□触れる
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「……何を、している」

「あ、も、申し訳ありません。あの、つい」

「つい、でお前は己の命をぞんざいに扱うのか」

影慶の眼光が鋭くなまえを見据える。それにたじろぎつつも、なまえはその手を放そうとはしなかった。
包帯の巻かれていないその右手を包む、両の素手を。




触れる




──発端は恐らく、自室といえど珍しく無防備に眠っていた影慶にあると思うのだ。
頼まれていた書類を届けるためとはいえ、ノックしただけでろくに返事も聞かずに入った自分が悪かったとは思うが。

重々しい扉を開けた先、机に突っ伏してその双眼を閉じている影慶がいた。

このところ仕事も立て込んでいたようだし、死天王の将としての気苦労もあるのだろう。などと書類を抱えたまま勝手に納得していたら、不意に投げ出されていた手に目が行った。

幾重にも包帯で巻かれ、外気から隔絶されている、毒で満ちたその手のひらに。

まるで、何かに魅入られたようだった。
起こさないように細心の注意を払って包帯を緩める。現れたのは当然、暗く変色した腕。
かすり傷だけで命を奪える毒の壺。
人の身体とは一線を隔した、恐ろしく異質な『武器』。

伸ばした手が震える。そっと皮膚に触れ、ざらりとした思いがけない質感に驚いてすぐ離した。もう一度、今度は覚悟を決めて、手のひらを包んだ。



──そこで目が覚めた影慶に叱咤され、今に至るのだが。

「……あの、別に自殺願望などではなく」

「当たり前だ。……離せ」

「好奇心でもなくて、あの、何と言ったらよいものか……」

「用がないのなら帰れ」

容赦の無い冷え切った言葉に、なまえは思わず身を強張らせた。
同時に、相手が三号生で男塾死天王の将でもあることを思い出す。

そうだ。本来ならば、自分のような平の一号が気安く接することのできる相手でも、ましてや歯向かっていい相手でも無い。

自分はいったいなんてことをしているのだろう。ざっ、と血の気が引く音がした。

とりあえず、まずは影慶の言う通りにしなければ。
なまえはゆっくり、小さな両手を影慶の毒手から離した。
そして、懐にしまってあった書類をおずおずと提出する。

「先日の、報告書です。……お願いします」

「…………」

影慶はそれを無言で受け取ると、顎を扉に向かってくいと動かした。退出しろ、というジェスチャーだろう。

普段ならばねぎらいの言葉の一つくらいかけてくれるのだが、どうやらすっかり気分を失してしまったらしい。なまえはもう一度、申し訳ありませんでした、と頭を下げた。

これ以上粗相をする前に、命令通り退出しよう。これ以上気分を害したら何らかの処分を喰らってしまうかもしれない。

そう思って踵を返したなまえの背に、ふと躊躇いがちな声が聞こえた。

「……待て、みょうじ」




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