ヒイロノカケラ
□この一瞬を宝箱の中に追加します
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「沙弥せーんぱいっ」
背後から抱きつけば、驚いたように目を瞬かせたひとつ年上のその少女は振り返り、穏やかな笑みを零してくれる。
「狐邑くん」
そう呼ばれた怜は少し複雑な気分になって、彼女に提案する。
「……沙弥先輩、いい加減俺のこと、名前で呼びません?」
幼馴染である大蛇に嫉妬するようなものだが、彼氏である自分は苗字で呼ばれるのは、なんとなく面白くない。
「…え?」
いわれた言葉が理解できなかったのか、首を傾げた彼女を向き直らせ、怜はにっこりと笑いかけた。
「ほら、呼んでくださいよ、“怜”って」
「っ……」
顔を仄かに赤く染め、息を詰めた彼女に畳み掛けるように怜は自分の名を唇に乗せた。
「れーい。ほーら、早く」
「………」
何度かそのやり取りを繰り返し、それが二桁を越えたあたりのことで、漸う沙弥は口を開いた。
「………れ、怜……くん」
「…………」
呼び捨てを試みようとしたが、羞恥に耐え切れず最終的に敬称をつけてしまった彼女の顔には熱が集まっていて、潤みきった瞳が怜の奥底で燻っている熱を煽る。
沈黙が降る。それから幾らかして、怜はようやく口を開いた。
「………暫くは、苗字呼びでいいです」
「え………」
目を瞬かせ、顔を上げた沙弥に、怜は笑った。
「俺、たぶんそうなったら歯止め効かせる自信、なさそうですから」
「………え」
「だから、暫くはこのままで。今は健全なお付き合いだけにしときます。……大蛇先輩も怖いことですし?」
その意味をなんとなく理解して、沙弥は声も無く喘いで硬直した―――…。
少しだけ強引にやってしまったことだけど。
君が聞かせてくれた言葉を、見せてくれた表情を、大切だからこそ俺は記憶に留めておきたいんだ――――…。
あとがき