神の一手を打てたなら……
□第六局
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佐為は確かに、虎次郎――本因坊秀策にその身を貸してもらって打っていた。
秀策自身、と言っても過言ではない。
だが、本因坊秀策という人物は江戸時代の棋士。過去の人物だ。
現代に、生きている訳がない。普通に考えて。
「ふぉっふぉっふぉ」
桑原本因坊は、行洋の心配をよそに笑った。
「では、"本因坊秀策"殿。よろしくお願いするとしようか」
「こちらこそ、よろしくお願いします。"現代の本因坊"殿」
緊張した空気の中、対局が始まった。
先手は佐為となった。佐為は黒を持ったら負けた事はない。
「お願いします」
「お願いします」
佐為が一手目を打った。それは今までの対局とは少し違った印象を与えた。
睨みあうようにして陣を構えると、佐為はコスんだ。桑原本因坊の目が面白そうに佐為を見つめた。
この現代で「コスミ」は甘いとされ、ほとんどのプロが使わない。使うのは……そう、進藤ヒカル。彼くらいなもの。
そのコスミを、佐為は使った。それこそが、"佐為の碁"であるから。
「ほう……」
「さあ、そちらの番ですよ。"現代の本因坊"殿」
桑原本因坊はさらに強さを感じる目の前の青年に感心と、尊敬を抱いた。
プロですら脅かすであろう強さを持ちながら、いまだただの一般人であるという。
そして、"本因坊秀策"と名乗った。
……もしかしたら、現代に本因坊秀策がいれば。彼のような男だったのだろうか。そう思っていた。
「うーむ…………」
桑原本因坊は難しそうな顔をしている。
それは佐為でも同じであった。さすが、現代の本因坊の名を持つ棋士。一筋縄ではいかなかった。
佐為とて、かつて帝の囲碁指南役を務めていた実力者だ。御城碁でも無敗を誇っていた。
だが、年月を重ね規則も増えた。
現代の規則に、佐為はまだ今少し慣れていなかった。定石も変わってきている。
桑原本因坊は現代の中でも強い。江戸から続く本因坊の家の名を勝ち取った事も頷ける実力を持っている。
ああ、そういえば。虎次郎の姓も桑原ではなかったか。
ふと懐かしく思いながら、最後に見た桑原本因坊の棋譜を思い出す。
「そういえば」
一手を打った後、佐為は口を開いた。打ちながらも桑原本因坊は佐為の方へ耳を傾けている。
「伊角プロとの新初段シリーズ。棋譜を拝見いたしましたが、随分苦戦されたようですね」
「ふぉっふぉっ。見たか、いやはや……。あの男は実に面白かった」
「ふふ。そうでしょうね、私も打ちたかった。対局に現れなくなったヒカルを、伊角プロが立ち直らせたと聞いています。
――――あの頃の、院生達はとても強かった」
佐為の目が羨望に輝いていた。あの場所で、あの時を同じく生きていたのなら。
ヒカルの真横で、その成長を見守られたなら。どんなに良かった事だろうかと。
佐為は桑原本因坊を見つめた。その視線は桑原本因坊の何かを刺激した。
「院生を……、いいえ、あの者達を舐めないでくださいね。彼等は一人残らず磨けば光る、刀です」
佐為は知っている。その場で生きていた訳ではないけれど、その隣でいつも見ていた。
彼等が院生だった時の努力、実力、勝ちたいという意思、その思いを。
「貴方の首を、いつだって狙っていますからね」
「それは怖いな。じゃが、君も十分に強い。何故、君はプロにならなかった?」
「なりますよ」
碁石が碁盤を打つ音が響く。佐為は穏やかに笑った。
「私は、プロになります。そして彼らを追いかけるのです。すべては、神の一手を極めんがために」
そこで終局となった。整地を始める。
佐為のアゲハマは三つ。桑原本因坊のアゲハマは一つ。
整地が大体終わってくると、佐為は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「言い忘れていましたが」
整地が終わる。結果は――――
「私、黒を持ったら負けた事がないんです」
黒、佐為の勝ちであった。