BOOK

□か
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まあまあ住みなれたこの家とも、今日でお別れだ。

色々な想いはあるけれど、私は、私の事だけを考えて生きていく事は許されない。

だって、普通はそうでしょう?

自分のやりたい事だけをするなんて、そんなのは唯の我儘だ。

人は、人の役に立つ為に生れて来たのだから。

なんて、宗教染みた考えが脳を支配していると、ライブキャスターからテレビ電話の着信が鳴った。


「はい、もしもし」


「もしもし?俺だけど」


トウヤだ。

聞きなれたその声は、何処か嬉しそうだった。


「お前さ、家に帰るんだろ?」


「、うん」


小さく息を吐いてから、小さめの声で返事をする。

トウヤにその小さな憂鬱は伝わらなかったようで、嬉しそうに話を続けていた。

…、小さな?

…うん、小さな。小さな、憂鬱。

この気持ちは決して、表に出しちゃ行けない。

出してしまったらきっと私は、家に帰れなくなるから。


「春菜、俺さ」


「ん?」


「お前に、ずっと言いたい事があったんだ」


「言いたい事?」


「そう、…伝えたい、事が」


妙に勿体ぶるトウヤに少しいらついてみる。


「言ってよ」


「…今は駄目」


なにそれ、と肩を落とす。

期待させたり不安にさせたり、昔からトウヤはやっぱり、凄く苦手だ。

…でも、それ以上に、大好きだ。


私、本当は知ってる。

トウヤが、今まで付き合って来た女の子のことを、本当に好きじゃないって事。

多分だけど、ギアステーションに居る自称すごい可愛い駅員さんの事だって、言うほど好きではないはず。


「お前今日、こっちに帰ってくるんだろ?そん時に言うからさ」


「…今言ってよ…」


「駄目だって。お楽しみなんだからな!」


お楽しみって…。

まあ、そういう事にしといてあげようか。

トウヤの事はきっと、私が一番分かってるから。


「じゃ、俺待ってるから。絶対来いよ?」


「…、え…」


プツ



…。

相変わらず一歩通行な奴だった。





私は嘆息して荷物の整理をはじめた。



その時。








「春菜ー!!」


扉が大きく開く音が聞こえたと思いきや、クダリが私に飛びついて来た。

あまりの驚きにひっくり返る私を無視して、クダリは続ける。


「春菜、帰っちゃうなんてやだ!!そんなの嘘だよね?僕を置いて言っちゃうなんて…嘘だよね!?」


「は…、クダリ?」


わんわん泣き叫ぶその姿はまるで子供。

…本当なら私が泣きたい所だってのに。

それを許さないかのように、ノボリは更に喚く。


「やだやだ!!春菜が帰るなら僕仕事止める!止めて毎日春菜に会いにいくー!!」


「えええ、ちょ…!」


とんでもない事を口走るクダリの頭に、書類がものすごいスピードで叩きつけられた。

クダリはぴっ!?と悲鳴をあげてから、頭上を見上げる。

そこには書類を片手に目を細くしたノボリがこちらを薄く睨んでいた。


「なんて事を口走っているのですか、クダリは」


「でも!春菜が帰っちゃうんだよ?ノボリは寂しくないの?」


「そうであっても仕事を止める、等とは安易に言って欲しくないものですね」


「だってだって…うー!!」


私の為だけに、クダリがこんなに泣いてくれてる。

なんだか凄く嬉しくなって、ちょっと目が潤んでしまった。

私はそんなクダリを安心させる為に、そっと頭を撫でて、言った。


「大丈夫だよ、クダリ。私が居なくなるだけで、普通の生活に戻れるんだよ?」


だから心配しないで。


…って言ったはずなのに、何故かクダリはものすごく不機嫌そうに私の頬をつねった。

!?


「いひゃいいひゃい!くだり、やめふぇ!」


「…春菜は馬鹿だ。…馬鹿だよ…」


「…、くだり…?」


「普通の生活が嫌だから、春菜に行って欲しくないのに…!なのに、居なくなるだけ、なんてそんな事、冗談でも言って欲しくなかった…!」


「…くだり…」


…私は何時だって、自分の事しか考えて無くて。


横暴で、自己中心的で、自分勝手で、不器用で、情けなくて…最低の、加害者。


心の底では、自分だけが幸せになれればいいと思ってさえ、居た。


なのに今は。




皆が幸せになって欲しい。




…ううん…皆じゃなくていい、せめてノボリとクダリだけでも…幸せになって欲しい。



私は汚い人間だ。

だから、卑怯な事だってするし、嘘もつく。

挙句には家族を見捨てまでした。

…考えてみれば、こんな私は幸せになんてなれるはずない。



「…くだり、あいがとぉ…」


頬をつねられたまま、私は涙を一滴流した。

手で拭っても、後から後から零れてくる。

嬉しくて。…本当に、嬉しくて。


「…春菜…、行かないでよぉ…」


クダリがそう言ってくれることが、本当に嬉しくて。

だけど。


「…クダリ、春菜は準備がありますから…」


「ぐす、春菜〜…」



そう、ノボリの言う通り。

私は帰らなくちゃいけないんだ。

家族の待つ、家に。


トウヤが待つ…、故郷に。







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