神の一手を打てたなら……

□第六局
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最初の内こそ、座間王座の優勢に見えた。
だが、今。盤上の棋譜を見て、座間王座は扇子を噛んでいた。

少々侮りすぎた。この目の前の若者は、気迫もそうだが碁の腕も大したものだ。
プロどころか、塔矢行洋でも相手しているかのような。タイトル戦を前線で戦っている相手のようなそんな腕を持っていた。

「……」

佐為はため息を吐いた。目の前の男は、自分を侮ったせいで今の形勢を崩せそうにない事に苛立っている。

だが、自分も同じく持っている扇子を噛んでいる事に困った人と思ったのだ。
扇子がダメになったら、買い直すのだろうが物持ちが悪い。扱いをもっと丁寧に……と彼は心の中で頭を抱えた。

「むむ……ッ」

苦し紛れに座間王座が打った。それは唯一決着のついていない左辺への牽制だったが、佐為の前では子供の手に等しかった。

プロとしての誇りが、投了を許さなかった。

佐為はトドメとばかりに天元に打った。天元に打ったことで、左辺以外の石が繋がった。

「ッ!!」

ヨセまで終わらせて、陣地を数える。
佐為の二目半勝ちであった。

「ありがとうございました」

「あ、りがとう……ございました……」

行洋は満足そうに見ていた。やはり、自分と毎日のように打っている相手だけはある。

「さすがだな、佐為」

行洋が声をかけた。佐為は行洋の方を見て、悪戯っぽく笑った。

「貴方と毎日のように打っているのですよ?……でも、さすがプロです。やはり、一筋縄ではいきませんでした」

笑いながら佐為は言う。
彼は、強い。座間王座の敗因は、佐為を侮った事であった。
彼の実力に焦った事によって、時々悪手を打ってしまっていたのである。

「もう一局……、もう一局だ!」

座間王座は言った。よほど悔しかったのだろう、顔が真っ赤であった。

「……行洋、」

困ったように行洋を見る佐為。佐為に与えられた時間は二時間。佐為をここへ連れて来たのは行洋であるため、彼は行洋の指示を仰いだ。

「……次の相手と打った方がいいだろうな」

その言葉に、座間王座が食って掛かった。

「勝ち逃げする気か!」

「いいえ。私にある時間は、二時間だけですから」

「二時間……!?」

あまりに短い、その時間。それを聞いて座間王座だけでなく誰もが反応した。
一局打つのも長ければ三時間なんて普通なのだ。それが、二時間。

「……はい」

彼に与えられたのは、それだけ。後は院生の彩花に戻らなくてはならない。
それでは、誰も本気で戦ってはくれないだろう。佐為は我が身を嘆いた。

「佐為」

行洋が佐為の肩を軽く叩いた。

「はい?」

「落ち着きなさい。焦る気持ちも分かるが、二時間という時間は変わらない」

佐為を諭す行洋の静かな瞳に、佐為の焦る心、嘆く心が落ち着いていった。
そして行洋にいつものように笑いかけた。

「……私が、焦る?とんでもありません、行洋。今、私は楽しいんです。次はどなたがお相手です?」

佐為の呼びかけに、ある男が答えた。

「俺がやりたいな」

出て来た男は恰幅がよく、どこか愛嬌のある顔をしていた。
彼にとって、それはとても懐かしく……そしてとても打ちたいと思った棋士の一人であった。

「倉田君か」

そう、倉田厚。ヒカルの可能性をプロの中で真っ直ぐに見つめていた男である。
佐為の口角が上がる。どうしても嬉しくて仕方がない。

「ああ、これは面白そうな……」

バサッと扇子を広げた佐為は、とても嬉しそうに、そしてとても楽しそうに微笑んだ。

「よろしくお願いします。倉田七段」

「おっ、やる気?」

倉田もとても楽しそうに笑った。佐為の実力はさっきの座間戦で分かっている。
気が抜ける相手ではない。

「貴方は、特に注目していましたから」

「へえ、俺を?やっぱ有名人?」

「……そうですね。それだけではないですけれど」

佐為の雰囲気が変わる。座間王座とのそれではなく、行洋と打っている時のような楽しそうな笑みを浮かべながらも、強者の重圧感を感じる。

「さあ、始めようではありませんか」

「そうだね」

佐為は扇子を置いた。向かい合った倉田と目を合わせる。

「お願いします」

「お願いします」
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