薄桜鬼
□御題<それでも君は世界が綺麗だと信じていた>
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【総司&千鶴】
歪んだ愛が少女を傷つける。
鮮烈な紅い液は、一滴も残さず少女の口の中へと消えた。哄笑してその様を見届ける少女の兄は、長年の苦痛によって愛情表現でさえも歪んでいて。
段々と少女の艶めいた黒髪は白髪へ、黒目勝ちな瞳は非情な赤い色へと変化していく。
最期に自身を見た少女の目は、自身を守りきってくれなかった自分への憎悪と憤怒で染まっていた―――…。
「…っは」
飛び起きた途端、体中に纏わりつく汗に嫌気が差す。苛立ち紛れに着物を乱し、呼吸を整え、総司は静かに寝床から起き上がった。
肌寒い夜に汗の纏わりついたこの身体で身を晒していると風邪をひくかもしれないが、夢で見てしまった光景を頭から振り払いたくて、総司は着物が汚れることさえ厭わずに座り込んだ。
「………またか…」
夢見の悪いときは、決まって満月だ。しかも、最近は満月の浮かぶ日になるたびに見たくもない光景をむざむざと見せ付けられる。
満月には不思議な力が宿っている、という迷信じみた話も、こうして自分が体験していると信じずにはいられない。
「総司さん、どうしたんですか?」
隣にあったはずの温もりが何時の間にか消え失せて吃驚したのだろう。愛しいその人は静かに隣に腰を下ろす。
夢に心乱されて気配を悟れなかった自分に、情けないと思う気持ちが脳裏を過ぎる。
「………少し、嫌な夢を見ました」
どくん、と総司の胸が高鳴る。自分もまた夢を見て飛び起きた。まさか、…彼女も同じような。
「………怖いんです」
自分が羅刹の毒に狂い、暴れまわることはもう無いはずだ。だが、時折こんな夢を見ると不安に思う。
いつか毒に狂い、血を欲して彷徨い歩く鬼になってしまうのではないかと。
「……大丈夫」
不安で押しつぶされそうになる少女の身体を引き寄せ、総司は静かに微笑んだ。
確証など微塵もない。彼女の狂った姿など想像し得なかったからこそ、言えた言葉としか言いようがない。
だが、それでも彼は優しく諭すように少女に繰り返す。
「大丈夫だよ。君は狂わない。絶対に」
降り積もっていく言葉の数だけ、千鶴の不安は取り除かれていく。
漸く落ち着いた頃、千鶴は静かに空を仰いだ。
「―――綺麗な月…」
手を伸ばす無垢な少女を後ろから抱き寄せて、総司は笑う。
「………君は、この世界が好き?」
唐突に浮かんだ問いに、自分でも内心驚いたが、聞かずにはいられなかった。
やはり彼女も少し吃驚したような顔で振り返る。だが、数泊遅れて千鶴はその問いに応えた。
「…はい。大好きです」
「なんで?」
「………沢山の人たちに出会えて、沢山の喜びを知って…沢山の素敵なものを見れたから」
闇の中、月光を浴びた少女が仄かに笑う。
「………何よりも、総司さんに出会えたから」
その言葉に軽く眼を瞬かせるも、総司は穏やかに笑む。
「そうだね。僕も、この世界が好きだ」
視線が交差して、それぞれ起きた当初の恐怖などは微塵も残らず忘れて、お互いに想いを囁きあう。
「大好き」
条理と不条理が共存する世界。それでも、君はこの世界を綺麗だと信じて疑わないんだ、きっと。