銀魂
□桜の精
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「ヅラよぉ。夜桜でも見に行かね―か?」
春の夜、桜の老木を前に、桂は一人で佇んでいた。
ずいぶん長い時間、ここで待っている。
たしか誘ったのは銀時だったはずだ。
なのに、待ち合わせ時間を過ぎても銀髪の男は現れない。
遅刻癖はいつものことだと分かっていても、こう度々待たされるのもいい加減、癪に障る。
――約束を忘れてしまったのではないだろうか……。それともただの気まぐれの言葉だったのだろうか? あのいい加減な男なら、そんなこともありえる。
桂は、銀時が来るはずの道の先を眺めた。人の気配がまったくない。
「寒っ」
桂は身震いしながら、羽織の袷を手繰り寄せた。
――いつまで待てばいいのだ……。
暦では春だが、夜が更けると気温が下がって肌寒い。
小さく息を吐き出すと、桜の花を見上げた。老木に咲く花は夜の闇の中、白く鮮やかに輝いている。
「こんなに鮮やかに咲いているにも関わらず、皆に忘れられているのだな」
桂は大木の幹に手を添えながら、一人呟いた。
今頃、桜公園では、夜を徹した賑やかな花見の宴会が行われているのだろう。
それとは正反対な静けさが、ここにはある。
かつては大地主だった屋敷の庭に残された老木。見事に咲きほこっているのに、その存在は町の住民から忘れ去られている。
人の声が聞こえない。風が木々の葉を揺らす静かな音だけが、微かに聞こえている。異世界を思わせるように、ゆったりと時が流れている。ゆらゆらと揺れて落ちていく花びらも、スローモーションの映画を見ているような錯覚に陥る。
――幻想の世界に吸い込まれそうだ。
まるで、自分が現世の者ではなく、桜の精にでもなったような感覚が生まれてくる。
桜の花のように儚い妖精の姿を思い浮かべた。夜の闇の中でも白い絹の着物は、桜の花のように輝いているのだろう。
――俺が闇の中に溶け込んでしまって、姿が見えなくなったら、銀時も少しは反省するんじゃないか……。
そんなことを思い描いていると、ふと悪戯心が芽生えた。
「桜の精に化けて驚かせてやろう」
驚く銀時の顔を想像すると、顔が緩んでくる。
桂は大木に上り、桜の花々の中に体を隠した。