頂*捧*企

□命短し、恋せよ乙女。
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 七


どん、と胸を押し返される。
竹谷が泣いているのを目にして、三郎は喜びに浮かれていた気持ちが急激に落ちていく感覚を味わう。
竹谷の涙は、喜びや羞恥のものではなかった。

それならば、こんなに苦しそうに泣くはずがないのだから。


「はち…?」

「ごめ、ん…。お…っ!私、帰るわ…」

震える声でそう告げた竹谷は立ち上がると、三郎に顔も向けることなく走り去っていく。
三郎はというと、キスを受け入れてくれたはずの竹谷の態度の変化に着いていけずに、逃げるように去って行く竹谷を呆然と眺めていた。



ドォンドォンと凄く近くで鳴っているはずの花火の音がやたらと遠くで聞こえた。
煌びやかに打ち上がる花火と対照的に、三郎の気持ちは暗く沈んでいった。

三郎が動けるようになったのは竹谷の背中が見えなくなった後で、すぐに辺りを探してもあの青濃の浴衣は見当たらなかった。
竹谷の家に向かおうとしたが、泣いていた顔を思い出して足は止まる。
自分はまた、順番を間違ったのではないか、そう考えると足は前に進まなくなってしまった。

そしてまたふらりと同じ場所に戻った三郎が座っていた。

どうやら三郎のいる場所は穴場らしく、花火がよく見えるが人は周りにいない。
パラパラと散っていく火花に自分の状況を重ねてしまい、空へと向けていた視線を下へと俯かせた。

あの淡黒色の瞳が間近で大きく見開いて揺れて、薄く開いた桃色の唇を見たら、触れたい、という思いが溢れ出した。
飲み込もうと抑え込もうとしても、渇きに飢えたかのように三郎の欲望は強くなった。

普段ならば笑みを描いて誤魔化せるのに、自分でも分かるくらい表情が動かなかった。
息を呑むように、少しだけ怯えているようにも見えた竹谷に、結局三郎は自分の中の欲に負けたのだ。

触りたい。
抱きしめたい。
柔らかそうな唇に噛みつきたい。

近付いた三郎に竹谷はもっと瞳を大きく見開いて、そして閉じた。
それは、三郎のこれから行う行為を分かっていて受け入れてくれたのだと、そう思ったのだ。


告白もまだしていない事に気付いたのは、花火の音が鳴り出してからだった。
そして大きく溜め息を吐いた。
私は、何一つ変わっていやしないじゃないかと。

きっとあれでは三郎の思いは竹谷には伝わっていない。
もしかしたら、ふざけや悪戯とも思われているかもしれない。
それは、長い片思いの三郎の経験から分かる事だった。

恐らく、明日になれば竹谷は何もなかったかのように三郎に接するだろう。
怒って、笑って、いじけて、驚いて、喚いて、いつも通りの竹谷でいるのだろう。
それでもその中に、確かに歪みが生じるのだろう。
そして、普通の様に過ごしたあと、前と同じように忽然と三郎の前から姿を消すのだ。
忍術学園を卒業したあの時のように。


それだけは、絶対に嫌だ。
もう二度と後悔しないと決めたのだ。

悔いて、悔いて、悔いた。
だから今も記憶と共に“思い”も覚えていた。
次は決して間違えないと、鉢屋三郎は魂に竹谷八左ヱ門を刻み付けたのだ。

竹谷の家に行って、今までの全ての思いを伝える。
そう決意して、三郎は琥珀色の瞳を少しだけ動かした。
足元より先の地面に視線を移せば、カラリと軽い木が地面と擦れる音と共に少し前まで三郎の隣にいた彼女と同じ草履が見えた。

勢い良く面を上げて前を見れば、肩を大きく上下させて息をする竹谷がいた。
琥珀色と淡黒色の視線が合うと、微かに青濃の浴衣に包まれた体が震えたように見えた。
はち、と名前を呼ぼうとした三郎の口が動いたところでそれを遮るように竹谷が声を発する。

「三郎」

誰にでも分かるぐらいに竹谷の声は震えていて、竹谷自身がそれに唇を噛んで俯く。
それに手を伸ばそうとすれば、また三郎よりも先に竹谷が動いた。
ばっと顔を上げて、揺れているのは変わらないが確かな意志を乗せた淡黒色の瞳が三郎へと向けられる。


「っ三郎」


竹谷のいつもと同じはずの呼ぶ声に、三郎の心臓は何故が過剰に反応した。
どくりと一度だけ大きく騒ぐ。
視線は淡黒色から離せなくて、次の瞬間、三郎の目の前でその瞳がぐにゃりと笑む。



竹谷が泣きそうな顔をして笑っていた。






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