自分でさえ違和感でいっぱいなのだから、彼をよく知る人物が見たらきっともっと面食らうに違いない。

常に平静を崩さない澄まし顔は、いったいどこへ消えたのだろう。
涼しい瞳は大きく見開かれ、微笑を湛えていた唇からは、ぽかんと力が抜けている。

驚きと戸惑い、それらが絶妙に合わさったような、何とも言い難い微妙な表情。

彼は私をしばし見つめてから、重たげに口を開いた。



「……もしかして、これからずっとそう呼ぶつもりか?」

「え、あ、何か気に障りましたか」

「そうじゃないが……弱ったな」

できれば桃と呼んでくれないか、そう言われて今度は私が戸惑う番だった。

筆頭とは、すなわち偉い人のことだと先程教えられていた。
つまり彼は、一号生の中で一番偉い人なのだろう。

そうなると編入したての私は、一番下っ端の存在ということにならないだろうか。

桃、なんて気安い呼び名で、彼を呼んでも良いのだろうか?

私の困惑している様を感じ取ったのだろう、彼はふっと苦笑してから再び口を開いた。

「……別に強制する訳じゃないさ。
でも、これだけは覚えていてくれないか」

「……?」

「俺たちの間に、上下なんて無いんだぜ」

いつの間にか元の調子を取り戻した筆頭殿は、とんっ、と人差し指で私の額を小突いた。

呆然とする私を置いて、彼はそのまま塾の案内に戻ってしまう。
私ははっとすると、短い足を慌てて駆使して駆け寄った。



「──あ、あの!」

「ん?」

「……つ……

……剣くん、から始めてもいいでしょうか!」



「…………お好きにどうぞ」



私はそれから三週間で敬語を止めることに成功し、二ヶ月かけて『桃』と呼べるようになったのだけれど。
それはまた、別のお話。



了.





入塾したてのお話。
一号生の上下無く仲良しな感じ、好きです。

 

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