ボロキレノベル

□懦夫は逃げ出した
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「今度の試験範囲はこの辺りだから、しっかり勉強して臨めよ」
分厚い教科書を閉じながら、ルルーシュはその目頭を指で摘んだ。
眠いんだろう。さっきもしきりに眼を擦っていたし。僕の腕時計は11時を指している。
「ごめんね、遅くまで」
「いや大丈夫だ…ちょっと寝不足なだけで」
彼はそれだけ呟くと、溜息を交えてベッドへ座り込んでしまう。
椅子を回転させて、僕はそんな彼を振り向いた。

「やっぱり僕帰るよ。余り長居しちゃ君だって休めないだろ?」
そう提案するのだけれど、ルルーシュはやっぱり首を横に振る。
強がりもいいけど、こういう時は確り休まないと、後で苦しむのは君なのに。
「お前が居ても居なくても一緒だよ。今更遠慮なんかするな、逆にこっちが恐縮する」
「それって嫌味なの気遣いなの?」
苦笑いを向ければ、ベッドへ仰向けに倒れてしまったルルーシュもフッと嘲笑を零した。

低く「さぁな」なんて響いた声が、何故だか、心の中のモヤモヤしたものを煽った。

「…今説明したこと、教科書と照らし合わせて、アンダーラインでも引いておけ」
抑揚の無い声が指示を出すので、僕は素直に「うん」と頷いてまたデスクへ向き直った。
ペンケースから黄緑の蛍光ペンを取り出して、つやつやの教科書へ線を引っ張っていく。

ルルーシュの部屋には
きゅ、
きゅ、
とマーカーが擦れる音だけが響いた。






「できたよルルーシュ」

振り向いた先の彼は、既に紫光を失っていた。
長い睫が、雪花石膏の様に白い肌へ影を作る。
闇色の髪が白のシーツへ散らばる様が一枚絵のよう。

どうやら、睡魔に負けて寝入ってしまったらしい。
(やっぱり眠かったんじゃないか)
もう、と思わず肩を竦めてしまった。
強がったその矢先にこれだもの、どうしようもない。
深夜の部屋に、無音が響く。
覚えず苦笑いがこみ上げた。
(全く、仕方ないな)
ベッド脇まで歩み寄って、しゃがみこんで、彼の顔を覗いても、目覚める気配は無かった。
すやすやと寝息を立てて熟睡する彼の顔は、本当に穏やかだ。
この寝顔を見て、先程まで雄弁に論を展開していた人間と同一人物だと、誰が予想できるだろう。
布団掛けてあげた方がいいかな?嗚呼でも駄目だ、制服のままだからそれはまずい。じゃあ起こすべきなんじゃないか?
「ル…」
揺すり起こそうと伸ばした手を、ぴたりと止めた。


嗚呼、もしも
もしも伸ばしたこの手が
彼に届かなかったら。


物理法則的に考えてもそんな馬鹿なことは起こり得る筈が無い。
解っている。解っているのに。
僕の手はそれ以上の進行を拒否して、ぶらりと身体の横へ垂れ下がってしまった。




僕には解らない。

彼が言う事も考えている事も、僕とは違う世界の事象に感じられる。
彼は簡単に僕の脳のキャパシティを大幅オーバーして、何食わぬ顔で去っていく。
待って、と叫ぶ猶予すら与えてくれない。
いや、叫んでも彼まで届かない。
近くにいないから。
遠くにいるから。
すごく遠く、それこそ何億光年も先に彼が立ってる、そんなイメージ。
だから彼が話す言葉は僕に届かないし、僕の声も彼には届かない。
僕の声が彼に届く頃には、僕はきっと死んでいる。

彼、は、ルルーシュ。

けれど僕は、もうひとり、遠くの存在を知っている。

知らない話をする人。
理解できないことを畳み掛けてくる人。
僕とは対岸の世界にいる人。
僕の声が届かない人。
何億光年も先に存在している人。

抱く感情は真逆だけれど、彼らは僕の中で、酷く似通った存在として、その自己を強烈に主張していた。
だけど、そうは言うも、似ているというのとはまた違うような気がした。
リゼンブルという言葉は別々の物が類し同じ様に見える時に使うものであって、もともと同一の物には使わない。
そう、同じなんだ。



こんなこと
考えちゃいけないのに




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