BOOK
□い
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「…え?」
背中から強く、抱き締められる感触。
踏み出した前足を、慌てて引っ込ませた。
何が起きたのか分からなくてきょとん、としていると、ノボリが続ける。
「…好きです」
「…は、?」
ノボリの驚愕すぎる告白に、私は固まる。
普段のノボリからは考えられないような言葉。
一瞬で顔が赤くなって、胸が高鳴った。
でも、だって、そんなの。
信じられなくて。
「ノ、ノボリ?」
「ずっと…、ずっと好きでした」
「…え、と」
ノボリの言ってる事が信じられなくて、なんとか後ろを見ようとするが、ノボリが抱きついているので体を捻れない。
それに、今ノボリが言った事が信じられなくて、うろたえてしまう。
「す、好きって、何、が?」
「……そこまで言わないと分かりませんか?」
呆れた様な、それでも少し照れが混じったような声。
私はそれ以上に照れていて、分かっていても頷いてしまった。
すると、ノボリは抱き締める力を強くした。
く、苦しい。
ていうか今思えば、此処、駅のホームなんだよね。
…ちょっと恥ずかしいかも。
「貴方が、…春菜が好きなのです」
改めて言われると、更に恥ずかしかった。
ノボリは恥ずかしくないのかな、とか思ったけど、私のお腹に回される、少しだけ震えている手を見たら、なんだか落ち着いた。
…そっか。
ノボリは、きっと考えててくれた。
私の事を、…私の家族の事を。
だから、私を引き止めるのに相当な決断をしたんだと思う。
…家族にとって私とは、どんな存在か理解しているから、余計に。
「思えば、初めてあったあの時から、わたくしは貴方に魅かれていたのかもしれません」
そう、だったの。
…私だけじゃ、なくて。ノボリも?
「…あの、雨の日の事…?」
口では気にしないでやら可愛くない事を言っていた私だが、心の奥底で魅かれていた。
彼の素朴な優しさと、その格好良さに。
「ええ」
…こんな時に不謹慎かもしれないけど、今、ノボリがすごくかっこよく思えてしまった。
ああもう、ホントなんなのこの人。
捉え所がなくて。
それでいて頼りになる…。
本当に、意味のわからない人だ。
「雨に濡れる幼い顔が、とても綺麗で。不覚にも、声をかけてしまったのです」
(ああ、あのお嬢様、って奴か)
というか、ノボリにも綺麗とか分かったんだ。
そう思った瞬間、お腹の締めが強くなった。
うぶ、な、何?
ノボリを見ると、こちらを薄く睨んでいて、何か失礼な事を仰いましたか?とか言って来たので、私はすぐさま首を横にした。
「…貴方が帰らなければいけない事は重々承知しております。ですが、これだけ…この言葉だけは、伝えておきたかった」
「…ノボリ…」
「自分の私情で引き止めるなんて事は、あってはならない事だと、理解してはいるのです。…して、いるのですが…」
腕の力が強くなる。
そう、だね。
私も…寂しい。
言いたいことは、なんとなく分かるんだ。
なんだか、何時も見るノボリより、少し小さく思えた。
「…こんな感情は、あり得ない。私にあってはならないものなのです…」
「…そんなこと、言わないで」
私は、ノボリの腕を解いて、向かいあう。
そっとノボリの頬に触れると、何故だか彼は物凄く切ない顔をした。
…もう、分かってるんだね。
ノボリの決意の言葉を聞いたのに、私がどうするのかを。
…分かって、くれたんだね。
「…あり得ないなんてそんな事…、そんな言葉ないよ」
「…春菜…」
「ノボリ、私ね、楽しかったの」
そう。
ノボリと一緒に過ごした時間。
なにもかもが、全部楽しかった。
楽しくて、たまらなかった。
あんなに笑えたのも、きっとノボリが私を見つけてくれたおかげ。
私が欲しいものをくれたのも、ノボリと…クダリのおかげ。
きっと、今、終わるから、楽しいで終われるんだと思う。
これ以上続いたら…、私は戻れなくなる。
家族の事を考えると、可哀そうで。
まだ子供の私にこんな選択…酷いと思わない?
自分でくすりと笑ってみる。
「だから、この、感情も。ノボリがくれたんだって、私、感謝してるんだ」
「…ですが、私は…」
「違うよ」
冷静になりきれないノボリの言葉を遮って、真直ぐとノボリの目を見詰める。
「ノボリが私の事を考えないで。ノボリは、自分の気持ちに素直になって」
「…」
「じゃないと…、私のこの感情、報われなさすぎるよ」
「…、」
「あってはならないものって、なに? そんなの、あるの?ノボリはノボリでしょ?」
サブウェイマスターが何?
ノボリは、ノボリ以外の誰でもない。
誰でもがノボリなんじゃない。
貴方が、私の好きになったその嫌な性格が、大きい手が、広い背中が、憎いけど格好いい顔が、その全部が合わさってノボリなんだよ。
「サブウェイマスターだからノボリなんじゃない。その仕草とか、表情とか、性格とかがノボリなんだよ」
柔らかく微笑んであげると、ノボリは再び私を強く抱きしめた。
ちょっと痛いのは、嬉しいから我慢することにしよう。
…つまり、ね。
私は、ノボリの顔が良くて好きになったんじゃない。
ノボリのその嫌な性格とか、嫌味な口癖とか、喋り方とか、時々見せる優しい笑顔とか、私を想ってくれる、その強い気持ちとか…。
それを全部含めて、ノボリを好きになった。
だから、ノボリだって自分に素直になって欲しい。
惑わされないで欲しい。
サブウェイマスターの自分が、こんな女を、それも子供を、好きになっていいのだろうか。
あろうことか引き止めていいのだろうか、とか。
きっと、色々思ってると思うんだ。
だけどね。
今、今だけは素直になって欲しい。
この別れの瞬間くらい、本当の気持ちを見せて欲しい。
…それだけで、私は納得できる。できてしまう。
ノボリは、私に一緒居て欲しいんだな、って。
…自惚れじゃない事を、祈ってるんだけどなぁ…。
「春菜が、好きです。愛しています。行って欲しくありません。できるならば、ずっと私の傍に居て欲しい。もっと貴方を抱き締めて居たい」
「…そこまで言われるのは、流石に恥ずかしいんだけど…」
「……、貴方が素直に言えと仰ったんでしょう…」
ノボリが赤くなって苦い顔をする。
でも、十分に伝わった。
ノボリの気持ち。思い。
それを抱えて、私は…。
2本目の電車が、駅につく。
私は扉が開いたと同時に、ノボリの手をそっと外して電車に飛び乗った。
「…やっぱり、行ってしまわれるのですね」
「…ありがとう、ノボリ」
「…お礼の言葉も嬉しいのですが、」
「あ、時間だ」
「え、」
扉が閉じる。
ノボリがまだ何か言いたそうな顔をしていた。
私は仕方がなく、本当に仕方なく、窓越しに口パクで言ってやることにした。
これが、最後のノボリの姿。
ちょっとした旅行の最後。
旅の最後は、笑顔で終わり。
さよならは、言わないよ。
「I love only you all the time」
いつかまた、会いましょう
(私はずっと、貴方だけを愛してます)
(だから、)
(貴方も、私だけを愛して居て下さい)