神の一手を打てたなら……
□第六局
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「おや、塔矢先生。お久しぶりです」
席亭らしき男性が声をかけた。行洋は軽く挨拶を返した。
「珍しいですね、最近は来られてなかったのに」
「彼に打たせてやりたくてね」
席亭が佐為を見た。そして丁寧に礼をした。
「初めまして、ここの席亭をしております」
「あ……。これは丁寧に。藤原佐為(フジワラサイ)、と申します」
「お若い棋士ですね。息子さんより先に連れてこられるとは、お強いのですか?」
行洋は席亭の問いに悪戯っぽく笑った。
「私に勝っている。実力は保証しよう」
「何と……」
「こ、行洋!ちょっと……!」
佐為は行洋の袖を引っ張った。行洋は堂々としていた。
「何だ」
「何だ、じゃありませんよ。そ、そんな事言わないでくださいよ」
「事実だろう?」
「貴方……貴方という方は……」
"塔矢行洋"はかつての名人である。なのに、その人に勝ったとなれば注目されるのは必須である。
佐為は注目されることに慣れてはいなかった。強い事は別に構わなかった。行洋の言うように、事実だ。自分もその強さを誇っている。……決して自惚れている訳ではない。
だが、今の佐為の目的は"ヒカルと打つこと"だった。それまで出来るだけ余計な注目は浴びたくなかった。
「まあまあ。さ、奥へどうぞ。今日は結構集まっておいでですよ」
「それは楽しみだな」
行洋に手を引かれ、佐為は多少ぐったりしながらも部屋へと向かった。
その一室は、周りからうまく隠れている上にどこかのバーのように暗めのライトで照らされていた。これなら確かに見つかる可能性は低いだろう。
「おや、珍しい男が来たな」
部屋から声がした。見れば、黒いソファに数人のプロが座っている。部屋の広さから見て、これでも多い方なのだと分かる。
「ご無沙汰しています、桑原先生」
中央に座って、笑っていたのは桑原本因坊だった。
「ん?」
その桑原本因坊は、佐為を見て少し考え込んで言った。
「……君は……、はて。どこかで会ったかのう?」
佐為はぎくりとした。冷や汗が流れる。やはり、現世には鋭い棋士が多すぎる。
佐為はそっと深呼吸して答えた。
「――――いえ。初めまして、桑原本因坊」
「ふぉっふぉっふぉ」
桑原本因坊は笑い出した。そして頭を掻きながら言った。
「ワシのシックスセンスも衰えてしもうたようじゃな。それより、君が来ることも珍しいが誰かを連れてくるのも珍しいな?」
「彼をもっと強い棋士と打たせてやりたいと思いまして。ここならプロが多くいます」
その言葉に、プロ達がざわついた。
「塔矢先生が、アキラ君より先に?」
「これは楽しみだな」
「ふぉっふぉっふぉ」
桑原本因坊は笑って片目を開けて行洋を見た。
「随分入れ込んでおるようじゃが、息子より弱かったら話にならんぞ?」
桑原本因坊の得意とする挑発だった。だが、正論である。プロと打つのに、塔矢より弱いようでは話にならない。
指導碁を願うなら別だが、この碁会所は指導碁をやっていない。あくまで、プロが私的に打てるようにしてあるサロンだった。
つまり、弱いようでは相手にならないのである。
「それは「ご自分で判断なさってください。ですが、私はそう簡単に負ける気は致しませんよ」……佐為」
行洋が佐為を見た。先手を打って、喧嘩を吹っ掛けたのである。当人の佐為は扇子を広げて素知らぬ顔をしている。
「ほう」
ある男が出て来た。同じく扇子を持っている。
「なら、まずは私が相手をしようじゃないか」
出て来たのは、プロになったばかりの塔矢を力でねじ伏せた男……座間王座だった。
「座間王座か」
どことなく、行洋の声が上ずっていた。彼も楽しかったのである。自分に負けず劣らずの互角な相手を、誰が倒すのだろうかと。
いや、互角ではない。佐為は下手すれば行洋よりも上手だった。
「彼があんまり退屈すぎて、うっかり負けてしまうかもしれんがな」
明らかに佐為を侮っている座間王座に、ムッとした。
佐為は彩花になってから、容姿のせいで侮られることが多かった。それはまだ理解できた。だが、この姿でも侮られるというのは腹が立った。子供でもないのに。
「そんな暇、なくしてさしあげましょう」
「面白い」
パチ、と両者の扇子が閉じられた。
「やってみろ」
「望むところです……!」
両者が席についた。座間王座が佐為に黒を譲ったため、佐為が先手である。
佐為は深呼吸をして、扇子を側に置いた。きちんと座り直して碁石を持つ。
一気に、佐為の雰囲気が変わった。
真剣な棋士の気迫だった。睨みつけるようなまなざしは力強く、その威圧は周りにひやりと冷や汗を流させる。
「……ッ」
座間王座は少々後悔していた。自分はとんでもない相手と打っているのではないだろうか、と。