頂*捧*企
□命短し、恋せよ乙女。
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八
沢山の記憶が溢れてきた。
“竹谷八左ヱ門”として生きて、死ぬまでの記憶が。
そして、分かった。
三郎が今生で初めて会った時に寂しそうに笑った訳が。
雷蔵達がしきりに、思い出した?と聞いてきた訳が。
三郎と一緒にいると、胸の締め付けられる訳が。
“竹谷八左ヱ門”であった時からずっと、ずっとずっと、恋い焦がれていた。
好きだから思いは告げられなかった。
好きだから、死ぬ間際に願った。
──次に生まれる時は、三郎の隣にずっといたい。
その願いは、竹谷が女として生まれてくる事へと繋がり、級友達とは異なった性別になったのだ。
走っていた足が止まり、その場にぽつぽつと涙の雫が落ちる。
整わない呼吸を呑みこんで嗚咽を抑え込んだ。
情けなくて仕方がなかった。
三郎に執着するあまり性別を違えた自分が。
女となっても、三郎に触れることを恐れる自分が。
また同じ時を生きられるのに、三郎から逃げ出した自分が。
情けなくて情けなくて、それでも、三郎が好きで仕方がない自分。
ぐっと歯を食いしばり、涙の後の残る頬を手の甲で拭う。
情けなさの後に竹谷の心に浮かんだのは決意だった。
女として生まれたのは何故か、そんなの決まっている、三郎と添い遂げたいからだ。
堂々と好きだと本人に言いたいからだ。
力や体格は以前に比べて格段に劣ってしまうが、その代わり前より少し、勇気が出るようになった。
竹谷は整ったばかりの息を深く吐くと、来た道を引き返した。
三郎には珍しく呆けた表情を浮かべて琥珀色の瞳が竹谷を見ていた。
何を言われるか怖くて、でももう自分の内にも仕舞って置く事はできない。
「あのな、三郎…。私…俺、全部思い出したよ」
「っ!」
驚きに見開かれる琥珀色に笑顔を作るが、それが上手く笑えている自信は竹谷にはなかった。
ゆっくりと立ち上がった三郎に視線を合わせる。
何時もは何を考えているか分からない三郎の瞳が喜びに染まっているのが見えた。
「…ごめんな、遅くなって」
「っ本当だ!馬鹿ハチ!私達が、私が、どれほどお前に会いたかったと思ってる!!」
「ああ」
「どれほど…っ、お前を待っていたと思ってる!」
「…ごめん」
近づいた三郎に抱き締められて、前と変わらぬ三郎の香りに安堵しながらも竹谷は三郎を抱きしめ返すことはできなかった。
代わりに掌をぎゅっと握って拳を作る。
三郎が少しだけ体を離して竹谷を覗き込むので、その琥珀色に自分が映っているのを見ると、ぽろりと涙が零れた。
「っふ、ごめんっ!俺っ、俺…!」
「あのなハチ、私は怒っている訳ではないぞ?だから泣くな」
「ちがっ、違うんだっ!…ごめん三郎」
竹谷の様子に流石の三郎も怪訝そうな表情を浮かべ、その顔を見ながら竹谷は何度も謝った。
暫くどうしていいか分からなくて動かなかった三郎がもう一度、今度はさっきよりも優しく竹谷を抱き締めた。
三郎の手は竹谷の背中を宥めるように叩く。
その優しさが嬉しくて、苦しい。
「ごめんな、三郎。…女に生まれてきて」
「……性別が選べるわけではないだろう」
「いいや、俺が、女になる事を選んだんだ」
ふるふると三郎の言葉を否定すれば、体を離される。
問いかける様な三郎の視線に瞳を閉じて、決心した竹谷は小さく息を吸って言った。
「俺は三郎に、愛されたかった」
愛しくて堪らない胸の苦しさと、漸く告げられた解放感と、それから三郎への罪悪感。
ぐちゃぐちゃになった感情が涙となって頬を流れた。
「三郎に、…好かれたかった。友人としてじゃなくて…。だから今度は女に生まれたんだ」
ぎゅっと目を瞑れば目尻に溜まっていた涙がポロポロ落ちる。
三郎がどんな顔をして自分を見てるか知るのが怖くて顔が上げられない。
「ハチは私が好きだということか」
暫く竹谷も三郎にも動きはなく、少しの間の後ぽつりと三郎が確認するように呟いた。
竹谷はこくりと頷く。
