神の一手を打てたなら……
□第一局
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進藤ヒカルがプロ棋士になって、約5年が過ぎた。
「塔矢おっせーなー……」
今日は、塔矢と一局打たないか誘うために棋院まで来ていた。
塔矢は今日、対局が入っていたのだ。
その時だった。
「うそだろっ」「間違いねえ……」
ザワザワと、棋院のある部屋で騒ぎが起こっていた。
そして、その部屋から。
「進藤!」
塔矢が出て来た。
「塔矢、終わってたのかよ。あのさ、これから――」「進藤、落ち着いて聞いてくれ」
ガシッと肩を掴まれ、ヒカルは妙に思った。今日の相手は、塔矢アキラという人物が動揺するほどの相手だったようには思えなかったからだ。
「あ、ああ」
「……Saiだ」
「え?」
「ネット碁に、Saiが現れた!!」
「は!?」
Sai――基、藤原佐為は進藤ヒカルがプロになってすぐに消えた平安時代の碁打ちである。
進藤ヒカルの心の片隅に住みつき、ヒカルと共に囲碁を打っていた。ヒカルにとってはパートナーであり、師匠であり、心の拠り所だった。
もう一度言う。消えたのだ。
現世に介入できなかった藤原佐為は、ヒカル以外その存在を知らない。そのはずだった。
「に、偽者じゃないのか……?」
「本物だ、間違いない!とにかく来てくれ!」
塔矢に押されるようにして、ヒカルはその部屋へと走った。
疑問ばかりが頭に浮かんでは消えた。
「和谷!」
「進藤か!」
ネット碁を対局していたらしい和谷が、ヒカルの方に振り向いた。周りはまだざわついている。
「その……Saiが現れた、って聞いたんだけど……」
「ああ、間違いねえ……!本物のSaiだ!!」
どうやら和谷は負けたようで、頭をガシガシ掻きながら言った。
ヒカルは疑心暗鬼でパソコンの画面を覗き込んだ。
盤面に、黒と白がうつっている。白がSai、黒はZelda。つまり、和谷だ。
「――――……」
ヒカルは絶句した。打ち筋に、見覚えがある。
佐為は江戸時代の手法の"コスミ"をよく使った。それが得意だった。
目の前の盤上にも、コスミがある。
「代わって!!」「お、おう」
和谷に代わって、パソコンの前に座る。ヒカルは無我夢中だった。
"Hikaru"。自分の名をハンドルネームに打ち込んで、Saiに対局を申し込んだ。
すぐに承諾され、ヒカルは黒についた。もし、本当に佐為なら……佐為なら、白につけば負ける。彼は黒で負けなしだった。
「進藤……」
「俺しか、分からない。Saiが本物かどうか」
佐為が消えてから、Saiの偽者は増えていた。手法もよく似ていたが、Saiは当然いなかった。
「俺なら、分かる」
ヒカルは繰り返し呟いた。そして、右上スミ……小目に打った。塔矢との最初の一局の、一手目だ。
「!」
すぐに返された手に、驚いた。
間違いなく、あの一手だった。あの一局を繰り返そうとしている。
「(お前がその気なら……!)」
こちらも、とヒカルも同じように打った。
この対局はヒカル……いや、佐為の勝ちだった。このままいけば、ヒカルが勝てるだろう。
だが、そう甘くはなかった。
手は一緒なのに、いつの間にか形勢が逆転しつつある。
「(佐為、だ……)」
ヒカルは確信した。佐為に、間違いないと。
泣きそうで、肩が震える。佐為が消えた時に、佐為は自分の碁の中に生きている。そう結論付けたけれど、こうして現れた佐為に会えるのなら別だ。
会いたくなる。
その内、手がなくなってしまった。
ヒカルは"投了"のボタンをクリックした。
一筋、また一筋。涙が流れる。
「おい……進藤……」「い、だ……」
「え?」
「佐為、だ……。間違いねえよ……!」
ヒカルは溢れ出す想いと共に堪えきれなくなった涙を流した。
どこに、何故。疑問が浮かんではすぐに消えた。
会いたい。
その時だった。
【ヒカル】
文字が現れた。チャットだ。相手のSaiがチャットを送ってきた。
「進藤」「うわ、Saiってば進藤の知り合いか?」
チャットは続いた。
【ヒカル、ナノデスカ?】
ヒカルは涙を拭って、画面を見る。そしてもう打てるローマ字で、タイプして返事をした。
【オレダヨ。オマエコソ……サイ、オマエナノカ?】
しばらく返事は返ってこなかった。
そして、返ってきたチャットは。
【オヒサシブリデス、ヒカル。ツヨクナリマシタネ】
ヒカルの心を温かくさせた。
「佐為……ッ!!」
【ドコニイル?アイタインダ】
ヒカルは夢中で書き込んだ。けれど、佐為は。
【イエマセン】
会う事を拒否した。
【デモ、アナタハタカミデマッテイテクダサイ。ワタシモスグニオイカケマス】
佐為は、ヒカルを追いかけると言った。それが嬉しかった。
【ソノトキ、マタチョクセツタイキョクシマショウ】
【マッテル。マッテルヨ、サイ】
そこまで書きこんで、ヒカルは電源を切った。
「あっ、オイ!!」「進藤、Saiとは知り合いなのか?」
周りから声がするけれど、ヒカルは無視して立ち去った。
「(佐為、早く来いよ。待ってるからさ……)」