□すじ違いにすれ違い
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「余計なことしないで」

――それはとても珍しいことだった。
みょうじがチンピラ共に絡まれていたことではない。ただのチンピラ相手に劣勢だったことと、少々手を貸したら前述の厳しいお言葉をいただいたことである。
もしかしたらみょうじではないのだろうか、とまじまじ顔を見つめてしまったほどだ。しかしどこからどう見ても、男塾で生活を共にする同輩のみょうじなまえで間違いない。

「……みょうじ?」

「私じゃなかったら助けなかったでしょ。これが他の誰かだったら、危ない場面だって手を出さずに任せたんでしょ。
私のことは信じてくれないの。みょうじなら大丈夫だって思ってくれないの」

「みょうじ、何を言っている。落ち着け」

「女扱いしないでよ」

そう言い捨てて走り去る華奢な背を、俺はただ呆然と見つめていた。
追うことはできなかった。










――そんなことがあった日から避けられ始め、早一週間。口も利いていない状態が続いている。
本日の夕食後もそれは変わりなく、さっさと自室へ戻っていく彼女の背はあの日と同じく拒絶を示している。珍しく激情に揺れていた瞳を思い返しながら、脳内で彼女の台詞を反芻した。鮮烈な記憶はまだ新しいままだ。

(どうしたものかな……)

いつもにも増して不味い飯を胃に落としながら、ここ数日の悩みの種について思案する。



みょうじなまえという女は、俺が見る限りでは穏やかな気性の持ち主だ。
武器を持つより包丁を握っている方が性に合っているというのは自他ともに認めるところでもある。波風を立てることを殊更に忌避し、感情を剥き出すのを良しとしない。
だからこそ、あの反応は少々衝撃的だった。

(……女扱い、か)

確かに、あれが他の塾生だったならよほどのことがない限り手助けはしなかっただろう。劣勢だからと手を出すのは無粋だし、男としての自尊心も傷つけかねない。下手すればぶん殴られるのが落ちだ。
しかしみょうじとなるとこちらの心境も随分と変わってくる。そんじょそこらの男に敗北を喫すると思ってはいないが、無用の怪我をさせる事もないという気持ちの方が先に立つのは否めない。

「!」

考え事に気を取られていたためだろうか。片づけようとした食器が手からこぼれ、硬い床で無残に散った。

「うおっ。お、おいおい桃、大丈夫かよ」

「ああ……すまん、やっちまった」

近くにいた富樫に謝罪をして、始末をしようと身を屈める。

「っ……」

欠片に触れた途端、指先に走った痛みに顔を顰めた。
痛みから滴る生ぬるい鮮血。

「……本当に大丈夫かよ?」

「…………」

今度は大丈夫だとは言えなかった。曖昧な笑みを返して、作業を再開する。
――自分はどうやら思いの外動揺しているらしい。
その事実をまざまざと見せつけられた気がして、重苦しくなった胸から苦々しい息が漏れた。










皆が寝静まったのを確認してから、そっと寮を抜け出した。
近くの自動販売機で彼女が以前好きだと言っていた温かい缶飲料を買って戻る。
まだ起きていてくれるだろうか、そう思いながら、彼女の部屋の窓にいくつか小石をぶつけてみた。
出てくる彼女の姿を視認した時、心から安堵した自分に苦笑した。



「――――桃」

「よう。久しぶりだな」

本当にそう思って口走った言葉だったが、みょうじがあからさまに詰まったのを察してはっとする。
一種の皮肉と受け取ったのかもしれない。即座に謝罪を口にして、俺はご機嫌伺い用の缶を渡した。身体を冷やすのは良くないというそれらしい理由も一応はあったが。

みょうじは案外素直に受け取って、ほうと白い息を吐いた。

「あ……ありがとう」

「少し話でもしないか」

「うん……あ、あの、桃……」

「……お前の気を損ねてしまったなら謝る。すまなかった」

壁に背を預けながら一息で言う。みょうじを地べたに座らせるわけにもいかないだろうと懐を探ってみるも、授業中に顔にかぶせて寝るための漫画雑誌しかなかった。仕方ない、これで我慢してもらおう。
おずおずと腰を下ろしたみょうじはプルトップを開けて、ゆっくりとした動作で一口飲んだ。その表情は硬いままだった。

「お前を侮ったわけではなかったんだ。せめて、それだけは伝えておかなければと思ってな」

「…………うん、いや、わかってる。
……というか、桃は何も悪くないんだ」

指先が白くなるほど強く缶を握り締めていたみょうじが、しばらく逡巡するように目を彷徨わせた後、ひどく重たげに口を開いた。

「あのね、あの日、その……月のものが、来てたの」

「………………」

男というものは大概、こういう時どういう反応をすればいいのかわからない。
どうやら俺も例外ではなかったようで、そうか、と上擦った声で返すのが精一杯だった。
しかしみょうじは神妙な顔のまま言葉をつなぐ。

「だからなのか、少し情緒不安定になって、具合もあんまりよくなくて……。いつもならどうってことない連中にまで後れを取っちゃって。
……桃が助けてくれた時、急に現実を突き付けられた気になったの」

隆起のない白いのどが、こくんとかすかに上下した。

「ああ、私って女なんだな、みんなとは違うんだって。
そんなこととっくにわかってたはずだったのに、一度意識したらどんどん泥沼にはまってくみたいで……色々考えちゃって」

月明かりに照らされた、感情のない透明な目がぼうっと遠くを見る。
彼女の存在感が一層希薄になった気がして、俺は咄嗟にその肩へ触れた。

「桃……助けてくれてありがとう。次からは気を付ける。
……つまらないこと言って、ごめんね」

「本当につまらないな」

転げ落ちるように零れた言葉にみょうじがこちらを向く。ふらふらと惑う瞳に胸がざわついた。
怒鳴りたい。抱きしめたい。二つの行動が脳裏に浮かぶ。
どちらが正解か、どちらも不正解なのかわからなかったので、どちらもしないまま胸で握りつぶした。

「ここは男塾で、お前は女だ。それは事実だ。
だが、俺たちが仲間であることもまた事実だろう。そこに何の祖語が生じるというんだ、馬鹿野郎」

こっちがどれほど焦ったと思っているんだ。そう告げると、呆然としていたみょうじはやがて泣き笑いのような表情を浮かべて「桃でも焦ることあるんだ」とおどけてみせた。

その後で小さく呟かれた「ありがとう」は、聞こえなかったふりをした。





「――桃、困らせたお詫びに何かできないかな」

「茶碗」

「え?」

「お前が原因で茶碗が割れた。一緒に見繕ってくれ」

「ど、どういう経緯なのかさっぱりだけど、そのくらいでいいならいくらでも付き合うよ」

「……いっそ夫婦茶碗にでもするか。今後のことも考えて」

「つつつ剣君? 今何か珍妙無類なことをおっしゃった?」

「フフ。楽しみだな、と言っただけだが?」






了.




「桃視点で、普段あまり怒らない夢主を怒らせぶちギレて、口も聞いてくれなくなり、なんとか仲直りして最後は甘々落ち」というリクエストだったはずなのに。はずなのに。なんかもう別物ですね……。

ぶち切れというか逆切れで甘さも何とも微妙な仕上がり。
桃をうろたえさせてほしいともありましたが足りなかったですかね、申し訳ない……。私の脳内の桃が全然動揺してくれなくて……。
貧困な想像力もあいまってお茶碗割るくらいが限界でした。


リクエストありがとうございました!

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