「八左ヱ門の時から、好きだ。今も好きだ。……前が男だったからこんな事言われても困るだろうけど、もし、少しでも可能性があるなら、うわっ!!」
「ちょっと黙ってろハチ」
手を引かれて抱き締められたら竹谷の耳元で三郎の声が聞こえた。
言葉は竹谷を止めるものなのに声色は優しい。
突然のことにどうすればいいか分からなくなった竹谷は、三郎の腕の中で体を固まらせた。
その竹谷を三郎の腕は逃がさないように抱きしめる力を強くする。
「ハチは、前から私が好きだった」
「…おう」
「ハチは、私の為に女に生まれてきた」
「…まあ、そう、か?」
「はちは、今も私が好き。で、いいんだな?」
「ああ」
確かめるように一つ一つ確認する三郎に、竹谷も一つ一つ答えた。
しかし流石にずっと抱き締められたままというのは恥ずかしくて、胸に手を当てると少し二人に間を開ける。
「あのさ、俺逃げないから、離してくれ。ちょっと色々限界っ…!」
「嫌だ」
「おい、三郎っ!俺本気なんだけど!…からかうなよっ」
最後の方は涙声になってしまった。
意地になって三郎の胸をぐいぐい押せば、その分だけ抱き締められた。
この期に及んで悪戯で返されているのかと思うと竹谷は悔しくなって、奥歯を噛み締めた。
「絶対、離さない。だって私達両思いってことだろう」
「…………へ」
間抜けな顔と声を三郎に晒せば、可笑しそうに笑われた。
でもそれはどこか嬉しそうにも、照れてるようにも見えて竹谷は顔を赤くした。
「っりょ、両思い…って」
「私もハチが好きだって事だ」
「…うそ、だ。嘘だ!」
嬉しいはずなのに、三郎の言葉を信じるのが怖くて竹谷は否定してしまう。
長年の片思いの時間だけ、すぐに受け止めてしまうのが怖かった。
嘘だと、からかっているのだと言われるのが、いくら三郎でも本気の相手に対してそんな仕打ちはしないと頭で分かっているのに、それでも傷つく事を恐れる心が三郎の言葉を否定する。
「嘘じゃない。私も、ずっとハチが好きだった」
「……うそだ」
「私の言葉が信じられないか?…信じるのが怖いか?」
「っ!!」
「私だって同じだハチ。お前の思いが私にあったことが嬉しすぎて、幸せ過ぎて、信じるのが怖い」
顔を上げて三郎と目を合わせれば、優しく緩んだ瞳が微かに揺れていた。
竹谷は更に抱き寄せられるように強く抱き寄せられる。
耳元て話す三郎の声が震えていた。
「でもハチは今私の腕の中にいる。やっと、漸く、私のものになった」
三郎の顔を見たくて首を捻ってみるが、竹谷の肩へと顔を伏せた三郎の表情は見えなかった。
抱き締める力が強くなって、それに反応するように竹谷は今まで自分の横にあった腕を動かして三郎を抱き締め返してみた。
抱き締めて感じる三郎の体温に、竹谷の涙腺はまた崩壊した。
「っぅ、ふっ、…くっ」
「ハチ。…はち」
「さ、ぶろうっは…、私のもの、…か?」
「信じられないか?」
「むりぃっ!だってっ、私、…ずっっと!」
「じゃあ…」
顔を上げた三郎が竹谷の顎を掴んで持ち上げる。
絡む視線に、竹谷は思わず見つめる琥珀色を睨んでしまうが、その瞳はふわりと緩んだ。
「ならはちは、私の側に居るしなかいな。ずっと、一生だ。そうすれば、いくらはちでも信じられるし安心できるだろう?」
「いっしょう…?」
「その為にはちは女に生まれたんだろ」
ニヤリと何時もの笑みが戻っている三郎に竹谷は苦笑いする。
確かに三郎と共に生きたいから女になることを願った。
けど、こうも上手くは行くとは思っていなかった。
思いを告げて受け入れてくれないとしても、これから頑張っていこうと思っていたのだ。
前世の分まで。
「今生のこれからを私にくれ。私のこれからをやる」
「三郎」
「八左ヱ門の分まではちを幸せにしてやる。…その代わり、私の側にいて私を幸せにしてくれ」
声が詰まって返事かできなくて、竹谷は頷くことで三郎に応えた。
その度に涙からぽろぽろと頬を滑っていく。
落ちる涙を三郎の指が掬い、それに促される様に竹谷は三郎を見上げれば熱い唇が押し当てられた。
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