□月下の契
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乗り越えられると思っていた。

あの人の死も彼の所業も、すべて飲み下せるつもりでいた。

──その意志が打ち砕かれたのはきっと、あまりにも早すぎたから。
再び彼とまみえるその時が。

私の目の前に現れた彼は、いつかこの学び舎を貶したことなど忘れてしまいそうな清廉さで男塾の校庭に立っていた。

狼髏館館主としてではなく、男塾の塾生として。

彼は凛と、そこに立っていた。





月下の契






煌々と月の照らす夜、男塾の校庭は酒の臭気と蛮声渦巻く狂乱の宴と化していた。

空の一升瓶やら脱ぎ散らかされた衣服が暗い足元に散らばっていて、うっかり転びそうになる。

素面ならば二目と見られないだろうその惨状に、素面の私はやはり引いていた。

なんというか、せめて最低限の衣服は身に着けて欲しい。アルコールが入ると服を脱ぎたくなるのが人体のメカニズムなのだろうか。実に不可解だ。



──『闇の牙』に塾長が囚われるという男塾の危機に、集まってくれたかつての強敵を仲間として迎える儀式はいつ終わるともしれず、近隣住民の眠りを阻害しながら今もなお続いていた。

私はといえば、酒を酌み交わせる年齢でもない上あまり騒ぐ気にもなれず、人のいない場所を求めてふらふら彷徨っていた。

喧騒も遠い校舎裏で一息つく。静けさに依ってか、その場所は一層暗く感じた。

冷えた夜の空気が髪をさらう。ゆるく結んでいた髪紐が解けて、するりと風に流された。

「あ」

しまった、夜闇に紛れたら探しづらいと思いながら振り向いた先、思いも寄らなかった人物がそれを受け止めていた。

まだ年若い相貌にやたら大人びた表情を浮かべ、こちらを見つめている彼。
ぎょっとして体を強張らせた私を知ってか知らずか、手のひらに絡んだそれを彼はただなめらかな動作で突き出した。

「……これか」

「あ……、ありがとう」

声が固くなっていた。不覚だ。

彼は──宗嶺厳は、開いた私の手にするりと髪紐を落とした。

ほっそりした指先が僅かに触れて、たったそれだけのことに私はひどく胸を荒らされた。



(ああ、先輩を)

(この指が)



「……どうか、したのか?」

「え、あ、いや、何でもない」

ふと蘇りかけた光景を振り払って、私は彼に笑いかけた。

「……皆のところ、行かないの?」

「ああいう場は得意じゃない。お前こそ、こんな所にいていいのか」

「ああ。ちょっと、酔いを冷ましに来たんだ」

「一滴も飲んでいないのにか」




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